蛙か鯨か
初投稿です
毎日が死ぬほど退屈だった。
そう思い始めたのはいつからだっただろうと、高校受験の最中に僕は思う。目の前の数学の試験は県内随一の進学校の出す問題だけあって複雑に見える。だがそれは、僕にとっては複雑なだけであり、頭を悩ませるほどのものではない。
頭の中で解答への筋道を立て、使い慣れた空色のシャープペンシルを動かし始める。
目の前に座る受験者は頭を掻きながら首をかしげている。
昔から、他人に解けない問題が僕には解けた。昔から、他人にできないことが僕にはできた。大した努力なく、できなかったこともできるようになった。そんな僕は周囲にもてはやされたが、それを嬉しいと感じたことはない。退屈な世界で退屈な人間にもてはやされることで抑揚が付く精神を持ち合わせていれば、もっと世界は色づいて見えるだろうか。
回答欄に答えを書き入れる。次の問題に目をやると、どこかで見たような図形が書いてある。慣れた手つきで補助線を引く。
周囲の人間が距離を取るため、僕には友人と呼ぶべき存在はいない。だが、一度だけ、たったの一度だけ同級生の女の子に図形の問題で質問をされたことがあった。
『どうしてそこに補助線を引くの?』
最近の出来事のはずなのに、名前も顔も思い出せないその女の子の質問に僕は何と答えたのだろうか。思い出すことはできない。
問題文にかかれた条件を図に書き入れる。見ればわかるだろうと言いたくなるような図形の合同証明を回答欄に書いていく。わからないということはないが幾分書くのが面倒な問題だった。僕はため息を吐く。
数学の試験を終えて、次の英語の試験を終えた。昼休みになって母の作った弁当を食べる。どちらの試験を思い返しても満点回答の自信があった。先程首を傾げていた目の前に座る受験者は昼食をとることもなく次の国語の試験の勉強をしていた。何をそんなに詰め込むことがあるのかと思いながら見つめていると、突如として立ち上がり参考書を読みながら教室を出ていく。余程この学校に入学したいのだろう。
生徒の自主性を重んじる自由な学風は高い偏差値と相まって県内の中学生の憧れらしいが、僕にとってのこの学校に入る理由とは、環境が変われば世界が広がり、僕の退屈も和らぐかもしれない、そんな程度の理由だった。
僕はまたしてもため息をつく。もしかしたら僕の期待は呆気なく裏切られるかもしれないと、そう思った。
国語の試験が始まった。用紙を裏返して文章に目を落とす。
勉強に好きも嫌いもなかったが、昔から国語の試験は好きだった。自分の見たことの無い文章を読むことは、いつだって僕に新鮮さを与えてくれた。本を読んでいる間は退屈を忘れることができた。
僕は先頭から問題文を読み始める。問題を確認してから問題文を読む人間がいるらしいが、僕とは反りが合わないに違いない。反りが合う人間などと言うものに出会えたことなどないのだが。
ところどころ漢字や接続詞を入れさせるべく穴の空いた文章を読み終えて、一息ついた。なかなか興味深いその問題文の出典を確認して頭の片隅に書き留める。なかなか悪くない文章だった。用紙の枚数から残り2つはあると思われる問題文も僕を楽しませてくれるといいのだが。そう思いながら解答用紙に解答を書いていく。数学と英語の試験の出来を鑑みれば、白紙解答でもしない限り合格であると思う。緊張感のないテストではあるが、手を抜く理由もないため自分の出した模範解答を書いていく。
五十分の試験時間の半分がすぎた頃、僕に残された試験問題は最終問題の作文のみになっていた。作文の試験は
『高校生活を勉学に費やすことは有意義か』
という問に対して賛成か反対かの立場を示し、その理由を800字以内で論ずるというものだった。ここまでの問題の文章量を考えると、最終問題の作文を書き切るのは非常にシビアであるように思える。
僕は採点官の好みそうな文章を作るべく、賛成反対の賛成の方に丸をした。減点を受けないような模範的な理由と模範的な構成で根拠を示していく。結論を書き終えて時計を見ると残り時間は5分程度になっていた。
誤字脱字がないかの見直しをしていると、解答用紙に名前を書いていないことに気がつく。既に何万回と書いたであろう四文字をサラサラと書いてシャープペンを置いた。きっと国語も満点だろう。
目の前には、使う機会のなかった新品の消しゴムとシャープペンシルが置かれている。
吉野圭介という名前が書かれた解答用紙を裏返して試験時間終了の掛け声を待つ。
本当に、全くもって退屈な世界だ。