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井の中の蛙大海をしらず  作者: さすらい
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1年A組31番

 新しい制服に袖を通す。


 来るかどうかもわからない成長期を考慮した結果、少しだけ袖が余っていた。中学時代の制服にはなかったネクタイを慣れない手つきで首に巻く。昨日父に教えてもらったシンプルな結び方を順序通りにこなしたが、小剣を長くとりすぎたからか、大剣よりもそれのほうが長くなってしまった。結び損ねた黒いネクタイを外し、もう一度結ぶ。先ほどの経験を生かして少しだけ小剣を短くとると、不格好ではあるがしっかりと結ぶことができた。


 鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。黒のスラックスに黒のジャケット、そして黒のネクタイ。なぜこんなにも制服が黒いのか、これではほとんど喪服と言っても差し支えはない。鏡に映る自分からは若さの類を感じることができない。もうちょっとくらいは明るい基調にしたほうがいいとも思うのだが、式典や行事以外では制服の着用は義務付けられていないらしいので文句は言うまい。


 机の上に無造作に置かれた携帯電話をポケットに入れる。買ってもらってからおよそ役目のなかったその機器も、もしかすれば使うことがあるかもしれない。これは全くの嘘だが、こころなしかその携帯電話からも『そろそろ便利機能付き目覚まし時計の汚名は返上したい』という答えが聞こえた。

 鞄を持って家を出る。

どうか僕の前途に楽しい出来事がありますようにと、ドアを開けて踏み出した。



 私立黒羽高校1年A組31番。

 校門を入ってすぐのところに設置された特設の掲示板に張り出された紙に貼られたクラス表を遠目にみて、自分のクラスと出席番号を確認した。掲示板の周りには新入生と思われる生徒が集団を作っている。なぜ既にこんなにも仲がいいのかわからないが、どうせ僕には関係がないことだ。案内に従い、昇降口に向かって歩き出す。昇降口の下駄箱にはほとんど誰の靴も置いてはなかった。しかし、それでもぽつりぽつりと教室に移動している人がいるらしくA組の出席番号2番と3番の靴箱には既にローファーがしまわれていた。ローファーを脱ぎ自分の下駄箱へとしまう。鞄から上靴を取り出して履き替えて教室へと向かう。

 年季の入った、悪く言えば古びた廊下を通る。壁には書道作品と思われる物が額に入れられ飾られており、歩きながら横目でそれを眺める。今でこそ新鮮なその光景もいずれ見飽きる日がくるだろうけれど、少しだけ興味深いと感じたのも事実であった。

 階段を上がって一年生の教室がある四階へと向かう。途中の踊り場や手すりには、部活動に新入生を勧誘する目的のポスターが張られており、立ち止まってみた。

 サッカー部やバスケットボール部などの運動部をはじめとして、吹奏楽部や文芸部などの文科系部活や確率研究会といった変わり種、果てはBG同好会などという一見しただけでは何をしているのかわからないような活動団体まである。中学の頃は部活動に参加することはなかった。理由を尋ねられれば興味を惹くものがなかったということもあるが、自分は集団行動には向かないだろうというのが主な理由だった。

 しかし、せっかく高校生になったのだからこれを機に貴重な青春を何かに浪費してみるのも悪くはない。そう思って僕は手近にあった確率研究会と文芸部、謎のBG同好会のポスターを剥がして雑に折り畳み、ポケットにしまう。どんな人がいるのだろうかと一抹の期待を胸にはらませながら教室への歩みを再開する。

 教室にたどり着き開け放たれたドアをくぐると、一名の男子生徒がすでに席に座り、窓の外を見ていた。外を見ているので、窓際の前から三番目の席に座るその男子の顔を確認することはできなかった。四階である教室から見える景色はお世辞にも良いと言えるようなものではない、それでもその男子は外を見ていた、青空と周囲の住宅地しか見えないようなその景色を。

 声をかけるか迷って辞めた。同じクラスならばいやでもしゃべる機会はあるだろうから、焦る必要はない。

 黒板を見ると一枚の紙が貼られている。座席表と思われるそれには、出席番号順に6列6行で規則正しく席が割り振られている。31番の席は廊下側から見て一列目の一番前の席だった。新学期一番最初の席としては最悪の位置取りだった。

 ため息を一つだけついて、僕は座っている男子に声をかける。


「おい、出席番号3番。今の席に満足か?」


「いや、まったく。できればもっと後方の席がいい。」


 特に驚いたような様子も見せずに頬杖を好きながらこちらを向き、僕の問いかけに答えた。初めて見えた彼の顔は存外整っていて、少しだけ驚いた。座っていてもわかる程度には身長も高い。そんな彼に僕はつづけてこう言う。


「ならどうだろう、思い切って席を変えてみないか。」


 出席番号3番は少しだけ笑った。


「どうやって?」


「こうやって。」


 僕は黒板に貼られた座席表を剥がし、破いた。そしてそれをポケットに入れて、新入生の歓迎のためか綺麗に塗りなおされている黒板に新品のチョークを使って『教室についた者から好きに着席』と書く。指についたチョークを払うために手を叩き、彼のほうに向きなおる。


「なるほど。お前、なかなか面白い男だな。」


「そうでもない。ところで3番、どこに座りたい?着順で席を選べることにしたから、先に選んでいいぞ。」


「律儀だな、先に選べばいいのに。ちなみにお前はどこに座りたい?」


「希望を言えるなら窓際の一番後ろだな。」


僕は指をさして自分の座りたい席を彼に教えた。


「じゃあ俺はその一つとなりにしようかな。その席はお前に譲ろう。」


彼は今座っている席から立ち上がり、僕が指さした席の隣を指さす。


「譲られるのは好きじゃない。」


不満な様子を見せる僕に彼は肩をすくめて見せた。


「それはすまないな。でも譲ったわけじゃない、リスクマネジメントだよ。あとは、お前の発想に敬意を表してってやつだ。ありがたく座れよ。」


 リスクマネジメント?どういうことだろうか。

そんなことを思案する僕の返事を待つことなく、出席番号3番は鞄を手に取り自分が指定した席に移動した。仕方がなく疑問を飲み込み、僕もそれに続いて席に移動する。着席すると、3番は僕のほうを向いて声をかけてきた。


「お前、名前は。」


「吉野圭介。」


「吉野ね。了解。」


 僕は鞄から文庫本を一冊取り出してスピンを挟んであったページを開く。文章に目を落とそうとすると3番は再び声をかけてきた。


「俺の名前は聞かないのか。」


 僕が本から目を逸らすことはない。


「聞かない。他人の名前を覚えるのは苦手なんだ、3番で十分だろう。」


「まあ確かに、区別ができれば十分か。二年になって出席番号が変わったらどうする?」


「学年が変わってからも僕が話しかけるような友人がいたことがないからわからないな。そうなったらその時考えるよ。」


「へえ、変わった奴だな。じゃあ俺もお前を31番と呼ぼうかな。」


「好きに言ってくれ。というか3番、お前全員の名前と出席番号覚えてるのか?」


「いや、新学期早々最前列に座ることになった哀れな奴の名前だけだよ。」


「お前のほうが変わった奴だ。」


「そうでもない。でも勝手に『哀れな奴』というレッテルを貼ってみたことには反省の余地があるな。他人は見た目じゃ判断できないのと同様に、出席番号ごときで座席は判断できないらしい。いい勉強になったよ。」


「勉強熱心な奴だな。」


「始めて言われたよ。」

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