ミュンヒハウゼンと王子
「なあミュンヒハウゼンよ。子供の頃の私にお前が言った事を覚えているか」
豪奢な椅子に座った端正な顔立ちの王子は、ミュンヒハウゼンにそう問いかけた。
王子の横に立つ初老の男性は、ゆっくりと首を縦に振りながら答える。
「ええ。ワタクシは王子に関わる事ならば、どんな事でも仔細に記憶しておりますとも」
「本当だな?」
「もちろんでございます」
「ならば、その時何を言ったのか答えてみよ。今ここでな」
「……失礼、年のせいですかな。喉の調子があまり良くないようで、最低限の発声以外は控えているのですよ」
わざとらしく咳払いを始めたミュンヒハウゼンに冷めた視線を送った。
「先ほどまで私の生活態度について散々嫌みを言っていた人間のセリフとは思えんな。まあいい。これを見ろ」
そう言って、王子は机に積み上げられた大量の紙を指差した。
ミュンヒハウゼンは、その内の一枚を手に取って眺めた。
「何の変哲もない、ただの見合い申し込みの書簡ですな」
「そうだ。私が二十歳になったのだから良い機会だと父上が公募した結果、こんなに集まってしまったのだ。この馬鹿げた紙の束から私の花嫁を選べだと?実にくだらぬ!」
王子は足を組んみながら鼻を鳴らした。
「 ご不満はおありでしょうが、ワガママが通るような話でもありますまい。今後の国の安泰のためにも、王子が早々にご結婚なされて国民を安心させるのは次期王としての責務でございます。まあ、ワタクシが言うまでもなく聡明な王子ならば理解しておられるとは思いますが」
「余計な一言がいちいちうるさいぞ、嫌みな奴め。そんな事はわかった上でお前に話しているのだ。私は、結婚自体に不満を抱いているわけではない。気に入らんのは、方法だ」
「方法でございますか」
王子は紅茶を飲みながらゆっくりと頷く。
「ワタクシには、王子が見合いの内容をいちいちチェックするのを面倒がっているようにしか見えませんがね」
「……いや、まあそれも正直あるにはあるのだが……そうではなく、見合いというものが気に入らんのだ!」
「と、言いますと?」
「この中から誰を選ぼうが、必ず婚姻は成功してしまうだろう。王族である私の立場に加え、この顔立ちだからな。引く手あまたというやつよ」
「ご自分に自信を持つのはとても良い事ですが、それを口に出してしまうのは下品で嫌みな奴と捉えかねられませんぞ」
「お前、さっき私が嫌みな奴と言ったのを根に持ったな?下品という単語まで付け加えおって……」
「失言でした。お忘れください」
「そのセリフ、今日だけで八度は聞いたわ。ええい、話を戻すぞ。ともかく、絶対に成功する結婚など何も楽しくはないという事だ」
ため息をつきながら王子は頬杖をついた。
「つまり、見合い以外の方法で相手を見つけたいということですかな?」
「そうだ。私は情熱的な恋愛の末に、生涯を共にする女性を決めたいのだ。そこでお前の知恵を借りたい。どうすれば見合いを無視しつつ、私好みの結婚相手を探せると思う?」
「そうですなぁ……」
ミュンヒハウゼンは顎に手を当て真剣な顔でしばらく考えた後、手を叩いて答えた。
「ワタクシならば、その辺の町に繰り出して片っ端から女性に声をかけますな。そして適当に楽しんだ後に、その中から誰かを選んでしまえばいいのですよ。ついでに子供も作ってしまえば、なおよいでしょうなぁ。王子の子供を無下には扱えますまい」
「お前は本当に最低だな!そんなことをすれば父上に斬首されるわ!」
笑いながら話すミュンヒハウゼンに、王子は激怒した。
「ははっ、ワタクシは処刑されそうになってもあっさり逃げ出せる身軽な身分ですのでな」
「仮にも私の付き人をやってきた人間とは思えん言葉だな。とにかく却下だ。他の案を考えろ」
「ふむ。後は、逆シンデレラ作戦などいかがでしょう?」
「シンデレラ、とは何だ?」
そうたずねると、ミュンヒハウゼンはクローゼットを開け、奥から本を取り出し王子に手渡した。
「そんな所に本を隠していたのか」
「国王様より娯楽の類いを禁止されていた王子のため、こっそりと絵本の読み聞かせをしていた名残でございます。さて、それが庶民の間で十数年前に流行った物語『シンデレラ』ですな」
「ほう、これが……いや何となくだが内容を思い出せるものだな。庶民の女が美しいドレスを身に纏い、舞踏会で王子に見初められる話だったか」
パラパラと本をめくりながら、王子の顔は思わずほころんでいた。
もう子供の時とは違って絵本を読む事は禁止されていないのだが、あえて読む機会はなかったのだ。
「子供向けにしては、なかなか出来の良い物語であった。それで、逆シンデレラというのはどういうことだ?私はすでに王子なのだが」
「王子という立場のまま、ガラスの靴に合う女性を自分から探しに行くのです。自らシンデレラを見つけにいく、ロマンチックでございましょう?」
「まあ、一理はある。だが、問題があるぞ」
「何でしょう?」
「私好みの女性がいたとして、足にぴったりはまる靴はいかにして用意するのだ……?」
当然の疑問に、ミュンヒハウゼンは顔を硬直させた。
無言の時間が流れる。
「……王子」
「……何だ」
「お好きな足のサイズなどは……」
「あるか!知らんわそんなもの!」
「ならば、ガラスの靴をサイズ毎に大量生産して持っていけばあるいは良いかもしれませんなぁ」
「もはやロマンのかけらもない光景だな!靴を大量に持って必死にサイズを合わせにいったらいい笑い者だ」
ため息を一つつく。
「よく考えれば、この見合い書簡の中から何人かには会わないといけないのだったな。このようなことをしている場合ではなかったぞ」
気を取り直し、王子は紙の束に手を伸ばした。
少しふざけすぎてしまった事を反省しつつ、ミュンヒハウゼンは紅茶を入れ直し、ふと疑問に思った事を口にした。
「王子」
「何だ、今は忙しいぞ」
「申し訳ございません。王子の好みの女性とは、いったいどんなものなのかと気になりまして」
「料理が得意でおっとりした雰囲気で純朴で優しく裁縫が趣味で栗色の髪の女性……その程度だな」
「急に早口になりましたな。それでしたら、こちらの女性はいかがでしょう?」
そう言ってミュンヒハウゼンは、最初に適当に取った紙を差し出した。
奪い取るように王子は受けとると、食い入るようにそれを見つめた。
しばらくして、椅子にもたれかかりながら息を吐く。
「ミュンヒハウゼンよ……」
「はい、何でございましょう」
「よくやった。明日の私の予定を調整しておけ。城下へ向かうぞ」
「承知いたしました。王もお喜びになるでしょう」
今日も、王国は平和です。