都市と農村
およそ一国の人口が濃密であるのは、
その国の生産物が衣・住を供しうる人民数に比例してではなくて、
それが食を供しうる人民数に比例してである。
食さえ供給されれば、必要な衣・住を見い出すのはたやすい。
アダム・スミス『諸国民の富』
「農村が抱える問題は、他にもあります。……自給のためではなく、都市との関係の中でなされる農業生産にはある特徴があるのです。それは、農作物の過剰な生産は農民にとって自らの価値を貶めかねないことになるということです。年貢ではなく金で税を収める場合には、現金収入も必要になります。したがって、量よりも質を高める必要がでてくる。豊作貧乏も、貧乏には違いないありません。農民は自己の生活を充足させるため、不作になるリスクが高くても、価値の高い農作物を生産せざるを得ないのです」
つまり農民たちは“食糧”となる穀物ではなく、“食料”となる作物を生産することを強いられる。オステンヴォルケの土地が過剰なキャベツ栽培によって疲弊したのも、こうした社会の仕組みによる部分が大きい。
「本当に社会経済というものは複雑怪奇です……全ての農地で育てれば、全ての動物が飢えないで済む……そのために作ったのがオリーゼです。ですがこの種は、飢餓の解決ではなく、新たな貧困を生み出しました。皆で平等に分け合う。そんなことは、できないものなのでしょうか」
ティターニアさんは、嘆きのような問いかけを、僕に投げ掛けた。
「……そのような世界になるには、とても、とても長い時間が必要になるでしょう。人間が何世代も入れ替わるような、途方も無い長い時間が」
「ハイエルフは、1000年生きると言われています。私は、200年と四半世紀生きて来ました。私の残りの寿命が尽きるまでに、その世界は実現するでしょうか?」
僕はティターニアさんの言葉に、良い返事をすることができなかった。
「わかりません。……でも、そうあって欲しいものです」
前世において、世界の穀物生産量は1985年時点でも18億tであった。これは120億人の食糧を賄える量だ。だが、世界には飢餓が存在した。なぜか。穀物は人間以外に、家畜にも必要だからである。先進国では、肉食を維持するために、人間を養えるだけの膨大な穀物が大量に使用されていたのである。
そしてそれは、二十一世紀に入っても変わっていなかった。全人口のうちには、肥満と飢餓が同じ数だけ存在していた。
これこそ僕が、健康に支障がない範囲で、可能な限り肉食を減らすことが望ましいと考える理由の一つである。
富める者による不必要に過剰な肉食は、無自覚的であれ、貧しい者から食べ物を奪っている行為とも言えるのだ。
「また、戦争が終結したことで、ここからさらなる人口の増加が見込まれます。工業化が立ち遅れているオステンヴォルケは、今後十年のあいだに帝国の胃袋を満たすための食料工場的役割を期待されることになるでしょう……農という営みを産業と同じ土俵で捉えることは個人的にあまり好きではないのですが、農民の生活を守るために、農産物の加工や流通をコントロールする仕組みも整えなくてはなりません」
と言っても、僕は経済学に明るいわけではない。そういった方面に強い人材を確保する必要がでてくるだろう。
「そうでしょうね。飢餓は単純に農業生産力の問題だけでなく、社会構造によっても産み出されるということを、私も自らの失敗から学びました。農民の方々に対する複合的な支援が必要になってくるでしょう……道のりは、途方もなく長いのかもしれません」
ティターニアさんは顔を上げ、まだ何も育っていない農地を眺めた。彼女はこの土地に、どんな未来を見ているのだろう。
「でも、僕は絶望はしていません。少なくともオステンヴォルケだけは、自然の恵みを皆で平等に分け合う、そんな土地にしてみせます。オリーゼを、その本来の目的のためにだけ育てることを約束します。ティターニアさんが生み出した奇跡の種が、正しく使いさえすれば、貧困ではなく飢餓の解決と幸福とを生み出すことを、僕が証明します」
農の技術を、正しく使う。これが僕の残りの人生の目標なのである。
「まだ、出会って間もないですけれど……リヒトさんの言葉は、何故だか信用できる気がします。貴方であれば、きっとオリーゼで土に生きる人々を幸せにしてくれることでしょう」
ティターニアさんは、そう静かに微笑んだ。




