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願い

 私は『生』への執着が強い人間だった。

 でも何時の頃からか『そんなもの』への執着は薄れ、いまでは興味すらない。むしろ『生』から目を背けたいと思うことの方が多くなってしまった。



 私は小学校入学直後から高校卒業までの時間を、東北の片田舎にある父方の祖父母の家で過ごした。

 父の実家は古くからの地元の名士で、江戸時代末期に建てられたという数寄屋造りのお屋敷が自慢だった。私はこの家で祖父母と叔父夫婦それからその娘の六人で暮らしていた。


 私の両親はともに高校のころまで柔道をやっていたらしく、特に父は大学からスカウトがくるほどの猛者だったそうだ。

 そんな屈強な二人のあいだに産まれた私だったが、子供の頃とてもカラダが弱く、医者からも『長くは生きられないかもしれない』と言われていたらしい。

 確かに病気がちで寝ていることが多かったようで、古い写真を見ると布団と一緒に写っているものが殆どだった。

 しかし私が小学校に入ってすぐの雨の日、父と母は帰らぬ人となった。

 両親の乗ったクルマが大型トラックに追突され、二人とも即死だったのだという。


 皮肉なものだ。

 頑丈を絵で描いたような両親が儚くもあっさりと命を落とし、何時まで保つのかと心配されていた私がこうして生き続けている。私が『生』への執着心を人一倍強く持つようになったのは、そんな幼少期を過ごしたことが少なからず影響しているのかも知れない。


 祖父母、とくに祖父が私に対して気を遣ってくれているのは子供ながらにも感じていた。

 私より一歳上の叔父の娘がよく『えこひいきだ!』と言っていた記憶がある。いまにして思えば、女の子ばかりの孫の中で私だけが男だったということもあったのかも知れない。もちろん病気がちな私のことが心配だったということが一番の要因だったのだろうが。

 とにかく祖父は私をかわいがり、いろんな話を聞かせてくれた。

 あの『願いを叶えてくれる神様』の話を聞かせてもらったのもそのころだったのだろう。



 実家には普段は使われていない『奥の間』と呼ばれる八畳間があった。

 祖父曰く『そこには願いを叶えてくれる神様が棲んでいる』と。今思えば座敷童子の亜種ってところなのだろうが、まだ子供だった私は目を輝かせて祖父の話に聞き入っていた。


 それは十六夜の晩の皆が寝静まるころ、奥の間で寝ていると枕元に立つのだという。もし運良く『彼』に会っても、驚いて騒いだり大きな声を出したりしてはいけない。心の中で一つだけ願いごとを念じる。ただそれだけ。神様の気が向いたときにだけ、願いを叶えてくれるのだそうだ。

「爺ちゃんは会ったことあるの?」

 黙って聞いていた私が興奮気味に尋ねると、祖父は静かに微笑んだ。

「願いは叶えてくれた?」

 祖父は少し首を傾げたが、やがて静かに頷いた。

「何回?」 私は続けて捲したてた。

 祖父は笑みを浮かべたまま首を振った。

「神様に会えるのは、一生のうちで一度だけだ。だから願い事も一つだけ」

 祖父は満足げにそう言うと私の頭に手を置き、もう一度微笑んだ。


 そんな田舎暮らしだったが、私にとっては水が合っていたようで徐々に食欲も増し、こっちにきてから一年が経つ頃には学校を休むことなど希なほどに元気な子供に成長していた。

 そんな私を祖父母が目を細めて見守ってくれていたのをいまでも思い出すことがある。


 その後の私は順調に成長し、高校を卒業後、東京の大学に進むことになった。

 出発の朝、祖父は駅まで見送ってくれた。そして私にお守りと封筒に入った手紙を握らせ何度も何度も頷いた。しわくちゃの顔に微妙な笑みをこびり付かせたままで。

 電車を待つあいだ、祖父はずっと沈黙を守っていた。

 私も何も言葉がでてこなかった。私の涙腺は決壊寸前だった。沈黙することでしかその堤防を守ることができなかったのだ。


 やがて電車がホームに入ってきた。

 私は地面にあった荷物を担ぎ上げ、祖父ともう一度握手を交わしてから電車に乗り込んだ。

――「元気でな」

 祖父の声に振り返ったのと、ドアが閉まるのはほぼ同時だった。


 ガラス越しに映る祖父の笑顔は歪んでいた。私の涙腺は決壊してしまったのだ。

 私はその場で膝をつき、号泣した。


 通路で気持ちが落ち着くのを待ってから座席に移動する。そこで手紙を広げてまた号泣した。

 祖父母の深い愛情に感謝して。

 そして卒業後にはココに戻ってきて親孝行ならぬ祖父母孝行をすることを固く心に誓って……。




 しかし人間ってのは薄情なもので、どんな決意もすぐに揺らぐようにできている。


 大学卒業後も実家には戻らなかった。都内での暮らしに慣れてしまうと、もう田舎暮らしには戻れない。

 時折アオダイショウが這い回るような家の中で年寄り相手に茶を啜るより、小綺麗な女の子と酒をあびるような生活の方に魅力を感じていたのだ。

 例えそれが嘘にまみれた世界だとわかっていても。

 私は、騙し騙されながら生きる道を自ら選んだのだ。


 実家には盆暮れの年二回、顔を出すだけだった。

 そんな私に叔父はあまりいい顔をしなかったが、祖父母はいつでも温かく迎えてくれた。もしかしたら『そろそろこっちに帰ってくるのかもしれない』と淡い期待を抱いていたのかも知れない。

 しかし就職して三年経った頃には実家に顔を出すことは殆どなくなっていた。


 祖父母のことがまったく気にならないわけではなかった。

 仕事が終わって夜中に帰宅すると、留守番電話が点滅していることがあった。携帯電話が全盛のこのご時世、自宅に電話をしてくるのは『いかがわしいセールス』か『祖父』しかいなかった。

 留守電に残された聞き覚えのある声は、いつも私のカラダを気遣う言葉で溢れていた。その声を聞く度、私は心の中で形式だけの懺悔し、また普段の堕落した生活に戻っていった。



 それから何年か経ったある日、叔父から携帯に連絡がはいった。

『今朝、爺さんが亡くなった』。


 私はガラにもなく動揺を隠せなかった。会社を飛び出して駅まで走り、実家へ向かう電車に飛び乗った。

 座席についたときにようやく気が付いた。

 私は号泣していた。田舎を飛び出したあの日と同じように。




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