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星に願いを

作者: 篠崎祐



 昔々のお話です。


 ある山の天辺に、鬼が住んでおりました。鬼はその恐ろしい姿のせいで山の麓に住む村人に恐れられておりましたが、彼らに対して鬼はなんにも悪いことは致しませんでした。たまに迷い込む旅人を食べる程度で、村人には決して危害を加えない善良な鬼であったのです。


 そしてその鬼は一人の人間の少女を飼っておりました。鬼にとって彼女は、警戒心の薄い無防備な雌の小鳥なのです。その小鳥は大層可憐な姿をしていましたが、少々頭が悪いのが欠点でした。小鳥の癖に、自分の身を守ることを知らずにだれの言うことも信じてしまうのです。挙句の果てに、「神さまのお恵みがありますように」などと誰に対しても願うので、鬼は小鳥のそんなところを煩わしく思いながらもこの愛らしい小鳥を可愛がっておりました。


 そうして平穏な日々を過ごしていたところ、山の鬼は以前から親交のあった別の鬼に宴に誘われ、小鳥を残して一日だけ塒を留守にしました。だって小鳥は頭の出来が悪いのですもの。そんな所に小鳥を連れて行ったところで、碌なことにならないのはわかりきっておりました。


 そうして久しぶりに悦楽を貪り、狂宴を楽しんで塒に戻ったところ、可憐な小鳥の姿は醜く変貌していました。先ず、右の腕が無くなって左足が捩れています。身体の所々にぐずぐずに溶けてしまった焼け跡と、噛み千切られた跡もありました。長く伸ばしていた美しい黒髪は坊主頭に削ぎ落とされ、鬼が着せてやった高価な着物は切り刻まれてしまっています。それだけでも鬼にとっては残念でなりませんのに、上半身の皮膚は余さずべろんと剥がされ、筋肉やその筋が露になってしまっていました。極めつけには小鳥の股の間に白と赤の混じったものがこびりつき、それがどうしようもない異臭を放っています。


 ああ、そうです鬼にとって一番許せなかったことは、この変わり果てた小鳥がもう鳴かないことでした。





「だぁれが殺した、ぼくのぼくの小鳥、いとしの小鳥」


 それはわたし、わたしが殺したぁ。うふふ、と笑いながら幼い少年が楽しげに唄を口ずさむ。短く切り揃えられたおかっぱ頭をさらりと揺らすたび、着物の裾がひらりと躍った。必死の形相で切りかかってくる者も我先にと逃げ惑う者も、だれもかれも片端から殺したせいか長い爪に血肉がびっしりと詰まってしまっている。


「なんかキモイなあ……」


 少年は嫌そうに呟きながらも、爪に詰まった血肉を美味しそうにしゃぶって綺麗にしていく。少しして爪の処理が終わると反対側にくるりと振り返った。骸の折り重なる血肉の山の間に、ぶくぶくに太った男が腰を抜かして少年を見ている。あまりの恐怖に失禁でもしたのか、少年の鋭い嗅覚がわずかに尿独特の臭気を捕らえた。


 うえ、と少年が顔を歪めて鼻を抓む。「臭いなぁ。その歳で厠まで我慢出来なかったの、カワイソー」と小馬鹿にして笑うと男がようやく動き出した。


「ひっ、ちが、違う! わたしではない!」

「漏らしたのはあんたでしょ。人のせいは良くないって」

「あ、ち、いやだ、来るな!」

「なあにそれ、失礼だなあ。ぼくだってあんたになんか近づきたくないよぉ。だって臭すぎんだもーん!」


 あはは、と噛み合わない会話にも少年は楽しそうに笑う。小さな唇から覗く鋭い牙がちらちらと見え隠れしていて、男は情けない悲鳴をあげた。贅肉だらけの身体をぶるぶると震わせながら、脂汗を滲ませて他人の骸の上を必死に這っていく。ソレはもう人間ではなかった。なんておぞましい生物なのだろう、と少年が不思議に思いながら様子を見ているとソレはとうとう壁に行きあたって止まる。それでもなお逃げようと、壁を叩いてもがく醜さに少年が赤い唇を不満げに曲げた。そして息を吸うと、


「だぁれが殺した、ぼくのぼくの小鳥、いとしの小鳥、それはわたし、わたしが殺したぁ」


 唄いながら、骸を踏みつぶして近づくとソレがまた五月蠅い悲鳴をあげる。わたしじゃない、わたしじゃない、あれは将軍に命れいされた、じっさいにやっタノハコノモノタチダ。ぎゃあぎゃあと狂ったように叫ぶ声は罅割れて、少年の耳には言葉として認識されない。小鳥の美しい鳴き声が懐かしかった。


「……うるさいなあ」 


 はああ、と長い溜息を吐いて少年が赤い目で睨むと、不快な音はぴたりと止んだ。少年の足の下で、ごり、とだれかの骨が鳴る。


「ねえ、ぼくの小鳥は美味しかったでしょ。焼いて食べちゃったみたいだけど、どうだったのかなあ」


 うふふ、と笑い声を上げながら男のでっぷりと膨らんだ腹の肉に優しく足を沈める。少年はその中に小鳥の一部がいることを知っていたのでことさら丁寧に踏んだのだが、男はそれだけで口の端に泡を浮かべた。あ、あ、と言葉を忘れてしまったかのように男が喘ぐ。少年はにっこり笑った。


「神さまのお恵みは返してもらわなきゃねえ」





 昔々のお話です。


 ある山の天辺に、鬼が住んでおりました。鬼に飼われた一羽の小鳥も住んでいました。

 ある日鬼が塒を留守にすると、どこからか領主と兵が押し掛けてきて小鳥に言います。


「お嬢さん、私はお腹が空いた。なにか食べるものをおくれ」


 小鳥は塒にあった全ての食べ物を与えましたが、それでも満たされない領主は小鳥の身体を所々焼いて食べました。小鳥は言います。


「神さまのお恵みがありますように」


 領主はさらに小鳥に願います。


「お嬢さん、私は頭が寒い。なにか被るものをおくれ」


 小鳥は塒にあった全ての着物を差し出しましたが、それでも満たされない領主は小鳥の髪を削ぎ落としました。小鳥は言います。


「神さまのお恵みがありますように」


 領主はさらに小鳥に願います。


「お嬢さん、私は未だに寒い。なにか羽織るものをおくれ」


 小鳥はついに自分が着ていた着物を差し出しましたが、それでも満たされない領主は小鳥の上半身の皮膚を剥いでしまいました。小鳥が言います。


「神さまのお恵みがありますように」


 領主はさらに小鳥に願います。


「お嬢さん、今度は下肢が寒い。なにか暖のとれるものをおくれ」


 小鳥はとうとう自分の下着を差し出しましたが、それでも満たされない領主は小鳥の身体を抱きしめました。小鳥が言います。


「神さまのお恵みがありますように」


 領主はさらに願います。


「お嬢さん、それでも私は寒いままだ。お嬢さんをおくれ」


 領主はもう小鳥の言葉を聞こうとはしません。醜く太った身体で小鳥を下敷きにし、どれだけ小鳥が泣き叫ぼうとただ笑うのみです。周囲で囃し立てる兵達の野次を聞きながら、小鳥は夜空を見上げました。星がきらりと光ります。


「ああ、お星さまは私の一番の願いを聞いてはくれなかった」


 あの幼い鬼の顔を思い出して、ふふ、と笑って泣いた小鳥を星は黙って照らすばかりでした。





元ネタ「マザー・グース『誰が駒鳥殺したの』」

   「グリム童話『星の金貨』」


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