わたしは世の光
雨は止んでいた。立ち枯れた桜の梢の固い蕾が、雲間から漏れ出した陽の光に和んでいる。この厳しい寒さに鎖された北国・オステンヴォルケにも、もうすぐ一足遅れの春がやってくる。
「ねえ君……お米の皇子様は、フェロニアとはいつ知り合ったの? 異世界から来た転生者みたいだけど」
聖女は僕と同じ桜の蕾を見ながら、そう尋ねた。
「フェロニアさんは、僕をこの世界へと転生させた女神様です。知り合ったのは、僕の体感では十年ほど前でしょうか……聖女様とお知り合いだということは、今の今まで知りませんでしたけど。僕も女神様から、あまり多くの説明はしていただいていないのです」
豊穣の女神・フェロニアは、百年前は修道女であって、死んだ後に神になったということだろうか。
今度会った時にでも、詳しく聞いてみよう。
「そういえば、まだ名前もちゃんと名乗っていませんでしたね。僕はリヒト。オステンヴォルケ公、リヒト・クヴェーレです」
「リヒト・クヴェーレ……光の源……そのまんまね。君は、きっと世の光になるべき人なのね。リヒトって、呼んでいいかしら?」
聖女様はそう言って笑った。
「ええ。そう呼んで下さい。聖女様の名前も、教えて貰えませんか? 渾名ではなく、ほんとうの名前を」
「……あたしの、名前はカーモス。霜枯の魔女、カーモス・キュルマ=マッラスクー。これからよろしくね、リヒト……お役に立てるかどうか、不安だけど」
聖女あらためカーモスは、そう言って照れたように笑った。
「うん。よろしくカーモス……頼りにしてるよ」
彼女に罹っている呪いは、使いようによってはこの村の痩せた土地をいち早く回復させる福音になるかもしれないのだ。
「あんまり期待されてもだけど……あたしにできることなら何でもするわ」
「……いま、なんでもするって言ったね?」
なんでもしてくれるのであれば、とても助かる。
「う、うん。あたしにできることなら……こんな手だから、手伝えることなんてほとんどないと思うけど……」
「そんなことないよ。僕にはカーモスの力が必要なんだ」
特に、絶賛計画中の屎尿回収事業と同時進行で行われる肥料の製作に関して、これ以上ない強力な助っ人だ。
少し汚れて貰うことになるが、本人が何でもするって言ってくれているのだ。お言葉に甘えて頼ってしまおう。
「そこまで言って貰えるなら、頑張らない訳にはいかないわね……これでもあたし、リッチーになる前から百年に一人の天才魔女って呼ばれていたんだから」
カーモスは拳を固め、来る活躍のときに胸を膨らませていた。
そうか。よく考えればカーモスがいてくれれば、森の中で魔獣に襲われても平気じゃないか。本当に彼女が仲間になってくれたのは、心強い。
カーモスと女神様が直接会える日が、少しでも早く来ますように。僕はそのためにも、豊かで平和な国を築かなくては。
「……あの子を、フェロニアを看取って以来だったわ。人の手を握ったのは……暖かいのね。人の手って。リヒトの手、まるで春の陽の光みたいに、柔らかくて、暖かかくって、優しかったわ」
地面から立ち上る雨後の土のエッセンスで煙る森を並んで歩いていると、カーモスは手のひらを名残惜しむように握って、そう呟いた。
「僕の手で良ければ、ときどきなら握っていいよ。魔法を使っているあいだなら、大丈夫だから」
あまり頻繁だと、僕の寿命がごりごり削られかねないので対応できないが。
「健康上の理由であんまり魔法を使えない人に、そんなこと頼めないわよ……もっと自分を大切にしなさい」
カーモスはそう言って穏やかに微笑んだ。
“わたしは世の光。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ”。暗闇の中を一人、百年ものあいだ歩んできたカーモスの希望の光になれたら。
僕は、そう願った。




