再生
ある人は言った。『過去も未来も存在しない』と。
あるのは『現在という瞬間』だけだと。
ならば私が立っているこの場所はいったいどこだと言うのだろう?
気が付くと布団の中にいた。
病院ではなさそうだ。
天井には見覚えのある染みがある……ここは私の部屋のようだった。今では甥の洋輔の部屋になってしまっているが。
しかしなんでココで寝ているのだろう?
私は記憶を辿ってみる。
多分、事故に遭ったのだと思う。自宅まであと少しの交差点でクルマに撥ねられたのだ。髪の長い女が血相を変えて走り寄ってきたところまでは憶えているが……で、ここに運ばれたってことか?
交通事故の患者の搬入先が実家って……ちょっと考えられないが、現にこうしてココにいる以上そういうことなんだろう。
ん? そういえば痛みがまったくない。
もしかしたら夢か?
それにしてはリアルすぎるとは思うのだが。
部屋を見渡す。
この部屋に入るのは十五年ぶり位だが、私の部屋だったころと何も変わっていない。
窓ぎわにある勉強机は私が使っていたモノだった。
きっと洋輔が使ってくれているのだろう。手入れがよく行き届いているらしくそれほど古さを感じさせない。
私にとっても愛着があるこの机を、甥っ子も大事に使ってくれているようで少し嬉しい。
私は立ち上がり背筋を伸ばした。
ここ数年悩まされ続けている腰痛が今日はまったく気にならない。何となくカラダが軽いような気がする。
部屋を出て洗面室に向かう。
左手には祖父の自慢だった庭がある。今朝も早くから庭師が来て、手入れをしてくれている。遠目に見る庭師の後ろ姿は、どことなく祖父に似ているような気がして寂しさが込みあげてくる……ん? ふと庭をみて首を傾げた。
なんで梅が咲いてるんだ?
詳しいわけではないが、今が梅の時期ではないということぐらいはわかる。
寝起きで少しぼけてるのかもしれない。冷たい水で顔を洗った方が良さそうだ。
洗面室に入り、洗面台の水道の栓に手を伸ばしたところで違和感を憶え、顔を上げた。
「……?……!!!!」
正面に据えられた鏡をみて私は声を失った。
鏡に近づいてみた。
水道の栓を捻り、蛇口から溢れ出る水を勢いよく顔に浴びせてからもう一度鏡を覗き込んでみる。
何度覗き込んでみても同じだった。いったいどういうことなんだ?
鏡に映っているのはどう見ても中学生のころの私じゃないか。
私はしばらく洗面台に手をついたまま固まっていた。頭の中で色々な理由をこじつけてみるが、どれも『正解』には導いてくれそうもない。私は悪い夢でも見ているのだろうか?
「具合でも悪いの?」
後ろから声をかけてきた女の子と鏡越しに目があった。私はますます混乱した。
私を覗き込む『制服姿の少女』はどうみても叔父の娘だった。
頭を抱えながら彼女に尋ねる。
「俺、何歳だっけ?」
「はあ? ふざけてるの? おいていくわよ」
彼女は私の頭を小突いた。
冗談を言っていると思っているようだ。私はもう一つ質問した。
「洋輔は?」
「誰? それ」
即答だった。
彼女は自分の息子を憶えていないらしい。いや、まだ知らないというべきなのだろうか?
どういうわけか私は中学生の頃の自分に戻ってしまっている。
なぜこんなことになったのかはわからない。ひとつだけ心当たりがあるとすれば……願いごとだ。あの日、白蛇に向かって呟いた『叶うはずのない願いごと』。少なくとも私の願いは間違いなく叶えられた。確かに祖父に会うことができたのだから。
なんだかワケもわからないまま、勝手に動き出してしまったニ度目の人生。
ソレに逆らうこともできずに、ようやく受け容れる覚悟を決めた高校二年の夏、私は学校帰りに背中を刺された。
振り返ると、そこには小学校から一緒の『親友』が立っていた。彼はしゃがみ込んだ私に手を差しのべることもなく、傍らの石を掴み上げるとそれを私の頭に打ち付けた。何度も、何度も。
私には何が起こったのか解らなかった。しかし同時に死を悟った。
初めて『死んだ』あの時と同じように。
しばらくして気が付くと私はベンチに独り座っていた。
終電の出てしまった真っ暗な駅のホームの中央。擦り切れたネクタイをぶら下げて。
以来私は生と死を繰り返している。
これまでに何度も生まれ変わり、そのたびに様々な死を経験させられている。そのバリエーションの豊富さには呆れるほどだ。
ひとつ知ったのは『死には必ず痛みを伴う』ということ。死の間際にはいつも『恐怖』に怯えている。
その後も『親友』とは何度も出会い、お互い『親友』の仮面を被り続けている。
何度か出会ううち、彼が私を殺した理由を知ることもできた。何時から殺意を持ち始めたのか、ということも。
しかし理由が明らかになったからと言ったって、殺されたことを赦せるほど私はお人好しじゃない。むしろ沈黙と我慢の日々は彼に対する憎悪を増殖させている。
彼を殺す日がやってくるのは、それほど遠い未来ではないかも知れない。
両親とも何度か会っている。
あの雨の日。両親が事故で死んだあの日。
私は必死で彼らをクルマに乗せまいと努力した。しかし両親は私を笑顔であしらい出て行ってしまった。私は止めることができなかった。死ぬことがわかっていたのに何もできなかった。
私は両親を見殺しにしてしまったのだ。
私は自己嫌悪と無力感と、この永劫回帰のループに嫌気が差して何度か自殺を試みた。しかしこの呪縛から逃れることは未だできていない。相変わらず終わりの見えないウロボロスの背の上を歩きつづけている。
幾度かの再生を繰り返したいま、私は実家にいる。
そして十六夜の晩に私は『奥の間』に篭もり、彼が現れるのを静かに待ち続けている。
祖父は『神様と会えるのは一生に一回』と言った。しかし生と死を繰り返している私にとっては『一生』という単位はあまり意味をなさないモノだと解釈している。
最近になって少しだけ解りかけてきたこと。
まるで何かに取り憑かれたかのように、生きることを強制されている理由。
病弱だった私が、みるみる健康になっていったその理由。
尤も祖父が望んでいたのはこんなものではなかったのだろうが。
今日は十六夜。
私はいつものように『奥の間』に篭もっている。
せめて『前世』の記憶が消えてくれることを切に願って。