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第3話 第一の力、覚醒

 溝の周囲には、直方体に切った石や木材が積み上げられている。どうやら何らかの工事をしている途中のようだ。他に道標もないので、私は溝と工事跡を辿って行く。


 月明かりを頼りに歩いていくと、丘の終わりに辿り着いた。丘と森の境には何か奇妙なものが立っている。十字架のようなシルエットの、私の背丈よりも高い杭のようなものが直立している。近づいてみてゾッと鳥肌が立った。


 それはいわゆる案山子であった。ただし、普通の案山子と違って、頭の部分は人間の頭蓋骨だった。まだ血や肉片がわずかにこびりついたそれは、作り物には見えない。まるで十字架にかけられたような姿勢で磔にされていた。よく見ると、ボロボロになった衣服は、私が着ているものと同じだった。


(逃亡者の末路ってわけだ)


 私は怖気づく自分を奮い立たせ、案山子の傍を通り過ぎようとした。


 瞬間、何かが変化した。


 案山子の横を通過した瞬間、何かがプツリと切れたような気がした。


 まるで張り詰めていた糸が、私の通過によってゴールテープのように切られたような気配がした。


 私は思わず振り返り、そしてすぐに後悔した。振り返ることに時間など使わず、全速力で走り出すべきだった。


 案山子がこちらを向いていた。生前なら不可能だったであろう角度で首を回し、すでに何も見ることのできないはずの眼窩をまっすぐこちらに向けていた。そして、


「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ」


 けたたましい音を立て始めた。顎の骨を上下に動かして、歯と歯を鳴らしているのだ。それは静まり返った広野に、驚くほど大きく反響した。恐ろしい光景だった。死者が私の足掻きを嘲笑っているかのようだった。頭蓋骨の嘲りは一向に鳴り止まない。これではまるで…


「警報だ……!!」


 気づいた時には遅かった。屋敷の方角から無数の声が聞こえ始めていた。


 いや、ただの声ではない。人間の発する言語ではない。


 犬だ。犬のがなり立てるような吠え声が私を追って来るのだ。


 私はもう我を忘れて森の中へと走り出した。人間ならまだ良い、森に身を隠すことさえ出来れば見つからない可能性はある。


 だが、犬はダメだ。私は昨日から着の身着のままで風呂に入っていないため、体臭が強くなっているだろう。おまけに、さっき怪我をした左手の甲は、巻いた布に血が滲んで垂れ始めている。


 これらの匂いの痕跡を逃す犬はいまい。


 下手をすれば食い殺されてしまう。


(ひょっとしたら、あの案山子も奴らの食い残しか!?)


 なおも後方で歯を鳴らし続ける死者のことを考えて、私は血の気が引いた。しかし、とにかく走らなければ、私も案山子と同じ運命だ。


 段々と吠え声が近くなっているのを感じる。森の中は工事の跡に沿って切り拓かれていた。木の多い場所に逃げ込むのが得策かもしれないが、不幸にも私はこの森の地理に詳しくないので、とにかく工事跡に沿って全力疾走した。


 犬の吠え声は近づいてきているだけでなく、徐々にその数を増しているような気がした。最初は背後から聞こえていたものが、やがて左右後方へと散らばって行く。回り込んで退路を断つつもりだろう。


 諦めたわけではないが、このままでは逃げ切ることは難しい。私はどこか登りやすい木はないかと辺りを見回しながら走った。しかし、どの木も犬に追いつかれずに登るのは難しそうだ。よく見ると剪定された木もある。


 考えてみれば、こんなに人気のない土地で奴隷が逃げ出すことを考慮しないわけがないのだ。しかもあんな、おかしな仕掛けまで用意して。この森も含めた一帯が、あの城の支配下にあるのだろう。奴隷が逃げ出しても、逃げるルートは無意識に人工物を辿ってしまうように誘導されていたのかもしれない。


 人生の中でこんなに走ったのは初めてだ。私の足は限界に達していた。


 わずかな石の段差につまずき、顔面を地面に叩きつけられた。


 顔の皮がずり剥けたのが痛みでわかる。


 それでも立ち上がろうとしたが、ダメだった。


 まず最初に追いついた1匹が私の背中に飛びつき、首の後ろへ噛みつきにかかった。振り払おうと体を振り回したが、服の袖を別の2匹に引っ張られてよろめく。


 すかさず後の数匹が我先に飛びかかり、私は完全に倒された。容赦なく手足に噛み付かれ、四方へ乱暴に引っ張られる。私は観念して目を閉じていたが、顔面に噛み付かれて痛みのあまり悲鳴を上げた。


 もはや左手の甲の傷など数に入らないほど、瞬く間に私の体はボロ雑巾のように弄ばれた。皮膚が引き裂かれ、牙が骨まで達してメキメキと音を立てているのが伝わってくる。


 もうお終いだ。


 私は朦朧とする意識の中で目を開いて、


(ああ、クソ、勝てるわけがない)


 と思った。


 こいつらは犬ではない、狼だ。


 大人の男の腕よりはるかに強靭な脚、人間の頭すら易々と咥えられる大きな顎。犬よりはるかに狩りの上手い生き物だ。


 右手首が食い千切られるのがわかった。


 柄にもなく無茶をするからこんな目に合うのだ。


 臆病者らしく、奴隷に甘んじていれば良かった。


 私は死を覚悟した。


 だが、最初に死んだのは私ではなく、私の左手に噛みついた一頭だった。


「…え?」


 狼は、()()()()()()()()()()()()()


 私の左手はとんでもないことになっていた。


 あの手の甲の傷が、腕全体に広がったとでもいうべきか。


 通常なら見ただけで失神しそうなほど、グロテスクな口がぱっくりと開いていた。


 そう、口だ。


 比喩ではなく、傷の縁にはびっしりと歯が生えていた。


 狼よりもさらに鋭い乱杭歯が、襲ってきた狼を逆に獲物として捕らえているのだ。


「何じゃこりゃ!?」


 我が腕ながら実に醜悪で気持ち悪い。口からは無数の糸状のものが伸びて、左腕に食らいついていた狼の鼻先に巻きついている。糸は赤く、神経とか血管がそのまま飛び出したかのようだ。だが、かなりの強度を持っているらしく、私の意思と無関係に狼をギリギリと締め上げていく。


 周囲の狼も異常に気づき、威嚇しながら私から離れた。私は自分でもパニックになりかけながら、これが恐らくヨミの言っていた『神様の力』とやらなのだろうと思い至った。


 締め上げられた狼は既に動かなくなっていたが、糸(というより触手と呼ぶべきか)はなおも引っ張るのを止めず、とうとうグシャリと嫌な音を立てて狼の頭が潰れた。飛び出した目玉がダラリと垂れ下がり、血と脳漿の混ざった体液が滴り落ちる。


「うぇっ……!」


 私は吐き気を催して目を逸らしたが、次に左腕が取った行動はさらにおぞましいものだった。


 バキッ、ボキッ。


 腕を伝わる骨の折れるような振動に、恐る恐る目を向けると、なんと私の左腕が、殺した狼を吞み込もうとしていた。触手はカメレオンの舌のように傷口へと引き込まれて、狼の潰れた頭が乱杭歯によって噛み砕かれていた。


「な、何やってんだ!?」


 左腕はもはや私の制御を離れて、別の生き物のように勝手に捕食していた。大蛇が獲物を呑み込むが如く、狼の胴体まで食らいつくそうとしている。


 だが、周囲の狼も黙ってはいなかった。痺れを切らしたように私の千切れかけた右腕へと群がる。


「クソ、ちょっと待て!!」


 私は痛みしかない右腕を無理矢理上げて顔を庇った。


 瞬間、右腕に襲いかかった3匹の動きが急に止まった。私の千切れた手首や、突き出した骨の中から、またもや触手が出現し、3匹を捕らえたのだ。


 そして、3()()()()()()()()()()()()()()


 ベーゴマを見たことがあるだろうか。紐を渦状に巻きつけて、その紐を引いた勢いでコマを回転させる玩具だ。狼の首も同じように、巻きついた触手の引っ張るエネルギーによって360度以上回転した。


 3匹は鳴き声を上げる間もなく、首をぶら下げて絶命した。


 他の狼どもは恐慌状態に陥っていた。無抵抗に喰い殺されるはずの獲物が、突然訳のわからない怪力を使って4匹も同胞の命を奪ったのだから無理もない。


 逆に、私の方はパニックから段々と平静を取り戻し、臨戦態勢に入っていた。


「もう少しカッコいい能力が欲しかったんですけどね、神様」


 私の心には、能力の覚醒により「生き残るための活力」が再び宿り始めていた。


 私は暴力が嫌いだ。振るわれるのは痛いし、振るうのは自分が酷く単純な生き物になったようで不愉快な気分になる。人間ならば、言葉が通じるならば、言葉で解決できるはずだ。


「強く生きなさいアキヒコ。どんな目に合っても、生きることに全力を注ぎなさい。そうすれば活路は開けるわ」


 母は、幼い頃からたびたび私に言って聞かせた。他人に貶められても、地を這いずっても、「生きる」という強さを持つことを止めるな、と。だから私は他者にへり下ることを躊躇しなかった。暴力に屈しないことが道徳的に正義なのだとしても、立ち向かって勝てない戦いは無駄だ。それが私の選んだ生き残るための道だ。否、道だった。


「だが、暴力に立ち向かう『力』を得たのなら話は別だ。あんまり良い見た目じゃないかもしれないが、命が助かるなら気にする必要はない」


 私はゆっくりと立ち上がり、狼どもを睨んだ。左腕は1匹を、右腕は3匹をあっという間に平らげた。それと同時に、再生不可能かと思われた右手首や皮膚が治り始めた。どうやら、神様のくれた能力は、生物を捕食して傷を再生させるというものらしい。しかし、全身の傷は完全には消えておらず、その全てが両腕と同じような変異を見せていた。つまり、私は今、全身に口を持つ怪人と化しているのだ。


 正直に言って、元の世界の日常でこんな目に合ったらもっとパニックになって、狂気に蝕まれていたかもしれない。しかし、この未知の異世界で、今まさに理不尽な暴力に晒されている私にとって、この冒涜的な怪力は唯一の頼もしい味方に思えるのだ。


 私は、狼の群れに手を伸ばすイメージで勢いよく左手を突き出した。予想通り、傷口から触手が伸びた。先頭にいた1匹を捕らえてこちらへ引っ張る。狼は怯えたような鳴き声を上げたが、散々いたぶられた私に容赦する気持ちは毛頭なかった。とうとう恐怖に負けた他の群れは、自分達が来た方向へと逃げ出した。


「逃がすか!」


 私は捕らえた1匹を(くび)り殺すと、足に力を入れた。


 足の傷口から出現した触手は束になり、足を包むバネのような螺旋状の形態になった。私が力任せに地面を蹴ると、信じられないほどの跳躍をして、群れの最後尾に追いついた。


 だが、勢いが強すぎたらしく、そのまま群れに頭から突っ込んでしまった。私が頭を打ってフラフラしている間、群れは散り散りになった。衝突した勢いで1匹が死んだが、まだ群れは10数匹以上生き残っている。とりあえず目に見えた群れへ腕を伸ばしたが、触手は狼には届かず、私と群れの間に生えていた木に絡みついた。


(そうか、コイツは伸ばす方向はコントロールできるけど、一番近くにある物に本能的に絡みつくらしい)


 木から引き剥がそうもしても思い通りにならない。逆に木の方がメキメキと折れ始めた。このままでは群れが逃げ帰ってしまう。


 あの狼は、骸骨の警報を聴いて屋敷の方から出現した。それはつまり、あの屋敷で飼われている番犬ということなのだ。奴隷を殺した形跡もなく、数匹足りない群れがパニック状態で屋敷に戻れば、私の生存がバレてしまう。


 そうなればすぐに別の追っ手が出されるだろうし、屋敷にいるローレの救出も難しくなる。絶対に狼を生きて帰す訳にはいかない。


 追われる身から追う側に逆転した私だが、不利な状況にいることは変わらなかった。

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