第1話 第5節 眠り姫
家に帰ってくると、部屋の中は荒れ果てていた。
「やられたな……」
ダミーの手さげ金庫は、無事もとの場所にあった。金目当てでないのなら、じいさんが隠匿したものだな…… 住人を外に出し、足止めしておいて、その間に家捜し、陳腐だが安全性は高い。
部屋の惨状にため息をつくと同時に電話がなった。相手は先ほどまで話していた男だ。
「おいこら、おっさん。誰が片付けると思っている。家捜ししたら片付けていけ」
すると、男は電話の向こうで爆笑した。べつに、笑いを狙ったわけじゃない。
「いや、失礼。君は家捜しされたことに怒ってはいないのかね?」
「そんなもの、さっきの話を聞いた時点で覚悟しているさ。まさか、今晩とは考えていなかったけどな。それに、見られてまずいものはウチにはない」
「言うじゃないか? だが、私も詫びておこう。部下が先走ってしまった。本来なら君が学校に行っている間にこっそり行う予定だったのが、すまなかった」
男も武人とのやり取りにあきれているようだが、武人も男にあきれていた。
「いいのかよ。そんな事言ってさ」
「内密にしてくれるとありがたいな」
憎めない男だが、何を考えているのかつかめない。
「壊れたものがあったら、そっちに請求書回すかな」
「それくらいは善処しよう。それでは、失礼するよ」
電話が切れた後、武人はすべてのセキュリティーをONにした、普段は、パソコンのファイヤーウォールとウイルススキャンぐらいしか使用してないが、盗聴防止機能まで、全部ONに入れてから片づけを始めた。
武人がそのことに気が付いたのは、2時を少し回った時間だった。
自分の部屋から片付けないと、寝る場所がないな…… 別にリビングのソファーで寝てもいいのだがどうも落ち着かない。
そして、自分の部屋に足を踏み入れた武人が見たのは黒い棺だった。
当然家捜しされたときにはこんなものなかったのだろう。こんなものを見落としたとしたら、節穴どころの話ではない。かといって、家捜しした連中が出て行って武人が帰ってくるまでにそれほど時間の余裕があったとも思えない。
確かな事はこの棺がごく短時間で運び込まれたことぐらいだ。
その箱の概観は吸血鬼ものの映画に出てくる棺と瓜二つだ。違いは、ふたの上面にはいくつかのスイッチがあり、銀でできた羽飾りのついた兜を模した紋章があり、同じく銀文字でこう記されていた。
『doll−V−09 Brunhilde 汝の翼が導くものが希望たらんことを』
「ブリュンヒルデか……」
ワーグナーのオペラ、『ニーベルングの指輪』に出てくる誇高きヴァルキューレ。
ふと見ると、一通の封筒が貼り付けられていた。宛名は、『深水 武人』自分宛だ。
「じいさんの字だな」
久しぶりに見る祖父の直筆の手紙。武人は戸惑いながら中身を取り出す。中には走り書きされた紙が一枚入っていた。
『武人。ブリュンヒルデを守ってくれ。くわしいことはブリュンヒルデから聞け。巻き込んですまない。』
これで、なにをどうしろというのか? 何の説明もされていない。いや、ひとつだけ説明されていることがひとつ。「ブリュンヒルデに聞け」か。
武人は『OPEN』と書かれたスイッチに手をかける。深呼吸をして高鳴る鼓動を押さえ込もうとする。ブリュンヒルデ…… 十中八九、祖父、深水 尚武がアスガルドから隠匿したdoll。武人はスイッチを押した。
箱の中に入っていたのは、14、5歳の全裸の少女だった。武人はその美しさに目を奪われた。
つややかな黒髪に整った顔、街を歩けばほとんどの男が振り返るだろう。そして、少女らしい柔らかなラインを描く胸の膨らみには、人間の少女と同じ隆起物が付いている。
普通に市販されているdollはマネキンのように胸のふくらみがあるだけで、つるつるのことが多い。例外だと、風俗関係に使われる特注品のdollか、各メーカーの最上機種、ハンドメイドのDollくらいだ。
武人は少女の手をつかむ。手に伝わる暖かな体温、指先は指紋まで確認でき、青い血管が透けてみえる。
「マジか? これがdollだって……」
この少女を見てdollだと一目で看破できる人はまずいない。外見からdollらしさというのがすべて排除されている。法律で義務付けられている外部接続用のヘッドセットすら付けていない。
武人はハッとして少女の首の後ろに手を入れた。dollには、外部接続端子がヘッドセットと首の後ろについている。だが、指先に感じたのは、少女のぬくもりとやわらかさだけだ。
「本当は人間だと、いわねぇよな」
その時、少女の目が開いた。覗き込むようにしていた武人と、少女の黒曜石のような瞳が、至近距離で合う、あわてて離れた武人に少女が微笑んで言った。
「My Master……」
第1話『邂逅 武人とブリュンヒルデ』終了です。
それにしても、やっと登場したブリュンヒルデですがセリフが一言だけです(笑
第2話『暗躍 黒い影』に期待しましょう。
第2話の前に『戦乙女の補習授業』を更新します。
物語とは直接関係ないので、物語が読みたい!と言う方は飛ばしてください。