招かれざる密使
今、お前は呪われる者となった。
お前が流した弟の血を、
口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
土を耕しても、
土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる。
――『創世記』4章11-12節
田植えが終わってからが農の本番である。毎日伸びてくる草を抜いて、気温や雨量に合わせて水量を調整して、この時期の農民は朝から晩まで大忙しなのだ。
雨にも風にも負けずに働く農民たちにとって、一日玄米四合は最低限の食事である。貯蔵していた食糧のストックも秋まで持つかどうか不安が残るし、屎尿回収事業で得た収入で廉価な穀物を購入することも考えなくては。
なにせ五月下旬から六月上旬は、大豆の種まきの季節でもあるのだ。そのために焼き畑をして、草木灰を梳き込んでと、まだまだやらなければならない仕事は山積みである。
だが、まあ今日は雨だし、久しぶりに屋敷でゆっくりすることにしよう。
「……あっ、でも雨だから放って置いたら田んぼの水嵩が上がっちゃうなぁ。水門を開けて排水しに行かないと」
晴れに働き、雨に働く。農は晴耕雨読とはいかないものである。
本音を言えば、ティターニアさんが帰ってしまい、まだ少しアンニュイな気分なのだ。あれからもう数日経つが、心の中はこの空のようにどんよりと厚い雲に覆われている気分である。
「……あれ?」
ベッドから起き上がり窓の外を覗くと、ぬかるんだ農道に馬車の轍が四本くっきりと刻まれていた。轍は、ヴァッハフォイアー辺境伯領へと続く街道から僕の屋敷へ向かって長く延びていた。
車輪の跡が四本ということは、馬車はニ台……こんな田舎の農地にそんなに客人が来るなんて。
「ひとつは見覚えがあるな……たぶん、賢者様の馬車のようだけど」
首を下げると、もう一台の馬車を先導するように、エイルリフィアの国章の入った立派な馬車が走っていた。
しかしもう一台は、立派な馬車ではあるが、国章が意図的に隠されているようで、どこの所属かが分からない。
「リヒト、起きてる? 入っても構わない?」
部屋の外からヴィヴィアンがそう声を掛けてきた。僕はドアを開け、彼を部屋に招き入れた。
「気付いているかしら……雨で車輪の音が聞き取り難かったから、気付くのが遅れたけど。二頭立ての馬車が二台、領内に入り込んでるわ」
ヴィヴィアンが親指で窓を指した。
「うん。僕もたったいま気付いた。でも警戒はしなくていいよ。一台は僕とクララの師匠……ハンス・ハインツ・ホーエンハイム様が乗っている馬車だから」
僕がそう告げると、ヴィヴィアンは小さく息を吐いた。
「へぇ。アンタって創薬の賢者の弟子だったのね。それなら魔法だけじゃなくて、錬金術も扱えるのかしら。本当に多芸ね……それで、もう一台の方は?」
「器用貧乏なだけだよ……それが、全く心当たりがないんだ。どうやら帝都からの使いでもなさそうだし。たぶん、賢者様の知り合いだとは思うのだけど」
僕は来訪者を出迎えるため、一階に降りた。
キッチンでは、クララが皆の分の朝食を作っていた。ヴィヴィアンはその手伝いのため、食卓に入っていった。
広間ではウンゲツィーファの指示の下、アナベルが取ってきた木をカーモスが腐食させ、何かの幼虫のためのベッドを作っている。
なんて平和で、落ち着いた日常の風景なのだろう。こんな静かな日々がずっと続けば良いのだが。
馬車が屋敷の前で停車する音が響いた。嫌に軋んだ音であった。どうやら、相当の速度で駆けてきたらしい。
「面倒事が持ち込まれなければ良いのだけど」
しかしながら、僕の淡い願いは尽く打ち砕かれることになる。
この招かれざる密使は、途轍もなく大きな厄介事を僕に任せるため、こんな辺境の田舎にあるオステンヴォルケまで遥々やって来たのである。




