今更に気づく真実
澄み渡る空に、白い雲が棚引く。
旅立つ喜びに溢れる学舎からの卒業の季節に、会場に集まる皆の顔には、その輝きはかけらも無い。
啜り泣く声は、別れを惜しむだけではないのだろう。
── どうしてこんな事に……
後悔を胸に、ただ今だけは静かに見送ろうと、沈黙を守り、式の進行を見守っている。
── ガチャ…… キィ……
式も半ばという時に、大きな音を立てて無遠慮に開かれた扉からは、日差しを受けて煌めく金の髪を撫でつけた長身の青年が、数人の供を連れて入って来たところだった。
空気がガラリと変わる。
張り詰めたような、苛立つような。
息を潜めてじっと、距離をとって見張るような視線に、彼は小さく舌を鳴らす。
壇上には、かつての人物と同じ薄茶の色をした髪をきっちりと後ろへと流した壮年の男性が、いつもよりも厳しい面持ちで、割れた人並みを堂々と歩いてくる青年の様子を見つめている。
壇上近くまで来た青年に、壇上から降りずに壮年の男性はそのまま言葉をかける。
「……よく来て下さいました。殿下。よくお許しが出たものです」
真っ直ぐに見据えられた視線に耐えきれなかったのか、殿下と呼ばれた青年は、気まずげに一度横へ逸らした視線を戻すこともできずに、そのまま口を開く。
「いや、宰相…何とか抜けてきた。最後だからな」
フッと笑いを漏らすような音が壇上から聞こえて見上げれば、一層冷えた視線とぶつかってしまう。
ゴクリと音が鳴ったのは、殿下の喉だったか。
固まってしまった彼は、後ろから付いてきた供が「こちらを」とそっと差し出してきたものを掴んだ。
「宰相、これを」
差し出された花束からは、美しい白百合が艶やかに揺れる。
「…………」
ようやく受け取られた花束は、宰相に目配せされて側に近寄った従僕に、バサリと音を立てて引き渡されてしまった。
複雑そうにその花の行方を見送った殿下は、供の者に促されると、黙って最前列へと場所を移した。
「── 中断してしまい、すまない。
このように多くの者に集まってもらい、また心から慕われていた事を改めて知り、誇らしく思うとともに、このような手段を取らせた事を悲しく、とても……悔しく思う。皆の心に浮かぶ事は、私の心にも同様に浮かび、決して消えないものだ。
ただ、かつての娘の言葉を、日々を胸に見送ってほしい……」
言葉を詰まらせた宰相に、皆の視線が集まる。
すると宰相は、苦しみに耐えるような表情で、壇上に飾られた一枚の肖像画へと視線を向けた。
宰相が向ける視線の先には、あどけなく柔らかに微笑む一人の少女が描かれた絵画が飾られていた。
窓から差し込む陽光に、少女の髪が照らされて輝く様が清廉さを表しているようだった。
「神の御許に、言葉なく行ってしまった我が娘に、安らかな眠りが訪れることを願うばかりだ」
黒の額縁の中で微笑む彼女は、宰相の愛娘であるオフィーリア侯爵令嬢だ。
学園で皆と共に過ごしていた時にも良く見せていた微笑みが、一層柔らかく描かれている。それが余計に胸に迫り、啜り泣く声が少し大きくなった。
喪主である宰相の言葉が終わると、神父が進み出て献花へと流れる。
参列者は各々手に白い花を持ち並ぶ。
壇上の棺へと花を添えると、黙祷を捧げ、宰相へと黙礼をするのだが、失った者の大きさからか、隠す事なく声を上げて泣く者、捧げたその場で泣き崩れて棺へと縋り付く者が後を絶たなかった。
その中でも、倒れそうな顔色の令嬢は、棺の元で蹲り、耐えかねる様に泣き叫んだ。
「オフィーリアさまぁぁぁ!あんなに言われておりましたのにっっ!貴女様に、諭されましたのにぃぃぃっっ、勝手なことを止められずにっっっこんな……!こんなことにぃぃぃ!私が、あの男爵の女狐に制裁をとっっ!」
わぁわぁと泣き叫ぶ令嬢の言葉に、皆顔を歪めて唇を噛んだ。
「お、おい、今のはどういう事だ……?」
誰も口を開かず、令嬢の嘆きに黙り込む中、驚いて声を上げた者が一人だけ居た。
「今のは……おい、お前、男爵がどうのと言ったな?どういう事だ!」
棺へと縋り付く様に手を添えて、冷たい石床へと座り込んでいる令嬢に近寄って問い詰めたのは、遅れてやってきた殿下だ。
床へと座り込む令嬢の腕を掴んで、強引に向かせると、ボロボロと流すまま涙を拭う事もしない令嬢は、懺悔する様に手を組んだ。
「も、申し訳ぇぇぇ~~っ!わたっわたくしはっっっオフィーリア様に何度とめられようとぉぉっ!ぅっっっっく、あの女狐がゆるぜなぐでぇぇぇっ、うっぐ!女狐の゛ぉ、教科じょとかぁっっ、び、びりびりにっっっ!あんなにオフィーリアざまにっっとめられてっっっ」
目の奥が痛む様な感覚に襲われるが、そんな事に構っていられない殿下は、聞き取りづらかった嘆きを頭で整理し愕然とする。
「っは、うそ…だろ?それはあいつが…オフィーリアがやったことではないのか……?」
「わだじがっオフィーリアざまを想っでっっっ……いいえ、ぞんなのは建前だわっっっ!あんな女狐がオフィーリアざまに゛っ気にかけてもらえててぇっっ殿下とオフィーリアさまの間に入り込むのがっっうっっ、忌々しくっでぇっっ!」
「……なんっっ!」
涙でぐちゃぐちゃな顔を拭うことも隠しもせずに、懺悔を続ける令嬢。殿下はあまりの言葉に、気付かぬうちに掴んでいた腕を離していた。
「なんて事だ…だがオフィーリアは他にも」
すると、その懺悔が呼び水となったのか、数人の令嬢達が、床へと崩れ落ちた。
「わたしもっっ!気に食わなくてあの女狐をっっ!池に突き飛ばしてっっ」
「居なくなれば、きっとオフィーリア様が幸せに……とっっ!」
次々と上がる言葉に、懺悔に、理解が追いつかないまま令嬢達の嘆きを聴き続けることになる。
「ま、まてっ、お前たちっっ!オフィーリアがやったとか、指示を受けたとかじゃなかったのか?!」
呆然とする殿下は、一人ずつ目を向けて見回すが、誰一人として殿下の言葉に、肯定を返す事はなかった。
壇上の神父の隣に立つ宰相は、眉間にシワを寄せ、無言のままそれらに憎悪の瞳を向けていた。
『オフィーリア、お前との婚約は破棄だ』
そう殿下自身の口で紡いだ言葉をオフィーリアに放ったのは、つい数週間ほど前だ。
その記憶が鮮明に蘇る。
『───どうしてっ───』
まるで崖から突き落とされたかの様な、絶望に落ちゆく表情で此方を見ていたのは、かつての婚約者だった女性。
『私が何をしたというのですかっ…私は何もっ』
『マーガレットを詰り、虐げ、害し、命まで奪おうとした張本人がっ今更言い訳とは見苦しいっ!私が何も知らないと思ったのか!これ以上見苦しい真似をするならば、国外追放に処し、家に責を問う事になるぞ』
『殿下っ!私の言葉もお聞き届けくださいませっ!』
『おい、衛兵っ!摘み出せ!!』
『殿下ぁっ!!家にはっ、父は関係ございません!どうか、どうかっっ』
目撃者が多数いた事で、彼女の罪は確定した物と……今までそう信じていた。だからあの時もみっともなく言い訳する彼女に、毅然とした態度で……
「嘘だ、だって目撃者があんなに……」
震える手先を握りしめ、殿下は目撃者からの言葉を思い出す。
『ええ、確かに池に突き飛ばされているところを見ました。オフィーリア様とよく一緒に居られる、伯爵家の…様も』
『数人で放課後の教室に来られていました。オフィーリア様と同じクラスの…様とか』
どれもこれも「オフィーリア本人が」とは言っていない事に今更気付いてしまったのだ。
『わっ、私、身分を弁えろとか、殿下に近寄るなとか、娼婦崩れとかって、大人数で詰られてっ!怖かったですっ』
『なに、そんな酷い事をオフィーリアが?!』
『……わっわた、し、本当に怖くてっ!』
『囲まれて池に突き飛ばされて……殿下に近づくなって…』
『大丈夫か?!何故早く言わない!助けを求めてくれなかったんだっ』
『だって……殿下が傷ついたり、ガッカリしちゃうんじゃないかって……』
『!それはオフィーリアがやったと……!?』
『あのっ、でも大丈夫です、どこも怪我しませんでしたからっ』
「── だとしたら、何故マーガレットは…!いや、おかしいだろう?確かに……?!」
── 言ったか?言っていたのだろうか?誰か一人でもはっきりと。
「 オフィーリアがやった 」 と?
やっとその事に、思い至った殿下は、青褪めた顔で見回し、棺を視界に入れた。
「オフィー……リア?嘘だろ……お前がやったの……では……」
『私が何をしたというのですかっ…私は何もっ』
『殿下っっっ私の言葉もお聞き届けくださいませっ!』
「....!!!ぅ、ぁっっオフィーリア!!」
遂に己の所業に、放った言葉に畏れが湧き溢れ、殿下自身も膝を突いて慟哭した。
『わたし、でんかのおよめさん?になるの?』
初めて出会った顔合わせの時、あどけなく問うた小さな少女は、その後満面の笑顔で笑って『嬉しい』と言った。心から笑う少女と手を繋ぎ、一緒に笑った懐かしいあの日。
『殿下、いけません。人前ではキチンといたしませんと』
『殿下、贔屓は良くないですよ?でも難しいのは分かりますわ』
あのあどけなかった小さな少女は、正しく優しい、凛とした女性へと成長した。
共に歩み、国を支える彼女を誇らしく思っていた。だからこそ、マーガレットへの仕打ちに幻滅し、嫌悪したのだ。
『恐れながら申し上げます。……オフィーリアは絶望の末、身を投げました』
頭を抱えて掻きむしる。
今更すぎる真実に。
遅すぎる真実に。
「ぅわぁぁああ…おぉぉオフィーリアぁぁぁぁ!!」
あの日破棄を告げたオフィーリアの様に、今まさに殿下が絶望の淵から真っ逆さまに落ちていく。
── カツン カツン カツン
硬質な石畳に響く音が、殿下へと近づいていく。
「何もかも…遅いのです。ですが私は問いたい。何故婚約に関わる事を、陛下や私抜きで判断し、娘を詰り、断罪し、脅したのですか…?」
「宰相っ!脅したなどっ違うっっ!」
『これ以上見苦しい真似をするならば、国外追放に処し、家に責を問う事になるぞ』
「───!!!」
「やっと気付いたのですか?あれは紛れもなく脅しに当たると」
すぐ近くに立ち止まった宰相は、座り込む殿下を上から鋭く見据える。
「オフィーリアから、ある程度の話は聞いておりましたが。殿下が特定の女生徒を傍に置いていると。妾妃になるかも知れない可能性も。学園の雰囲気が少々不穏だとも。娘は懸命に諫め、宥めていました。……力及ばず抑えきれませんでしたがね。私も陛下に進言しましたよ。殿下の態度が正されなければ、解消を視野に入れてくれる様にと」
「……!!そん、なこと」
「いいえ、聞いているはずです。ですが『相談に乗っているだけ』『可哀想な娘で』でしたか?」
「それ、は……」
殿下は周りからの言葉に、確かにそう返した事を思い出して黙り込む。
「あの様な証言で……直情型もここまで来ると害悪ですね」
興味が失せたように殿下から視線を外した宰相は、悲しみと嘆き、懺悔に暮れる者達を見渡した。
「『かつての娘の言葉を、日々を胸に』、後悔と絶望の日々を、私と共に送りましょう」
昏いその目は、決して赦しの日が来ない事を物語っていた。