笑顔への道
ザザ─…ン ザザ─…ン
白い砂浜に穏やかに寄せる波。
あの葬儀から半年が経ち、やっとここまで辿り着いた。
『辞職?!宰相、それは…』
『愛娘まで亡くなって葬儀も済んだ今。私には続ける気力はございません。……以前、こうならない様にと、何度も嘆願させて頂いたかと。お忘れではないでしょう』
王の執務室で、王の向かいに座る宰相は、慇懃な態度を崩さず、辞職を願い出る。
『そうだが……折角の文官のトップの職を捨てなくとも良いではないか?』
『身の内に不安要素を飼わなくとも良いでしょう。…あぁ、貴族への説明ですか?殿下がご提案なさった“国外追放”などは如何でしょう?誓って二度と国の地を踏まないことを、喜んでお約束致しましょう』
微笑みのままに、痛烈に当て擦る宰相の目は鋭さを増していく。あれほどにオフィーリアの状況を訴え、改善を嘆願しても、「若さゆえの可愛い過ち」と、軽視したが故の結果でもあると、王はまだ理解していないのかもしれなかった。
『ぐっ……其方の怒りは理解した。そこまで言うならば辞職を受ける……受けざるを得ないのだろうな』
『ご配慮痛み入ります。次期候補は宰相一級補佐官からご自由に任命下さい』
『……本気なのだな』
『冗談の通じる男だとでもお思いでしたか?』
心外だと鼻で嘲る宰相に、王は一層顔を暗くさせて項垂れた。
『国外追放にはせん。……すまなかった』
『頭を上げてください。謝罪は結構です。今後の発展を、静かに見守らせていただきます』
一応の礼をして席を立った宰相…元宰相は、足早に執務室を出ると、馬車止めに向かう為に王宮の廊下を進む。
急遽宰相交代の指示が出て、てんやわんやになるだろうと考えながら。
一級補佐官は現在4人いる。どれも有能ではあるが、いかんせん我も強く、権力欲も強いのだ。まずそこで揉め、仕事が一部滞り、その間に爵位を明け渡して国外へ出る予定である。
拙い案件が出始め、手を貸してくれと言う頃に姿がないと知り、慌て騒げば良い。
『宰相……!』
王宮から出る為に足早に廊下を進んでいたところ、声をかけられた。仕方なく振り返ると、クマが濃く、数日だけで酷くやつれた姿の殿下が護衛と従者を連れて走り寄ってきているところだった。
『何でしょう?殿下』
『ぃや……聞いておいて欲しかったんだ。あれから直ぐに調べ直した。皆の言う通り、オフィーリアは止めはしたが、指示を出したり加担した訳でもないと。“オフィーリアの為だと信じて”と……』
『頼んでもいませんがね』
『そ、そうだ。そうなんだ。マーガレットも問い詰めた。そしたらあいつ……!』
『“オフィーリアがやったとは一言も言っていない”とでも吐きましたか?』
『その通りだ……その通りなんだが』
罪に問いにくいと、悔しそうに手を握りしめて俯く殿下からは、歯を食いしばる音が聞こえた。
『未必的故意』
『みひつ……?』
『人の死につながる事を実際に行わなくとも、それに繋がるかもしれないと知りながら、そうなっても良いと敢えて誤認させたり、誘導するような行為を繰り返す事です。……不確定な過失ですね。
ですが、事実は殿下しか知り得ませんので、私は何とも言えませんが』
『そう…なのか』
『……しかし、そう躍起になられても、娘は帰っては来ませんがね……』
『ぐぅ……っ宰相っ本当に、すま』
『用件がそれだけなら失礼致します』
謝らせたりはしない。簡単に荷を軽くさせてやるものかと、引き止める声を無視して足を進めた。
元々権力欲のある親族が多い為に、譲位自体はすんなりと済んだ。
伯爵位を持つ分家筋に話を振ると、喜び勇んでやって来た。必要書類にサインを入れさせると、屋敷の譲渡は2カ月後と告げてやった。
個人資産を全て商業ギルドへ預けて、どこからでも出せる小切手帳に変えた。
その足で王宮の爵位管理の部門へ赴いて、爵位移譲の書類を最速で処理させる。
辞職の件が伝わっていないのか、受けた文官は心底驚いていた様だった。
葬儀からもうすぐ1ヶ月……
全ての手配を終え、オフィーリアの母の墓前に彼女の好きだった花を携えて片膝をつく。
『……すまない、そばを離れる事になった。オフィーリアの幸せの為と、君は許してくれるだろうか…?』
小さく漏れた謝罪に応える様に、柔らかな風が頬を撫でる。サワサワと花束が揺れ、妻の好きだったイベリスの花から砂糖菓子に似た甘い香りが辺りを包んだ時
『ふふ、誓いを忘れたのかしら?旦那様。“死が2人を別つまで”……ちゃんと守ったのだから、旦那様も死ぬだなんて言わないでくださいな。これからはオフィーリアが居るわ。いつまでも引きずってはダメ。貴方の進む道に笑顔がありますように……空の上からずっと……』
─ 妻の最期の言葉が蘇る。頬に触れて最後の愛を捧げられた、病に苦しいはずなのに柔らかく微笑んでみせた妻の姿まで鮮明に。
『あぁ…別たれたとも、愛しているよ。オフィーリアを必ず幸せにしてみせる。見守っていてくれるかい?』
妻のあの微笑みに応える様に微笑み、口付けを落とした花を捧げる。墓前を後にした石畳には、小さな水滴の跡がいつまでも残っていた。
***
白い砂浜を、この旅路を思い出しながら進む。
引き渡しまでの2ヶ月を待たずに国を出た。
国王が足元の小さな騒ぎに気取られている内に、強行突破するのが最善と考えたからであるが。屋敷に引き篭もっていると思っているだろうが、気づいた頃には、住人が替わっているとは思いもしないだろう。
旅路も直接ではなく、痕跡を追えない様に反対のルートを使って遠回りもした。
辿り着くまでに半年もかかったのは、致し方のない事だった。
潮風に乗って、笑い声が耳を掠める。
足元から視線を上げれば、波に足先を付けながら子供達が遊び、それを近くで見守る大人が3人。
先に気づいたのは大人のうちの1人だった。
「兄さん!遅かったじゃないか!」
大きな声で、手を振るのは良い歳をした弟だ。
「……え、あ、お父様っ!?」
元気のいい声に苦笑して、深く被っていた帽子を取って軽く振る。
子供達の中から飛び出て、砂に足を取られながら裸足で走るオフィーリアは、塞ぎ込む前よりももっと快活になった様に思えた。
「お帰りなさいませっ!!」
躊躇わずに父に抱きついたオフィーリアは、無事を確かめる様に顔を覗き込んだ。
「ご無事で、安心しましたわ」
「これでも多少の旅には慣れているんだ。心配ないさ。皆と仲良くなったのかい?」
「ええ!叔父様の子供、みんな元気で色々教えてくれるの。良い子ばかりだわ」
娘の少し陽に焼けた満面の笑顔に、ホッと息をついた父は、弟へと笑顔を向けた。
「久しぶりだね兄さん、元気そうで安心したよ」
「久しぶりだな。しばらく世話になるよ」
オフィーリアは、父の胸から離れると、そっと父の横へと並んだ。
「何年ぶりだ?使っていない近くの家があるから自由にしてくれて構わないよ」
「助かる」
「まさか兄さんが家を放り出して、こっちに来るとはなぁ~」
「そうだな。今後はのんびりするさ」
「何言ってんだ、婿入りした僕の地位向上のためにも、一役買ってもらうよ」
「……なんだ、上手くいっていないのか?」
「いいや?尊敬は幾らあっても困らないからね」
「変わらないやつだ」
抜け目のないやつだと、笑いながら久々に会う兄弟に肩を組まれて笑う。
「とおさーん」「ぱぱーぁ」
子供の声に目を向ければ、侍女と護衛が弟の子供を連れて来ていた。
「似てるな」
「そうだろ?娘の方は嫁に似てるんだ」
「とおさん、その人だれ?」
「父さんのお兄さんだ。オフィーリアのパパだよ」
「おねぇさんの?はじめまして」「ましてぇ」
「はじめまして。よろしくね」
オフィーリアより未だ背の低い子達と目線を合わせてかがみ、手を握って挨拶を交わすと、子供達が照れた様にはにかんだ。
***
それから穏やかに日々は流れ、数年が経った。
国を出た時、宰相の急な交代で混乱して貴族間で多少揉めたものの、今は正常に機能しているらしい。
第一王子で、王太子になると目されていた殿下は、その地位を固辞し、臣下へ下ると発表された。婚約者も無く息を潜める様にしていたが、降下した後どういった道を選ぶかは、未だ噂に聞こえてはこない。臣籍降下の発表に王妃は塞ぎ込んだらしいが、今は第二王子に期待をかけているとか。第二王子は未だ幼いが、次のスペアはもう居ない。一層教育に力を入れるだろう。
あの男爵令嬢はどうなっただろうか……。
男爵家の取り潰しはそう珍しいことでもない。国の決めた婚約を潰した一つの要因というだけで、直接は全て殿下の采配であったし、結局オフィーリアの死によって片付けられている。罪に問うて処断するのは難しいだろう。
しかし、殿下と駄目になり、王家から疎まれている男爵令嬢とその家に明るい未来は訪れようもない。
また青臭い正義を掲げて、今やどこかの貴族夫人や当主になった者達が圧力を掛けなければ、市井の片隅で静かに生きるくらいは出来るだろうな。
「お父様?今よろしいですか?」
「あぁ、大丈夫だ。どうした?」
「えぇ…あの、何というか……」
「ん?」
扉を閉じたオフィーリアは、赤い顔でモジモジとしている。
「あの……ね?前に話したことがあると思うのだけれど。会って欲しい人がいるの。ダメ……かしら」
1年ほど前に弟の仕事関係で出会ったという、土木業を営む家の息子の事かと、その仕草から予想して思い出す。それから度々話題に上がり、時々出かけたとも聞いた。もちろん既に色々調査済みだ。
「ああ、いいとも。中々の好青年なんだろ?」
「…そうなの。この間婚姻を申し込まれて……」
「オフィーリアは、受けたいのだね?」
「えぇ……!出来るなら」
「私たちはもう平民だ。オフィーリアの心がそう決めたのなら、否やはないよ」
「お父様っ!明日でも良いかしらっ」
「あー……うん、午後で良いかな。楽しみにしているよ」
「ありがとう!伝えなきゃ…行ってきますわ、お父様っ!」
「気をつけて行っておいで」
急過ぎるセッティングに苦笑しながら、娘の頬を撫でる。弾けんばかりの笑顔で言ったオフィーリアは、弾む様な足取りで、扉を開けた。
笑顔のあふれる未来まで、きっとあと少し。