試作品
この作品は、2018年11月25日に開催された「文学フリマ」にて私が所属するサークル「負犬連合」が販売した短編集に掲載したものです。
内容は、以前、メモ程度に書いた設定を使って新たに書いたものです。
UMA。「未確認生物」と呼ばれる彼らは、名の通り目撃例や伝聞のみが広がり、実在するかどうか分からない存在である。 例えばツチノコ、ネッシー、カッパ。どれも写真や映像は残っているが、居るという科学的根拠は何ひとつとしてない。
そんなUMAがもし、あなたの隣に居たらどうしますか?あなたが知らないだけでUMAは、人間の姿をしていて普通に生活しているかもしれない。
夕方の駅前は、帰路に向かう人々で溢れかえっていた。 茜色に染まる街並みを背に、改札口へ引き込まれるように。
しかし、ただ一人だけ改札口の前で立っているだけの人物が居た。ジーンズを履き、真っ赤なパーカーを着た少年は、ジッと行き交う人々を見つめていた。
特別、誰かを待っている訳では無い。ただ呆然と見ているだけで、意味など無かった。
「……帰るか」
ポケットに手を入れたままその場を去ろうとすると、後ろから声を掛けられた。
「また居るのか」
振り返るとそこには、黒いスーツを着た老け顔の男が腕 を組んで少年を睨んでいる。
「これから帰るんですよ」
「ならいいんだが。ここへ来て何をしてるんだ?」「別に」
端的に答えると少年は、そのまま人混みの中へ消えていった。少年が見えなくなるのを確認すると男は、携帯電話を取り出した。
「もしもし、立花だ」
立花は、電話をしながら少年とは逆の方向に歩き始める。
少年の家は街から離れた貧民街にある。古く今にも崩れてしまいそうな小さな家に、一人で暮らしているのであっ た。ライフラインなど、とうの昔から通ってない。近くの川で水を汲み、盗んだロウソクとマッチで明かりを灯し、薪に火をつけ暖を取る。そんな生活を送る。
軋む玄関を開けて中に入り、不法投棄されていた古びたソファに腰掛けた。
家には誰も居ない。なぜ親が居ないかなんて、彼には関係なかった。幼い頃から一人で生きてきた少年は、人の温かさを知らず育った。最初は家族を探した。けれども、記憶の中にさえ居ない両親を見つけるなど、出来るはずもない。いつしか少年は、生きる事に専念し始めた。
少年は部屋の角にある棚を開けて食料を取り出した。青カビが生えた食パンと乾いたハム。それらを口に入れると、 そのままソファの上で眠った。
翌日、少年は正午になろうかという時間に目を覚ました。 目を擦りながら、立ち上がり外の川へ向かう。着くと顔を洗い、着ていたパーカーを脱いで濯いだ。終わると少年は上裸のまま帰り家の中に干す。棚の中から、黒いパーカーを取り出して着ると少年は外へ出る。
向かった先は、彼の家から歩いて三時間の所にあるオフィス街だった。 稼ぎの良いエリートが勤めている様な高層ビルが数え切れない程そびえ立つ地域。
「さて、今日の『獲物』はここで探すか」
『獲物』とは一体なんなのか。それは彼が盗みを働く対象だった。
少年の目の前を、スーツを着た女性が一人通る。相手に気付かれないように彼は、一定の距離を保って後を追う。 少し歩いていると女性は、自動販売機の前で止まり財布を出した。次の瞬間、少年は一気に駆け出し、女性に体当たりしながら財布を掴む。二人で倒れ込むと少年は、財布を片手に一目散で走り出した。
「誰かぁ!ひったくりよ!!」
女性の声を聞いて、大柄の男性が少年の前に立ちはだかる。しかし少年は臆するどころか、更にスピードを出す。男性がタイミングよく掴もうとしたその時、少年はスライディングして男性の股を通り、裏路地に逃げるのであった。男性は逃がすまいと追って裏路地に入る。すると少年の動きを見て唖然とした。 高さ三メートルはあるような壁を、少年はジャンプして飛び越えたのだ。さらに、そこから側面にあるビルの壁を使ってキッククライムして、ビルの非常階段の柵に掴まる。 少年は男性の顔を見ると、笑顔で盗んだ女性の財布を見せびらかし、悠々と階段を上がっていった。
ビルの屋上まで来た少年は、その場に座り込み財布の中を改めた。 中には女性の免許証やカード類、現金が数万円ほど入っていた。少年は現金をポケットに入れて、残りは持参したマッチを使って焼き始めた。
「よし、今回は中身が多いぞ」
煙を放ちながら燃える財布をその場に残して、少年は他のビルに飛び移り非常階段から下りた。
先程の男女が居ないことを確認して表の道へ出ると、バス停に足を向けた。フードを被り顔を隠しながらバスが来るのを待つ。時刻表の通りにバスが来ると、ポケットから小銭を出して払い、運転手のすぐ後ろにある席に座った。
「お客さん、終点です。駅前広場ですよ」
叩きながら言う車掌の声で、少年は目が覚めた。一時間ほどの長い乗車は、彼にとって退屈なもの故に寝ていたのだ。
「すいません」
軽く一言だけ言って降りてフードを取る。時計を見ると時刻は十八時になろうかとしていた。彼が来たのは昨日いた駅のひとつ隣。こちらの方が賑やかで人も沢山居る。
グゥ…… 大きく鳴った腹を擦り少年は歩く。辺りを見回しながら食事のできる所を探した。 目に止まったのは、溢れんばかりに肉が盛り付けられた牛丼だった。看板を見た少年は、迷うことなく店内へ。
「いらっしゃいませー」
無気力な店員の声など聞かず、少年はカウンターへ座る。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
水を置いて去ろうとすると少年は引き止めた。
「外に出てたやつを……」
少年の言葉を聞くと店員は首を傾げる。
「外のってどれですか?沢山あるんですけど……ちゃんとメニューから商品名を言ってもらわないとわかりません」
店員は少し怒ったような声色で言う。しかし少年は説明を続けた。
「店の前にあっただろ。肉がたくさん乗ってるやつだよ」
「ですからメニューを見て商品名を言ってください」
「だから!」
少年が大声を出すと後ろから声がした。
「すいません、牛丼の大盛りをふたつ」
頭を触られる感触がした。横を見るとそこには昨日、駅で会った男が私服姿で立っていた。
「……かしこまりました」
面倒そうな表情をしながら店員は奥に入る。 少年は男の手をどかしながら話した。
「おっさん、なんでここに」
「俺はおっさんではない、まだ三十三だ。今日は非番だから出掛けてきた。その帰りに店に寄ったら、お前が居てビックリしたぞ」
そう言いながら立花は、水を一気に飲んでおかわりを求めた。
「お前こそなんでここに居る?字は読めないんじゃなかったのか?」
「店の前の肉が旨そうだったから入った」
「そうか、ならここから食べたいやつを指して言えば、好きな物が食えたのに」
メニューを取り出して説明する立花を見て、少年は面倒そうに相槌を打った。
立花と少年は一年ほど前から面識があった。 当時、窃盗の容疑で捕まった少年に事情聴取したのが立花。その時すでに一人で暮らしていた彼を一晩だけ家に泊めた。その時に根掘り葉掘り少年のことを聞いた立花は、親代わりのつもりなのか、頻繁に顔を見に当時、少年が捕まった駅へ行くのであった。
「お前、今年でいくつだ?」
「多分、十七」
「またひったくりしてきたのか?」
「してない」
質問攻めにあい鬱陶しく思っていると牛丼が来た。 「お待たせしました」
目の前に置かれた牛丼は出来たてなのかホカホカと湯気を上げている。肉や玉ねぎはツヤを出しタレの匂いは空腹感を更に刺激した。
「ほら」
立花から割箸を渡されると、少年は不慣れながらに割って丼に刺した。箸を上げると大量の肉と白米が取れて零れそうだ。顎が外れてしまうのではないか、と思うくらい大きく口を広げ頬張る。ゆっくりと噛み味を楽しみながら飲み込む。
「……旨い」
いつも味気ない食事をとる彼にとって、牛丼はとても美味しく高級な食べ物だった。
少年の表情を見ていた立花は、クスリと笑い自分も箸を割る。
「頂きます」
紅しょうがを乗せ適量を取り上げ口に入れる。慣れた手つきで箸を進めた。
「学校には行かないのか?若いんだからちゃんと勉強しろよ」
「必要ない。行かなくても生きていける」
「勉強なんて若い間にしか出来ないんだぞ?」
「余計なお世話」
味を楽しんでいるのだから邪魔するな、と少年は言わんばかりに素っ気ない返事をする。立花は少年が心配なのか、 質問を止めなかった。
「ごちそうさま」
立花が空になった丼を置くと、少年も同じタイミングで 箸を置いた。すると立花は二人分のお代を出して立ち上が った。
「おい、俺のは自分で出す」
「いんだよ、出してやる」
人の話を聞かずに立花は店を出た。眉を寄せながら少年 も後を追う。 店の外で背伸びをすると立花は少年に聞いた。
「俺は帰るがお前はどうする?」
「俺も帰る。電車に乗る」
「なら一緒に行くか」
「いい」
「そう言うなって」
立花は少年の肩を叩きながら歩く。その痛みに耐えながら少年も渋々、隣を歩いた。
二人が駅へ向かうと駅ビルの前で人が集まっていた。何があるのか、と気にしているとそこに救急車が二台ほど来た。
「何か大事か?」
何かを察知した立花は、走って人混みの中心へ行く。 するとそこは、ブルーシートで囲われ制服を着た警官が、立ち入り禁止のテープを引いていた。中に入ろうとすると、警官が立花を遠ざける。そこで彼はポケットから警察手帳を取り出して見せた。
「刑事でしたか。どうぞ中へ」
「すまない」
警官に一礼して中へ入ると、スーツを着た二十代の男性が、頭を潰された死体に跪いて手を合わせていた。
「何があったんだこれは?」
「あ、先輩でしたか。何故ここに?」
「朝倉か。非番でこの近くにいたんだ」
朝倉は立花の後輩であり、正義感が強い若手だった。 「通報があったのはつい二十分ほど前。目撃者のご老人から情報を貰いました」
「情報?一体どんな?」
「犯人と思わしき人物が、ここから去るのを目撃したそうです。身長二メートル強、緑のコートと白いキャップが目印だそうです」
「犯人だという確証は?」
「その緑のコートに血痕が付いていたそうで」
「血か……しかし身長二メートルとは随分とデカいな」
「まったくです。しかもこの死体、頭を潰されています。 一体なにをしたら……」
二人が話している間、少年は人混みの最前列で中の様子を伺っていた。
一体、何が起きたのかと気になりながら近づくと、警官に声を掛けられた。
「君、関係者以外は立ち入り禁止だよ」
そう言われると少年は後ずさりした。そのやりとりを聞いた立花は、ブルーシートの中から出て少年の所へ行く。
「今日は早く帰りなさい。犯人がこの辺りにいたら危険だから、気をつけるんだぞ」
そう言われると、少年はフードを被りながら答えた。 「ガキ扱いするなよ、一人で帰れる」
鋭い目付きで立花を睨みつけその場を離れた。 立花を呼び戻そうと朝倉も中から出てくる。
「彼は以前にお話していた?」
「そうだ、孤児でいつもこの辺りをうろついているんだ」
少年の背中が見えなくなると、二人はため息をついて死体の方を向いた。
「さて、それじゃあ捜査するか」
「はい」
立花が手帳を出してメモを取ろうとすると、前から別の人間が声をかけてきた。
「すいませんが、今からここはワシ達の管理下に」
そこに立つのは、眼鏡をかけた高身長で白衣を羽織る老人だった。
「あんたは……津久井さんか……」
立花が眉間にシワを寄せながら言うと老人は会釈した。
「覚えて頂き光栄です刑事殿。」
二人のやり取りに状況を理解できない朝倉。関係を聞くと立花が答えた。
「この人は最近、殺人現場に顔を出しては捜査を中断させ、自分らで調査する。どこかの研究所職員らしいが」
「それではまるでワシ達が貴方達の仕事を横取りしてるみたいではないか」
「実際そうだろう?今日もいつもの持ってるんだろ?」
「もちろん」
津久井は胸のポケットから四つ折りにされた紙を朝倉に渡す。広げるとそこには「捜査権利証明書」と書かれていた。
それは、国から出された書類であり、『現場の捜査権を、 警察から当機関へ変更する』といった内容だった。
「そういう事で……わかってますな?」
「あぁ、警察関係者は帰らせる」
「いつもすまないねぇ」
「そんなこと、微塵も思ってないだろ」
立花は大声で撤収の命令を出す。すると、白衣を着た研究者のような人間と、特殊部隊のように武装した人間がワラワラと入ってきた。
「いいんですか先輩!俺達の仕事なのに!」
「仕方がない、お上の言うことにはちゃんと聞かなきゃな」
「おかしいですよ!こんな得体の知れない奴らに現場を任せるなんて!」
「朝倉ぁ!!!」
突然、立花が怒鳴り朝倉はびっくりした。
「お前の気持ちはわかる。だが国の命令だ。俺達、公務員は国からの言うことには、表向きは聞かなきゃいけないんだ」
立花の真剣な物言いに朝倉は肩を落として頷く。
二人ともその場を去り現場から離れると、立花は朝倉の肩を叩いた。
「俺の言う通りだと思わないか?」
「……はい。確かに公務員である以上は国の命令は絶対に聞かなきゃですよね」
「ああ、表向きはな?」
立花の言い方に朝倉は顔を上げた。
「え?表向きはって……」
「調べよう朝倉。何としてでも、犯人を俺たちの手で捕まえるんだ。ただし隠密だ。大っぴらには出来ないぞ。」
立花の言うことを理解した朝倉は涙ながらに頷いた。 「はい!着いていきます!」
「よし、そしたらまずは容疑者が逃げた方角へ行くぞ」
「了解、こっちです!」
二人は走って、容疑者の逃げた方角へ向かうのであった。
少年は、駅付近の繁華街を抜けた所にある公園を歩いていた。
完全に日が落ちた夜でも街は、店やビルの明かりと人々 の声で賑やかである。そんな街の外れにあるこの公園は、 等間隔に置かれた街路灯と、風になびく植えられた多くの 木々が少し寂しさを思わせた。
少年は帰りながら考え事をしていた。
あのおっさんは、いつも俺をガキ扱いしてくる。一人で 生きてるし、大人の手なんて要らない。俺も立派な大人だ。なのに、なんでだ?俺が普通じゃないからか?
ポケットから出した掌を眺めて歩いていると、横から声 をかけられた。
「お若いの、どうしたのかな?」
ギョッと驚き構えをとるとそこには、ダンボールの上に 座った小汚い老人がこちらを見ていた。
ボロボロで継ぎ接ぎされたコート、雨風に晒されてクタ クタになった帽子、無造作に生やされた白髭、どれを取っ ても少年には見窄らしく見えた。
「こんな夜遅くに外を彷徨いてはいかんぞ?」
少年は、公園に設置された大きな時計を確認した。時刻はまだ二十一時になったばかりである。
「俺はそんなガキじゃねえ。じいさんもこんな所じゃなくて、もっと人目のつかない所に行けよ」
「そうしたいのは山々だがな。こんな老いぼれ故に、歩くこともままならん」
「そうかい、じゃあ不用意に人に声をかけないことだな。 ウザイったらありゃしねぇ」
怒りを露わにして帰ろうとすると、老人はまあまあと宥めて座る様に促す。少年は乗り気では無かったが、さらに面倒になると感じたのか、黙って老人の目の前に座った。
「なんだよ。俺はさっさと家に帰りたいんだけど」
「そう慌てるでない。お前さん、何やら悩みがあるようだな」
「占いか?なら残念だけど払わないぜ」
「そんなものではない。亀の甲より年の功と、昔から言うじゃろ。ワシに相談してみなさい」
なんだこいつは?頭が変なのか?それともただの嫌
がらせか?
少年は心の中で悪態を付きながら、老人の話に合わせた。
「別に悩みはない。ただ、ガキの頃から疑問を抱えてるんだ」
「ほう。」
「俺ってさ、昔から家族が居なくて一人で生きてるんだけど、自分が普通じゃない事が分かるんだよ」 「普通じゃない?」
「異常に高い身体能力、考え方、血に対する興味、色々な事が頭の中でグルグルしてんだけど話す奴が居ないからさ。 ずっと自分の中で持ってんだよね」 「なんとまあ、若いらしい悩みじゃな」
「だから悩みじゃねえっての」
「まあ、普通なんてものは有って無い様なものじゃよ」
「有って無い?」
「そう、普通なんて他人が決めた『平均』じゃよ。誰しも がそうである必要はない。『普通じゃない』というのは、他 人が持ってないものをお前さんは持っているという事、つ まりは個性じゃ。何も考えることはない」
老人の言葉を聞くと、少年は少し笑った。少し重い荷が 取れたような、そんな表情だった。
しかし、どうにも引っかかる物が彼の中には残っていた。
それが何なのかは本人も分からず。
「ま、そんな考え方も悪くないか。ありがと」
立ち上がり服の埃を叩いて、少年は帰路に戻った。 「頑張って生きるのだぞ」
時は少し遡る。捜査に向かっていた立花と朝倉は、ある居酒屋の前に立っていた。
「ここが件の店か?」
「はい。目撃者の証言によると、容疑者の男は頻繁にこの店に出入りしてる事が分かりました」
「よし、店の人間に聴くぞ!」
「はい!」
二人は、垂れた暖簾を潜り引戸を開けて中に入った。
中は昔ながらの居酒屋の雰囲気を持ち、広さもカウンターが七席と奥に座敷が二組とすこし狭い印象を受ける居酒屋だ。
二人は店主に挨拶しながら、自身の警察手帳を見せた。
「へえ……なんでお巡りさんがこんな居酒屋に?」
「いや、お店に関しては特に何かがある訳では無いんですよ」
「じゃあ一体……」
店主の困った表情を見た立花は、早急に事を済ませようと考えた。
手帳に挟んだ写真を見せて話を続けた。
「この服装の人物に見覚えはありますか?」
そこには駅前で取られた男の姿が写っていた。緑のコー トと白いキャップ、写真の日付は今日ではなかった。
「ああ、このお客さんね。よくウチに来ますよ」
店主の言葉を聞くと、二人は顔を合わせ頷いた。 立花は質問を進める。
「どの位の頻度で来ますか?」
「そうだねぇ、不定期で来てますよ。決まった曜日とか間隔はありません」
「時間とかは……」
「そう……ですね、ちょうど今くらいに来られますよ」
朝倉が時計を確認すると時刻は、もうすぐ二十時半になろうとしていた。
「分かりました。御協力、感謝します」
「この人、何かあったんですかい?」
「すいませんが、詳しい事情はお話できません」
「そうですか、ご苦労さまです」
立花と朝倉は一礼して店を出た。
「とりあえずこの店で張り込むか」
「はい」
立花は居酒屋の横に通っている狭い路地に潜む。朝倉は道を一本、挟んだ向こうにある路地に入った。二人は自分の右側を注視し、サインを出し合いながら張り込みを開始する。
今日は金曜日という事もあって街には呑みに行く人々で溢れていた。中には泥酔して足元のおぼつかない足取りで歩く者も居る。
そんな中、二人は目を凝らして男が来るのを、じっと待った。
すると朝倉が立花にサインを送った。
立花から見て左を向けと言っている。言われるがまま左を向くとそこには、写真の服装をした人物がこちらに足を向けていた。 朝倉が出ようとすると立花は必死にとめる。どうやら、 彼の中でまだ確信が持ててないようだった。手に持っていた写真と本人をよく見比べる。 確信すると立花は、朝倉にサインを出し、居酒屋の前で男を呼び止めた。
「すいません、警察の者ですが」
「え、警察?」
「駅前で殺人事件がありまして、付近であなたの目撃情報があるんです。少し宜しいですかな?」
そういうと男は身体を小刻みに震わせた。逃げられないように背後に朝倉が背後に回る。
「どうしました?」
「……ないんだ」
「ない?何が?」
「あいつらが……いけないんだぁ!!」
男は突然、大声を出しながら両手を上げた。次の瞬間、 目の前の立花を目掛けて一気に振り下ろす。咄嗟に後ろに逃げると、男の拳は厚いコンクリを抉っていた。
「俺は……俺は悪くないっ!」
男は来た方向とは逆に向かって走り逃げた。
「先輩!大丈夫ですか?」
「ああ、とりあえず追うぞ!」
「はいっ!」
二人は全力で男の後を追った。街を抜け、周りの灯りが次第に少なくなっていく。
男は脅威の速さで逃げていた。刑事である以上、立花と朝倉はある程度の鍛錬はしている。しかしそれでも追いつくことはできなかった。その理由は男の走り方であった。よく見ると男の走り方は常人とさほど変わらない。二人なら追いつくようなものだった。しかしひとつだけ違いがある。それは歩幅だ。身長二メートルある男性の平均歩幅は約九十センチ。しかし男の歩幅は、明らかにそれを超えている。どんなに全力で走っても、歩幅という違いにより二人は決して追いつくことは出来なかった。
男が突然、足を止めた。相手の先は行き止まりだったのだ。この機を逃すものか。 刑事二人は更に速度を上げて走る。すると男は、横の壁を越えて隣の公園に逃げたのだ。二人も追って壁を越える。
草を掻き分け、飛んでくる虫を払い除け、ひとつの街灯の下で足を止めた。そこには男と、逃げるホームレスと思われる人、夕方に一緒に食事した少年が棒立ちしていた。
男は、立花達の方を向いてニヤリと口角を上げると、走って少年の方へ向かった。少年は男の存在を認知していたが、突然の事で咄嗟に動くことができなかった。
男に両手で身体を捕まれ身動きが取れなくなってしまった。立花は助けようと一歩、踏み出すと男が怒鳴り声をあげた。
「こっちに来るなぁ!!来たら……来たらコイツを潰
す!」
その言葉を聞くと、立花は一歩、下がり両手を上げた。
「分かった。俺達はこれ以上は進まない。だから関係の無い人は巻き込むな」
「そんな!先輩、あいつを今逃がしたら」
「馬鹿を言うな。市民の命が最優先だ」
二人が話している間、男は少年に話しかけた。
「このまま一緒に来てもらうぞ」
「は?一緒にって、どこへ!?」
「そりゃあ俺が逃げ切……」
男は話を止めて少年の匂いを嗅ぎ始めた。顔を近づけられると酷い悪臭を感じた。少し嗅ぎ続けると男はその手を離す。
「なんだ、お前、仲間か」
「仲間?一体どういう意味だ!?」
「お前も同じ脱走した奴なんだな」
男の言葉を少年は上手く受け取れなかった。
仲間?脱走?一体なんの話だ?俺は小さい頃から独りだ。仲間もクソもない。こいつは俺の過去を知っているのか?
少年の頭の中で思考が回っている間、男は後退りをして逃げようとしていた。しかし朝倉はそれを見逃さず追いかけようとする。
「待ちやがれ!」
すると、男は激怒して朝倉を目掛けて走り始めた。
「うるさいっ!!俺に構うなぁぁ!!」
男はその大きな腕をムチのようにしならせて、朝倉を叩いた。朝倉は衝撃に耐えきれず、驚く程の勢いで吹っ飛ばされた。
木に叩きつけられ、肋骨が肺に刺さり瀕死に追い込まれる。ヒューヒューと荒い息をしながら朦朧とする意識を戻そうと必死になった。
「へ、へへっ。やっぱり人間なんて脆いな。俺達を追うからこうなるんだ」
男はゆっくりと朝倉に近付き、巨大な足で汚れた顔を踏みつけた。次第に力を入れ、ミシミシと朝倉の頭蓋骨が悲鳴をあげた。 その状況を見ていた立花は、怒りのあまり叫ぶ 。
「貴様ぁ!!その汚い足をどけろぉぉ!!」
今まで以上に力強く踏み出した足は、大きな音を立てながら男に近付いた。殴りかかろうとすると突然、目の前が真っ暗になる。次の瞬間、立花は吹っ飛ばされベンチを粉々にしながらその場で倒れた。
立ち上がろうとすると背中に痛みが走り、急激な吐き気に襲われる。口の中に何かを感じて吐き出すと、大量の血が流れた。
噎せながら男の方を見ると、朝倉がこちらを見ていた。 声にならない彼の叫びと表情は、逃げられない苦痛と襲いくる敗北感を感じさせた。
「あ、あさ……く…………ら……」
上手く呼吸が出来ない。そんな中、目を向けると少年が遠い所で震えていた。着ているパーカーをギュッと強く握りしめ、涙を零しながら恐れ戦いていた。
「お、なんだ?まだ居たのか……欲しいのか?」
そう言うと男は足をどかして朝倉の頭を掴んで投げ飛ばす。朝倉は、少年の前で無造作に地面に叩きつけられる。 少年がゆっくり目を向けると、朝倉の目は開いていながら輝きを失っていく。胸部は動くことなく、何も反応を示すことなく。
「し、し……死んだ」
あまりの衝撃に少年はその場で座り込んだ。朝倉の身体からは血が流れ、近くに居た少年の足も紅く染める。
「あーあ、死んだか。人間はほんとに脆いなぁ。俺達に歯向かうからこうなるんだ」
男の言葉を聞くと立花は、力いっぱい声を出した。か細く弱々しい声で容疑者に訴えかけた。
「ふざ……けるな。おまえが…………人を、殺したん…… だろ!」
「そうさ、俺が広場であいつらを殺した。だって……俺のこの顔を馬鹿にしたんだぞ!?」
男はキャップを脱いだ。そこには、茶色の毛深い身体、 猿のような灰色の顔、普通の人間ではない容姿を露わにした。人間離れしたその姿に立花は言葉を失った。
男の姿を見た少年の頭の中は、異変が起こっていた。
途切れ途切れの記憶の中で、同じような容姿が残っていた。 完全に思い出すことは出来ない、しかし男の声は、今よりずっと昔に聞き覚えがある。
心当たりのない記憶に戸惑い、手を地面に着くと生暖かい液体の感触がした。
掌を見ると、朝倉の血が満遍なく付いていた。独特の匂い、それを嗅ぐと脳裏にある言葉が浮かぶ。
『血を啜れ!』
本能なのか、無意識の欲望なのか、少年は掌の血をひと舐めする。すると激しい頭痛が起こり身体が熱くなった。
「ウオオアアアアアアアー!!」
雄叫びを上げ立ち上がる少年。その姿は奇怪な物であっ た。爪は異常に伸び、歯は鋭く尖り、目は充血していた。
「お、おい!なんだお前、変異するのか!?」
少年の姿を見た男は、明らかに焦り始めジリジリと後ろ へ下がった。その言葉の意味がわからず立花は質問を投げかけた。
「制御ってなんの話なんだ!?」
「黙ってろ!!」
立花の顔を蹴り睨みつけると、少年が雄叫びを上げながら男を目掛けて走ってきた。男は拳を作り殴り掛かると、少年は腕に飛びかかり噛みつく。鋭利な牙は腕の奥深くにまで突き刺さり、首を大きく振って肉を千切った。腕はその場に、夥しい量の血を垂らす。
「ああああああぁぁ!!」
千切れた腕を抑え痛みに堪える。 少年は両手を地面に付きながら、太い腕をどこかに投げ飛ばし、流れる男の血の匂いを嗅いだ。すると再び血を舐め始めた。砂漠で数日間、水分を取ることが出来なかった旅人の様に。
たらふく飲んだ少年は四足獣のような姿勢をやめて立ち上がった。服は破れ、猫背になっている背中は棘の様な物が、頭部にまで続いて生えている。身体は緑色に鈍く光る鱗にに包まれ、目は隈無く紅くなっていた。
まるで野生獣のような姿になってしまった少年を見た立花は、蹴られた衝撃で脳震盪を起こし、立ち上がることができないながらに、木に寄りかかって状況を整理していた。
なんなんだ、あの姿は……しばらくあいつを見ていたが、 あんな姿は初めて見た。いや、あいつでなくても人間があんな風に変異するなんて……
少年は、静かに男を睨み足に力を入れた。地面が揺れる程のジャンプをして、長い爪で相手の首を掴もうとする。 咄嗟に危険を察知したのか、男は頭を下げて避けた。少年は、男を通り越して後ろに立つ木の、縦に伸びた枝に手を掛けてぶら下がった。
「な、なんなんだよお前……仲間に攻撃するのかっ!?」
男の言葉を理解できないのか、少年は形容し難い唸り声を放って威嚇した。
次の瞬間、背面にある幹を蹴り、勢いをつけて飛びかかる。男は着ていたコートを投げた。鋭い爪でコートを裂き、 そのまま進むと姿が消えていたのだ。着地して辺りを見回すと、走って逃げる後ろ姿が目に映る。少年も走って追いかけ、ある程度の距離になるともう一度ジャンプした。
今度は一心不乱に逃ていて、後ろを気にしてない相手。大きく顎を広げ伸ばした牙は、見事に男の首に刺さり二人とも倒れ込んだ。 血飛沫を上げて横たわる男の死体は、少年の手によって無残に切り刻まれた。
まるで腹を空かした野獣のように、 肉を頬張るその姿を遠くで見ている立花は、戦慄する他なかった。
死体を食べ腹が満たされた少年は、その場で眠るように倒れ込んだ。事態が終息を迎えたことを感じた立花は、ボロボロになった身体を必死に動かして立ち上がる。一歩、 また一歩とゆっくり少年に近づく。眠る姿を見ると、先程まであった棘や長い爪、鋭い牙は無くなり元の常人の姿になっていた。
その姿を見て安心したのか、立花はその場に倒れ込み意識を失った。
同時刻、津久井は現場の指示を出していた。白衣を着た人間は、 言われるがままにノートパソコン片手に作業を進める。
胸ポケットに入れていた携帯電話が鳴る。取り出すと画面には、「捜索隊員」と表示されていた。
「ワシだ。何かね?」
「試作品弍号、及び拾号を発見しました」
「なんと!そりゃ本当かい?」
「ええ、但し弍号は死亡しました」
「おや、ということは拾号が殺ったのかい?」
「はい、弍号の血液を摂取した後に変異。交戦後、拾号が残りました」
「まあ仕方がないね。拾号は他の試作品を狩る為に造られたからね。弍号の血液を摂取したということは……やはり今までUMA細胞が足らなかったのかねぇ」
「おそらく。先に人間の血液を摂取した時も変異しましたが不完全でした。やはり拾号は未完成だったということでしょうか?」
「あれは完成間近で奪われてしまったからね。でも他の試作品からUMA細胞を取り込むとは……ワシの予想を越えたね。やられたよ」
「現在位置の住所を送っておきました。回収班を向かわせてください」
「分かった、こちらは引き上げるとしよう」
「それと、警察の人間が一人だけ居るのですが……」
「おや、なんでだい?」
「おそらく広場の殺人事件の容疑者として弍号を追いかけていたのではないかと」
「そういえば君、警察に情報を渡したそうじゃないか」
「すいません、うっかり」
「まったく、次やったらクビだからね。ま、そいつに関しては……分かってるよね?ワシ達、UMA実験研究所のお仕事は?」
「UMAに関する研究。その細胞を人体に移植する実験。逃げた試作品の回収または殺処分。目撃者の処分……でしたね」
「おいおい、『目撃者の処分』だなんて人聞きの悪い。ただ、ちょっとご同行お願いして、お話聞いて、さよならするだけ」
「そうでしたね」
「じゃ、ワシは帰るから。後の指示は宜しく〜」
津久井から一方的に電話を切り、相手は困った表情をする。
汚れた帽子を脱ぎ捨て、継ぎ接ぎだらけのコートを脱いで畳み、草陰に隠しおいたスーツに着替え、ポケットからクシを出して髭を整える。
「さて、もうひと仕事だな。」
人々が仕事の疲れを忘れ飲み明かす夜、公園で起きた激闘は人知れず闇へ消されていくのであった。