夏の思ひ出 一
家の近くの畑道を通ってたら思い浮かびました。
なかなか進まないので、少しずつ投稿していきたいと思います。
僕は夏が嫌いだ。
誰かが季節の話題を出したときに呟いた一言だった。
幼い頃、夏は決まって祖父の家に家族で遊びに行ったものだ。
僕の家からそう離れていないが、一つ市が違うだけで雰囲気はガラリと変わる。
普段は四六時中、人の声や車の音が聞こえるが、あそこは近くに畑があるということもあって静かに時間が流れていく。
一番、古い記憶は五歳のときのものだ。
前々から母から泊りがけで出かけるとは聞いていたが、"会ったこともない誰か"に会わなければならない事実に対して、父と母や幼稚園の人間にしか面識のない僕は一抹の不安を抱えていた。
迎えた当日、乗り始めて日が浅い自動車に乗って行った。
三十分ほど揺られて到着すると、祖母が笑顔で迎えてくれた。
当時、人見知りだったこともあり僕は最初、母の後ろに隠れていたのを憶えている。
そんな僕の手を祖母は「はじめまして」と握ってくれた。初めて握るその手は、シワだらけで、初めての感触で、少しだけ冷たかった。
祖母に促されて家の中に入る。建てて少しの我が家とは違い、その家は和風で古めかしく独特の匂いが漂っていた。
居間に行くと低い机に肘を乗せながら座椅子に座った祖父がテレビを見ていた。
「ほら、皆、来たわよ」
祖母の声に振り向いた祖父の顔は今でも鮮明に覚えている。仏頂面で鋭い目は、中々、怖いものだった。
「久しぶり親父、また薄くなったんじゃないか?」
父が自身の頭を撫でながら言うと祖父は腹を叩きながら言い返す。
「お前こそしばらく見ないうちに太りすぎてないか? 嫁さんの料理が美味いのはいいが、気をつけたほうがいいぞ」
そう言われると父は笑いながら祖父の向かいに座った。
僕が母の後ろでその光景を眺めていると祖父と目があった。
「よう、大きくなったな」
低く静かな声に僕の身体は少し震える。
「覚えてないさ、会ったのは生まれたばかりのときだから」
笑いながら父はそう言った。
母に前に出て挨拶するように言われたが、怖くて前に出られない。困った表情をしていると祖父は持っている新聞に目を向ける。
このとき僕は、祖母を"優しい人"と思っていたが、対して祖父のことは"怖くて近寄りがたい人"と感じた。
その後、両親は祖母と近況報告を兼ねて話していた。その間、僕は隣の部屋で持ってきたおもちゃで遊んでいるだけ。
襖を開けていたから向こうの状況は見れたが、時折、祖父と目が合うと咄嗟にそらした。
夕方頃になると祖母は夕飯の準備のために立つ。母も手伝うと言って台所に向かう。
二人きりになった居間はしばらく無言だった。
すると祖父が先に話し出す。
「あいつ、小さい頃のお前にそっくりだな」
「そうか? 俺は騒がしくて手がつけられないって散々、言われてたけど」
「確かに小学世になった辺りから面倒なやつになったが、それまではばあさんの後ろに隠れるくらいおとなしかったぞ」
そうかなと頬を掻く父。
祖父はこちらを向いて手招きをした。
最初は首を振っていたが、父がおいでと言ってくる。仕方なく僕は今に行き父の膝に乗った。
「愛嬌のないやつだな。そんなんじゃ友達も少ないだろ」
愛嬌というものが何だったのか当時の僕には分からなかったが、友達が少ないことはやや気にしていたため少しムッとした顔をしていた。
また少し無言が続くと、台所から母の声が聞こえてくる。
「ご飯、用意出来ましたよ!」
祖母と二人で料理を持って居間に入ってくる。机に並べられた料理は、見慣れないものもいくつかあった。
頂きます。手を合わせて言ったら僕の箸はいつも見る料理にばかり伸びる。
母の味を堪能していると、稀に違う味のものを口にする。当時は分からなかったが、今、思えばあれは父から見た"母の味"だったのだろう。
結局、僕の知らない料理には手を付けることなくその日の夕飯は終わった。
母と祖母は片付けを始め、父と祖父は酒を呑み始める。僕はまた隣の部屋でおもちゃを相手にしていた。
酔い始めた父は祖父にずっと話し続けている。
三十分ほど経つと、母が戻ってきて風呂に入るように言う。
「まだ呑んでるから、先に入るといい。子供も早めに寝かせたほうが楽だろう」
祖父に言われた母は僕を呼んで一緒に入ろうと言った。
コクリと頷き後ろを付いていくと小さなドアの前に着く。
開けると狭い脱衣所があり、その向こうには木製の引き戸がある。
服を脱いで中に入ると、真っ白なタイルと湯船の我が家とは違い、暗い色の床と鈍く光るステンレス製の湯船がこじんまりと置いてあった。
見慣れない風呂で母と二人きりで居ると、祖父についての話になった。
「じいじはどう?」
「こわい、あんまりおはなしできない」
そう言うと母は少し笑みを浮かべた。
「そうね、確かにじいじはあまり笑わないから最初は怖いかもしれないね。でも、本当は優しくて良い人だから、今は駄目でもきっと好きになるわよ」
あれのどこが優しいのか、僕は分からず首を傾げる。
風呂から出て居間に行くと、茹でだこのように真っ赤な父と変わらず静かな祖父が居た。
おもちゃを取りに隣の部屋に行こうとすると、祖父に呼び止められた。
突然のことに驚いた僕を見ると、祖父は台所からなにかを取りに行く。
戻ってきたその手には真ん中で折るタイプのアイスがあった。
「ほら、半分」
パキッと折ると片方をこちらに渡してくる。
ありがとうと一言だけ言って貰うと、祖父はもう片方を咥えながら座椅子に座る。
初めての施しは嬉しかったのを覚えている。
アイスを食べ終わると寝間着の母に呼ばれた。
一緒に寝ることを伝えられた僕はまだ風呂に入らぬ父と祖父に挨拶した。
「おやすみなさい」
「夜は風があるから風邪ひくなよ」
返事をして母と二階に上がった。
六畳の部屋で大きめの布団一つ敷かれた和室は、何も置かれていないこともあり当時の僕には広い異世界のようだった。
布団に入り電気をすべて消すと、外からの月明かりだけが僕たちを照らした。
母はすぐに寝息を立てたが、僕は眠れずにいた。
口の中のアイスの味、聞き慣れない祖父母の声、しきりに聴こえるカエルの鳴き声。原因はいくつもあったが、僕はただ目をつぶり時が経つのを待つ他なかった。




