チワワ部長
夕闇の静けさに立ち昇る白い湯気は淡くぼやけ、その向こう側のヤギ沢さんは未だに沈黙を守っています。
いや、もしかしたらもう既にヤギ沢さんは、もの言わぬヤギ汁へとメタモルフォーゼしてしまったのでしょうか…。
そうして、美味しく茹だったヤギ沢さんはチワワ部長と、お巡りさんの晩飯として骨までバリボリと食べられたのでした。めでたし、めでたし。ばりぼり、ばりぼり。
「ウー、キャンキャン、ヤギ汁」
(いやー、美味かったです、ヤギ汁)
「グウー、ヒャンヒャイウー、ヤギ汁」
(だから、僕ちんに任せて良かったのだ、お代わり、ヤギ汁)
「ウー、ワンワン」
(ああ、満腹満腹)
「おい、なんて投げやりな終わり方なんだ!」と皆さんは思うかもしれません。さらには、「そうだそうだ、投げやりにも程が有る、これじゃヤリ逃げだ」と、筆者は男の風上にもおけないようなレッテルを貼られてしまうかもしれません。そこへ「いやいや、やられる方が悪いっしょ、ベイベ☆ベイベー」と、本当に男の風上にもおけない人が割り込んで来て、「なんだとこいつ」とか「はあ、お前が誰だしー」とか言って喧嘩になるかもしれません。ですが、誤解です。
ヤリ逃げなんて、羨ましいくない。そもそも筆者がどんな不毛な青春を送ってきたかという事を書くのにはあと、七十五万字は書かないと足りないので来年の今頃にやっと半分終れば良い方なのです。そして、そんな不毛な話しは筆舌に尽くし難く、筆舌に尽くせないものは書けないのです、悪しからず。
そうです、すごい勢いで流されてしまったチワワ部長は頭をしこたま強く打ち、夢の世界へと旅立っていたのでした。
勿論、ヤギ沢さんは無事でした。熱湯に飛び込んだヤギ沢さんは常日頃からステンレスの風呂釜との戦いで、少しずつ少しずつと熱いお風呂が好きになっていたのでした。そして、本人でも気が付かないうちに、既にヤギ沢さんには江戸っ子魂が宿っていたのです。
喧嘩に祭り、打ち上げ花火、火事、オヤジ、ビートたけし、アウトレイジ、武士は食わねど高楊枝。
沸騰した熱湯でさえも極楽へと変えてしまうのが江戸っ子魂です。
「もっとあつくならねえのかい、ええ、おやじぃ」
「へい、これ以上やっちゃあ、お客さんがゆでダコになっちまいまさぁ」
「ええい、こんなにぬるいふろじゃあ、粋じゃないねえぃ」
「おうおうおう、言ってくれるじゃねえかお客さん、そこまで言われちゃあやるしかないねえぃ」
「おうよ、おやじぃ、じゃんじゃんあつくやってくれぃ」
とそんな会話が実際に行われているのかはさておき、ヤギ沢さんは念願のお風呂に浸かった事により元気をいっきに取り戻したのでした。
しかし、その時に丁度、時刻は夜十時となりチワワ部長より先に夢の世界へとヤギ沢さんは旅立ってしまったのでした。