農学者・理仁の死
馬車の心地よい揺れは、僕を深い眠りに誘い、この世界に転生するきっかけとなった女神との邂逅を、夢というかたちで思い出させてくれた。
――「いま、幸せですか?」
死んだと思ったのに、目が覚めると宗教の勧誘が始まっていた。花冠を戴き、シルクのベールをまとった女性が、口元に薄く笑みを浮かべながら、僕の心を見透かそうとするような視線で見つめている。
「……いま、幸せですか?」
無言でいると、女性は繰り返しそう尋ねてきた。辺りを見渡すと、病室のように白く無機質な、けれどもベッドも無く、薬品の臭いもしない部屋のなかだった。
「ここは……病院ではないようですね。教会ですか? 貴女は、シスター? 僕は葬儀の前に生き返ってしまいましたか?」
僕の問いに女性は笑みを崩さないまま、おもむろに口を開いた。
「私はフェロニア。豊穣を司る女神です。ここは病院でも教会でもありませんし、貴方は生き返ってなどいません。……ご心配なさらずとも、実験中の事故に見せかけた自殺は上手くいきましたよ」
僕はその言葉で、彼女が少なくとも怪しげな宗教勧誘員ではないことを理解した。
「貴方は戦争終結に多大な貢献をした偉大な科学者として、盛大に国葬が執り行われました。その名前は、末永く歴史に刻まれることでしょう……誰一人、貴方が戦争協力を忌避して自殺したことには気付かなかったようです」
「いろいろと疑問に答えて下さり光栄です。ですが、すみません。フェロニアさんでしたっけ? その……女神というのは? それにこの状況は?」
聞きたいことが渋滞している。無神論者というか無宗教なので、この状況をなかなか受け入れられない。神も、死後の世界も、そんなものは人間の想像の産物でしかないと思っていたが。しかし、夢にしては余りにも意識がはっきりしている。
「思う我」が残っているということは、死は全ての終わりという訳ではないようだ。
「いえいえ。この状況を簡単に受け入れろという方が無茶な話ですからね。ひとつずつ貴方の疑問にお答えしますよ、理仁さん……貴方の死因は、狙い通り実験中のガス漏れ事故による中毒死……ということになっています。神童と謳われ、ローレンス・ブラッグの記録を塗り替えて史上最年少で自然科学研究最高の栄誉を戴いた貴方の頭脳を以てすれば、あのくらいの偽装は朝飯前でしょう」
「お褒めに預かり光栄です。女神様……ですが今は過去ではなく、現在および未来のことについてお話して頂きたい」
不条理な現状に戸惑ってしまう。この状況を生み出しているのが彼女であるならば、その目的を話してもらわなくては埒が明かない。
「失礼。それもそうですね。それではここからが本題です……ここは現世と死後の世界との中間地点とでも言うべき空間、と理解してもらって構いません。まあ、一方通行なので、生き返ることは不可能なのですけど。貴方のような人間が自ら死を選んだことは悲しむべきことですが、一方で私にとっては思わぬ幸運でした……」
「僕の死は、貴方にとって都合が良かったということですか? 一体なぜ」
フェロニアは、僕の言葉に首を振った。
「言葉が悪かったかもしれませんね。不快な想いをさせてしまったのなら、すみません。正確には、貴方が死によって、その魂を肉体と現世とに縛られなくなったことが、です。私はこうして貴方の魂と対話できる機会を望んでいたのです」
「なぜ、僕に?」
「貴方が農に関する秀でた知識を持ち、そして……誰よりも優しいからです」
「僕は……」
確かに僕は、優しくありたいと思っていた。少しでも多くの人に、いや、誰一人欠けることなく、幸福になって欲しいと、そう願って農の発展に寄与する道へと進んだ。
しかし、その結果は願いとはほとんど真逆のものになっていた。
「貴方には特別に選択肢が与えられています」
「選択肢……?」
「そう、選択肢です。このまま死後の世界に行くか、それとも……」
フェロニアは飴を差し伸べるように蠱惑的な笑みを浮かべ、僕をじっと見据えた。
「転生して、新たな人生をやり直したくはありませんか?」