ヒトノナリシテヒトデナシ
他人でも家族でも、とにかく自分じゃない誰かといると疲れる。誰もが体力ないねって笑うけどさ、理由はあるんだよ。私が、疲労する理由。一人でいるときは、自分のペースは乱れない。けれど、そこに一人でも人間が入り込んで来たら、途端にスイッチが入る。無意識に相手の呼吸に自分の呼吸を合わせてしまう。纏う気配さえも。
別に特別な訓練なんて受けてない。気が付いたら、身についてたんだからどうしようもない。なんとかして巻き込まれまいとすれば、それはそれで疲れる。
あってもあわせなくても、疲労する。
だから、私には一人の時間が大事だ。自分の感覚を忘れないために。摩耗しないために。付き合いが悪いといわれようと、自己防衛だからしかたない。いっそ、無人島にでも行きたいよ。
だけど、生きている以上、人との関わりを絶つことはできないし、正直、ずっと一人きりで耐えられるかと聞かれれば、無理だと答える。そういう感覚は、普通なんだ。だれでも、多かれ少なかれもつ感情。孤独や孤立を恐れる感情。そういう感情がゼロじゃないから、苦しいし、疲れる。
『人のなりして人でなし』
わかってる。あんたに言われなくてもね。夢の中で何度自分で自分にそういったことか。気が付けば、立派な出不精のできあがり。学生と違って、社会人っていうのは踏み込もうしたときに少し嫌そうにふるまうだけで、距離を置いてくれる。私にしてみれば、ありがたいことだ。陰でなんと言われようとかまわない。
(青い空。蒼天というのよね。雲一つないし)
私は空をみあげる。吸い込まれて消えたい気分。年も年だからお見合いしなさいと、実家から責められて年末に帰省した次の日にスーツ着て見合い。
最悪だ。否もなにもあったもんじゃない。これだから、母親を好きになれないのだ。いつまでもおままごと気分で私を人形のように扱うから。嫁に行くなら姉が先でもいいじゃない。とはいえ、あの人は勝手に県外の大学に入学して、今はアメリカ。その上、結婚しましたと正月にはがきを送ってきた。それなら、国際結婚おめでとうなんだろうけど。相手も女性。ミルクチョコレートのような肌と青い目がとても綺麗な人だった。頭の固い、というか固まってしまっている両親が受け入れられるはずもなく、姉の存在は我が家では黙殺されていた。そして、まだ高校生の弟にまっとうな道を示すのが姉の務めよなどと時代錯誤なお説教でいいくるめられた私は、こじんまりとしたレストランに拉致された。
私は相手の男性を見た瞬間に、肌があわだった。表面的には笑顔が素敵な男性だが、私は呼吸が合ってしまったせいで、相手が母と同じく従順な人間を欲し、独裁的にふるまえる相手をさがしていることが明確に感じ取れてしまった。口を開くことさえ、億劫になる。
簡単なあいさつを交わして、向こうの男性とその両親、私の両親は結婚させる気満々だ。どうやら、私が愛想のない生返事をしているのに、それを奥手でおとなしい扱いやすい女だとでも思ったのだろう。男はますます私に興味を持っていく。それに反比例するように私は具合が悪くなっていった。呼吸があってしまうことで、私は気持ちの悪さでいっぱいだった。運ばれてくるランチさえ、ちまちまと食べる始末。作った人に申し訳ないが、食が進まない。それに反するように、親たちと男性は盛り上がっていく。
「食事中にすみません、ちょっと気分が……」
そういうと母がつかさず、
「礼儀知らずな子で申し訳ありません」
などと笑って言う。父は、厳しい声ですぐに戻りなさいと言う。
私はこのまま、逃げ出したい。せめて、どこかで煙草が吸いたい。そう思っていると、不意にウェイターが喫煙室ならあちらですよと通りすがりにつぶやいていった。
その瞬間、気持ち悪さはひっこんだ。不思議に思いながらも、喫煙室へ入る。誰もいなくてほっとして一服する。煙草の匂いをつけて戻れば、相手側もバカなことは考えないだろうと私は思った。
二本目に火をつけたとき、喫煙室にさきほどのウェイターがカップを持って入ってきた。
「どうぞ、召し上がってください」
「あの、頼んでませんけど」
クリーミーな泡をのせたカプチーノだ。
「そんな顔色の悪いお客様を放ってはおけません。少しは落ち着きますから、僕のおごりですからえんりょなくどうぞ」
彼はにこりと笑う。清潔感のあるすっとした顔立ちは、女性にモテるだろうなとふっと思って気がついた呼吸があっているのに、私は自己を保っている。こういう人間もいるのだと、安堵し、折角の好意を無駄にしたくなかったので、カプチーノをいただいた。
「ありがとう。かなり落ち着きました」
「それはよかったです。ところで席に戻るのがお嫌でしたら、僕とにげましょうか?」
彼はにこりと笑う。冗談なのか本気なのかわからない。呼吸があっているのに。私が戸惑っていると、耳元で冗談ですと言って、彼はさっとカラのカップを持って喫煙室をでていった。
(うわぁ……爽やか青年だとおもったら、とんだ人たらしだわ)
私はテーブルへ戻ったものの席にはつかず、頭を下げて言った。
「申し訳ありません」
「あらあら、具合はおちつきましたか」
猫なで声のお見合い相手の母。私はそのまますっと顔をあげて冷たい表情をつくる。
「今のお詫びは、このお見合いを私はお断りすると言う意味です。たったいま、恋におちてしまったので」
そういって、給仕をしている彼の背中に視線をなげた。
「もう、冗談言ってないで座りなさい」
母がいらいらと言う。
「冗談でお見合いをぶち壊せるほど、度胸はありません。あなたが一番しっていることでしょ。お母さん」
「お前は何のつもりだ。わたしがせっかくお前に似合いのこちらさまを紹介していただいたのに」
険しい顔の父。いつもなら、この空気に巻き込まれて自分を見失うのだが、なぜか誰かに守られているような安心感を感じたので、言いたいことを言った。
「私のようなぶしつけな女は、えーと、ごめんなさい。お名前忘れました。とにかく、不釣り合い。かえってご迷惑ですから、この場でお詫びいたします。では、私はこれで」
呆然とする両家の人々をしり目に、私はバッグをひっつかむとさっさと店を後にした。一人、実家にもどると弟がどうしたと聞いてきたので、見合いぶっちぎってきたと答えたら、えらくうれしそうにやるじゃんと言って出かけて行った。
私はこれ以上の面倒をさけるため、荷物をまとめてさっさと自分のアパートへ帰った。正月は実家で過ごす予定だったので、冷蔵庫は空っぽだ。とりあえず、年越し蕎麦と数日分のレトルトを食品を買って帰る。留守電に電話しなさいと母の怒りに満ちた声が入っていたが、面倒なのでジャックを抜いた。ケイタイも電源を落とす。なんだか、気分のよい年越しになりそうだと思った。
◆
まさか、自分が火事で死ぬとは思わなかった。まあ、古いアパートだったから、仕方ない。死んだのが私だけでよかったなぁと、自分の葬式を見つめながら思う。なにせ、放火犯はあの見合い相手。あの程度で腹を立てて仕返しのつもりでガソリンをまいて火をつけたのだという。本人曰く、ちょっと脅すつもりだったんだと言うが、ガソリン巻いた時点で殺意満々。学生の多いアパートだったから、アパートにいたのは私一人。ほとんどが実家へ帰省か年越しアルバイトで不在。
(まきこまなくてよかったわ)
それにしても、自分の葬式って不思議な感じ。丸焼けだから、棺桶はとじたまま火葬場に搬送された。初七日は身内のみで行うというが、身内と言うより家族のみで親戚は誰も呼ばなかった。理由はあまりに悲惨な死に方だったからだという。だが、両親の本音は、望んでいるものは、同情だった。姉たちには連絡せず、弟から姉に事情がメールで届けられていた。これで、家族は完全にばらばらになるだろうなと私は思った。
「まだ、ここにいらっしゃいますか?」
私の隣に立っていた男が聞いたので首をふる。弟のことは心配だったが、彼は芯が強いし、姉もいるから大丈夫だろうと私は思い、人間としての家族にさよならを言って去った。
そして、新しい家族と言うか元々の一族の元へ還った。
帰り道、見合いの席で私を救った男である七曜は、天狗である。そして私の弟子だった。ゆっくりと記憶が戻ってくる。私は人間として生まれたものの、もともとは天狗である。とある神に仕える天狗の一族だ。その総領の娘。人間好きが災いして、いわゆる祓師に調伏されたのだが、まあ、大した力の持ち主でもなかったのだが、私が人に生まれてみたいものだなどと思っていたせいで、間抜けにも天狗の【我】を調伏されたのだった。
「まぬけにもほどがあります」
ぶつぶつと七曜が文句をいう。七曜は弟子でもあるが、我の番でもある。故に勝手に人間に生まれては死に、生まれては死にを繰り返す我に業を煮やして迎えに来たというわけだ。それに、人の世に出られたのは、我らが仕えている神の命令もあったのだった。
「時期が時期。姫様もいい加減不安になられたのですよ。少しは反省してくださいね。貴女は姫様の側近中の側近なのですから」
「ああ、もう。わかってるわよ。黄泉様は再生期に入ったんでしょ。悪戯しても叱る人間がいなくて清々してたんじゃないの」
「意地の悪いことを。姫様が悪戯できて問題ないのはあなただけ。他の者なら、神罰だと思い込んで消滅しかねませんからね。それに私だっていつまでも番なしでいたくはありません」
「なら、新しい番を選べばよかろう。我は天狗としても眷属としても変わり種だ。何せ翼が四枚だからな。総領も幹部どもも、育てるのに苦労したうえ、黄泉様をしかりつける不心得もの。眷属が神を叱るなどあってはならんもんなぁ」
我はくつくつと笑うが、七曜は深々とため息をついた。
「月闇……そのような自分を貶める言い方はやめてください。貴女は立派な天狗です。羽根が何枚あろうとも、姫様をお叱りになろうとも、私の大事な番です」
七曜は我をぐっと抱きしめる。
「悪かった。もう言わぬから、離せ」
もう少しこのままがいいと、七曜は我を抱きしめ髪をなでる。額に、頬に、口づける。我も七曜の背をなでる。待っていてくれて嬉しいと、迎えに来てくれて嬉しいと素直に口にできればいいのだが、我にはそういう甘い言葉が似合わぬのだ。七曜の唇はやがて我の唇に重なる。暖かい接吻にいつまでも酔いしれたいところだったが、不意に人の気配がして、思わずお互いに体を離した。
「ママ、天使様がふたりもいるよ」
ツインテールの幼子には我らが見えるらしい。ママとよばれた女は、あらそうと笑う。
「おばあちゃんも天使さまをみたことあるんだって。まゆちゃんが見ているのは本当は天使さまじゃなくて、天狗さまなのよ」
「テングさま?」
「そう。お話は帰ってからしてあげるから、祠に御挨拶しましょうね」
そういって人間の親子は、小さな石の祠に手を合わせた。
「おばあちゃんが、元気になりますように!」
まゆと呼ばれた子どもは大きな声で願いを言った。我は小さな羽を一本抜いて子どもに差し出した。
『これでおばあちゃんの体をなでてやれ。病気は治せぬが痛みはなくなる』
まゆはきょとんとして、手のひらに乗った小さな羽を見た。
「ママ、天狗さんがくれた」
「え?何を」
「羽」
「まあ、本当に?なんて綺麗な黒い羽でしょ」
「これで、おばあちゃんをなでなでするんだって。痛いのなくなるんだって」
まゆは、一生懸命、母親に説明した。
母親はそうと寂しげに微笑んで、娘の手をとり去って行った。
「さあ、私たちも帰りましょう」
我らも手を繋いでするりと祠に消えた。
我らが故郷。
黄泉平坂。
イザナミ神がおわす場所に……。
【終わり】