独善と打算と隠し事
パッと見二十畳程だろうか。応接の為と思われる部屋に、音曲師と女はいた。目前の上座には身なり良い青年。四半刻(三十分)程前に出会ったばかりの者たちが、(距離が相当にあいている状況ではあるが)顔を突き合わせていた。
「コレはまた、無駄に金遣い荒い所だのぇ……三人ぎししか居らんのに広過ぎやせんか?」
青年に直接言うにはやや憚られる言葉の為、音曲師の声は隣の女にしか聞こえない音量へと調節されていた。小さく溜息を吐きながら、二人は上座でこちらを眺める青年を見る。正確には、彼が身に着けている白地の輪袈裟と、そこに刺繍された文様を。
この國に広く浸透し、その影響力は政治にさえ及ぶ『神殿』の教義。彼の身に着ける輪袈裟は、『神殿』へ仕える者に許された略装の一つだ。四つの図形で表される十字は、見様によっては翼をもつヒトの立像……『神殿』で言うところの『神』の似姿にも思える。しかもその形を作る糸の色は『神殿』の中で武を行う神殿武官の深紅色。
「御大層な身分なのは門構え見た時から判っちゃいたけどなぁ……よりにもよって『神殿』関係者とか、出来過ぎじゃね?」
返す女の口から零れる潜めた声は、耳に心地よく聞き惚れるほどに麗しい。もう一度言う、確かにその声は麗しい。だが如何せん、その声は『女』の声ではなかった。見た目がむしゃぶりつきたくなる美女なだけに、腰砕けになりかねない低い声音は、『女』と思って見た者に、果てしない衝撃と絶望を生む。尤もそれを間近で聞く音曲師は慣れているのか顔色一つ変えないが。
「でも納得行ったわ。あの状況で阿呆みたいに正論かざすんだで、よっぽどの箱入りかぺーぺーの新人なんだら。…まぁ、それよっか問題は……」
「お前があの坊ちゃんに『気に入られた』っつー事だよな、久遠。」
「手のひら返されんのは、正直めんどっちぃでなぁ……とっとと出てきたいわ…。」
そんな二人の会話は全く届いていなかったらしい。青年は不思議そうに問いかける。
「音曲師殿、如何した?」
「嗚呼、む…豪勢な所だな、と、感心しとったんだわ。しかしアンタ、こんな得体の知れん音曲師招いて良かったんかぇ?」
『無駄に金遣いの荒い』云々を言いかけて、久遠は棘のない方向に言い直す。そして出来得る限り早くこの屋敷から退散すべく言葉を続けたのだが、彼には通用しなかった。
「何を言う。そなたが介入せねばあの場は収集がつかなかった。町の者たちも感謝しておろう。治安を平らかにする神殿武官として、そなたには感謝してもし足りぬぐらいだ。」
「………治安とか、神殿武官って、そこまでやるモンだったっけか…?」
「違うと思ったけれど…本来なら邦護の仕事じゃないかな、ソレは?」
呆れたように問う久遠に、小首をかしげた女は『艶めかしい女の声』を部屋に響かせる。低音を聞き慣れている久遠の頬が、ほんの一瞬ひきつったが、上座の青年にその変化は気取られなかった。
邦護は邦主を頂点とする武人たちの政務組織の一部で、法を知り武を修めている者たちで構成される。その眼と威は邦の隅々へ向けられている…と言われているが。その威力が本当に隅々まで届いているかと言えば、今日のような破落戸が出没する現状を見る限り、答えは『否』だ。
「嗚呼、我が三木里家は邦護りを排出する家系だからな。自然と治安にも目が行くのだよ。」
鷹揚に笑って二人の疑問に答えつつ、彼は改めて名乗った。
「私はこの家の第三子、三木里萌黄だ。この地の『神殿』に神殿武官として仕えている。」
「あたしは音曲師、久遠。漢名だけども家名は無い。こっちは相棒のいざり。」
「ほぅ…久遠と、いざりか。」
萌黄はもの珍しげに久遠の名を反芻する。そういった態度には慣れているらしい、久遠は平然としていた。
通常、漢字を使う名は、家名を持つ者とされている。そして家名を持つ者とは、武人や貴人などの権力ヒエラルキーにおいて高い位置に居る者を指す。従って、家名を持たないのに漢名を持つ久遠は、極めて特殊な例となるのだ。
「まぁ、よいか…改めて、久遠といざり。二人には礼を申す。謝礼として何かしらの品を……そうだな、旅暮らしのようなので着物を用意しよう。受け取ってくれような。」
笑みを崩さず、自分の提案は総て通ると思っているらしい萌黄に、久遠は首を振った。縦ではなく横に。
「否、なんつーか…破落戸ぶちのめしただけのに謝礼とか、ほんな御大層なモンはやり過ぎだら。その言葉だけ、ありがたく頂戴しとくわ。」
聞く者によっては嫌味とも不敬とも取れる言葉だが、萌黄はソレを『遠慮している』と取ったようだ。
「そう遠慮せずとも良いのだが…。ところで久遠。そなた、その被り物は取らぬのか?」
屋内にも拘らず頭巾を取るそぶりもない久遠に、萌黄が不思議そうに問いかけると、久遠は軽く息を吐いた。想定内の問いだったからだ。
「気にせらんどきん。あたしゃコレ、脱ぐ気無いでな。」
「しかし、此処は既に屋内。その薄絹は邪魔となろう?」
「音曲望む客はコレぐらいで何ぞや言わんけどもがな。」
暗にこれ以上の詮索をするなと言っているのだが、やはり萌黄はソレを酌んではくれなかった。それどころか二人にとってはかなり想定外な言葉を続けたのだ。
「否しかし、後ほど家の皆にも目通りして貰うわけだし、湯あみや着替えも必要となるだろ…」
「は…え?何言って…」
「ま、待て。ちぃと待てや、坊ん。」
慌てる二人の様子を、萌黄は不思議そうに見た。自分より明らかに年下の久遠に『坊ん』呼ばわりされた事は気にならないようだ。
「どうかしたのか?」
「如何したも何も……アンタ、うち等が此処に泊まると思っとんのか?」
「じきに、部屋の用意も整うだろう。そなたらの音曲の業も披露して貰いたいし。」
「道中、んな話一っ言もせらんかったやんけ!依頼すんならちゃんと先にせやぁよ!」
そもそも泊まる気はないと、言外に表している久遠だが。やはり萌黄に動揺はない。
「そうだったのか。では改めて依頼しよう。本日よりこの家に逗留して貰いたい。そなたの音曲を聴かせたい方がいるのだ。引き受けて貰えるならば、出来得る限り便宜を図ろう。」
「だで、泊まらんっつっとんに…」
苦虫をかみつぶしたような表情でツッコむ久遠に、いざりは告げる。
「久遠、コレ無理っぽいわ。自分に都合よく変換する性質だ……有無言わせず退散した方が良い。」
「ほだな。悪いけどもが、坊ん。このはな…」
「邦境の関における通行手形は、用意できるが。」
交渉というつもりもない萌黄の言葉に、断ろうとしていた二人の動きが止まった。
民間の商人や芸人など職業人が寄って出来た各種組合の一つで。音曲師たちの組合『繋音』が発行する通行手形は持っているのだが。何分にも民間発行なので、公的なモノより信憑性は薄いらしく。邦境の関護たちに何度も問いただされるし足止めは食らうし、本来ならやらなくても良い音曲披露などもして自らを証明しなくてはならなくて、久遠たちは辟易していたのだ。そんなわけで、邦護に携わる家が発行する公的な通行手形は、二人にとっては何よりも欲しいモノだった。
「…………通行手形、二人分…?」
「邦主さまの発行する半永久的なモノとは違って一年しか保たないが。それでも良ければ約束しよう。」
久遠といざりが、互いに顔を見合わせる。声に出さないがこの依頼をどの程度の条件で引き受けるかを吟味して、ようやく久遠が応えた。
「泊まらんと通いで。それとあたしゃコレ脱ぐ気無い。ほんでも良んなら、引き受けようが。」
その条件に、萌黄は少し思案して、承諾した。それでも未だ逗留を勧めようとしていたが。
「通行手形の発行は七日はかかる。ソレまでの逗留先は決めてあるのか?」
「ああ、当てはあるで、そう心配せらんどきん。そっちからの連絡も、確実に届くでな。」
「そ、そうか……しかし、やはり被り物は、邪魔ではないのか?」
そして繰り返される頭巾に関する言及に、久遠は身振りからでも判る程、大きく溜息を吐いてから、言った。
「この下を見せたないで脱がんっつっとんじゃ。大概理解せぇや。」
薄絹越しでも判る強い視線。齢十を過ぎた程度の童が放つには、異様とも言える威圧感。それに萌黄はたじろいで、そうしてようやく理解した。久遠の頭巾は人目を惹きつける為ではなく、只、必要に迫られて被っているのだという事を。
「それは……気づかなかった。申し訳ない。」
「ん。解ってくれりゃ、ほんで良い。」
眉を八の字にして謝罪する萌黄に、久遠は落ち着いた声音で返す。彼の様子を見て、いざりは久遠に耳打ちした。
「あの顔だと絶対、怪我や傷を隠してるって思ってるな…。」
「知らん方が幸せって事もあらぁな。本当の事教えんのもめんどいし。その所為で『神殿』にあたしの所在が知れるなんざべっとこさーじゃ。」
こそりと囁かれた低音に対して、顔をしかめて久遠は呟いた。
前話である意味助けられた三男坊(20)。良く言えばおおらかな正義漢。悪く言えば独善的天然KY、そして無駄に地位と行動力があるので性質が悪いです。めんどいのに捕まったね、久遠たち。