妄想癖
(こんなシュチュエーションはどうだろう?)
例えばこんな話だ。
いつも寝る為だけに使うこの部屋。殺風景なわけではない。ソファー、テレビも揃っている。壁際にはサイドボードだってある。中にはお客が来た時に使う洒落たティーカップやらが並んでいて、その上にはお土産のおきものや人形が飾られている。
いつでも客間として使えるような部屋だ。そんな八畳ほどの部屋の真ん中に布団を敷いて寝ている。自分の部屋は?
もちろん自分の部屋はある。でも、なぜかそこで寝る気はしない。だから今日もこの部屋で夢の中へ落ちるまで代わり映えしない天井を見ている。
そして、今夜はこんな妄想をしてみた。
“サイドボードの上の人形が話しかけてくる”
彼女はいつも、寝ている俺を見て何を思ってるのか?
『あら、もうこんな時間なのね。今日はどんな事があったの?聞かせてちょうだい。』
疲れて一刻も早く眠りたい俺に彼女は話しかける。俺はそんな事はお構いなしに寝返りをうっていた。
『今日もだんまりなのね…いつも微笑みかける私に見向きもしないで。私だってあなたのようなずんぐりむっくりな容姿の男性に興味なんてないわよ。…ただ、ずっとここにいてお友達ができない事にうんざりなの。そろそろ少しお話しましょうよ。』
…。普段聞こえてくるはずのない彼女の声。今日は聞こえるような気がした。
『今日はとても疲れたよ。いつもよりお客が多くてね。特にクレームの多いあの人が来たのもあったかな。とにかく疲れたよ。なのになかなか寝つけないのはなぜだろう?』
『寝つけないのはいつもの事じゃない。ねぇ、せっかくお話ができたんだからもっとあなたの事聞かせて下さらない?』
もっと驚いてもいいと思ったが、彼女も俺もいたって普通に会話を始めていた。本当に良い出会いというのはこうなのかな?そう思えるくらい自然だった。
(どんな話がいいだろう?)
『何か聞きたい事はある?』
女性と会話するのが苦手な自分にとって、話題の提供とは何とも難しい作業に思えた。しかし、少し雑な質問かもしれないが、彼女が俺をどう見ているか少し興味がある。これで様子を伺おう。
それにしても…人形に対して異性を意識するなんて、我ながらおかしな話である。
『そうね、お仕事は何をしているの?いつもとっても疲れているようだけど。』
『中古車販売の営業部で働いてるんだ。と言ってもクレーム係でね。いつもいつもいつも、ヤヤこしい話がこっちに回ってくる。いい加減うんざりだよ。』
様子を見るつもりがこの様だ。何と言うか…仕事の不満は身体から溢れるほど溜っている。人形のクセにいいところを突いてきたものだ。仕事の話となれば朝までだって話せる自信があった。
相手は人形、この際聞いてもらおうじゃないか…初めはそう思っていた。
どのくらい話をしたかはわからない。ただ夢中になって愚痴を彼女に聞いてもらっていた。
今、気がついたが、初めての内容が愚痴ばかりというのも気の毒な話である。俺になかなか“恋人ができない”というのは、こんなデリカシーの無さが原因なのかもしれない。
まだ真夜中は始まったばかりだ。これからは少し明るい話題でいこう。
そう思う俺には、少し前の刺々しさが無くなっていた。彼女からは冷たい女性の雰囲気が漂う。うまくは言えないが、クールやドライと言った言葉が良く似合っている。しかし、その本質はどうだろう?彼女の冷たさは品の良さであって、会話の中に育ちの良さが伺える。
…俺もどうかしてきたかな。人形に育ちもクソもあったもんじゃない。しかし、ここまで想像できる自分がすごい。
『それで続きはどうなったのかしら?』
そう、話はまだ途中だった。
彼女は自分がいる空間以外何も知らない。この部屋の景色以外何も。外の世界がどんなモノであって、どこまで広がっているかさえ知らない。だからこそ、俺が話す内容にすべて興味があった。どんな愚痴だろうとその先に興味を抱いていた。そして、彼女のドライな部分こそが、俺の内面から膿を吸い出していた。
『もう寝た方が良さそうね。明日も早いのでしょ?疲れが抜けないまま働いていては身体に良くないものね。』
『今日は眠くないんだ。だからもっと話をしよう。』
『うれしいわ。あなたの話はとても楽しいの。私も眠ってしまうのはもったいないと思ってたのよ。もっとお話しましょ。』
(彼女の為に何か話したい)
『君はずっとこの部屋にいるけど、どこか行ってみたい場所はあるのかい?』
俺は、初めて布団から身体を起こし、彼女の顔を見ながら話をした。
『そうね…私、この部屋の外の世界を知らずに今まで過ごしてきたの。だから、どこがいいかなんて決められないわ。ただ…』
『ただ?』
『あの絵…あの景色が見える場所へ行きたいわ。あの青や緑に輝く場所へ。そうしたらきっと私、今までの自分から何か変わるような気がするの。きっと素晴らしいはずよ。』
あの絵…。あれは俺が学生の頃に海外へ行った時のものだ。もう何年も前の話だが。今でもあの時の事は覚えている。
遊びに行ったわけじゃなく、ゆっくりできたわけでもなかった。でも、あの時の事は良く覚えている。
(とても綺麗だった。)
『え?』
自分で声に出したかどうか分からなかった。
いや、出てなかった。間違いない。
でも、彼女には俺の頭の中の声が聞こえた。あの場所へ行きたいと願う彼女。その思いが彼女を反応させたのだ。
『いつか君も連れていこう。きっと素晴らしい場所さ。』
『嬉しいわ!きっとよ!』
初めて聞く彼女の声色だった。いつか必ず連れていく。そう約束した。
(眠れない…。)
二人がどれくらい話を重ねたかわからない。ただ、どうしても眠くならない。いや、眠れないんだ。
『楽しいわ。もっと聞かせて?』
確かに彼女との時間は楽しかった。このまま眠ってしまうのが惜しいくらい…。
(こんなシュチュエーションはどうだろう?)
早く眠ってしまいたかった俺は、いつものように妄想の世界へと入っていった。見慣れた景色が目の前に広がっている。だからこそ、いつもの景色が恋しかった。いつも眠ってしまう直前の景色…。
その中ではきっと安らかに眠れる。そう思っていた。
しかし、世の中うまくいかないものだ。身体中に響いてくる痛みは俺を寝かしてくれない。せめて気持ちだけでも安らいだものになれば…。俺はそれぐらいにしか思っていなかった。そして、偶然に選んだ彼女は、俺にそれ以上のものを与えてくれたのだ。
『ねえ、もっと聞かせて。』
今はこの声が俺をこの世界に繋ぎ止めている。
…仕事に追われ、ただ寝る為だけに家へ帰り、特に趣味も持ち合わせない俺。
ただの楽しみが寝る前の妄想くらいだ。恋人がいたのは27年間でたったの一人。その彼女にも『退屈な人ね。』と半年も持たなかった。しかし、あの頃の俺が一番輝いていたのかもしれない。浮いた話がなくとも、競技に熱くなれた自分を信じ、青春をおうかしていた。それが今じゃ夢も希望もないずんぐりむっくり。先を見たところで何も変わりゃしない。
(俺は、ここで人生が終わっても良かった。)
そんな俺は今、身動きひとつできずにいる。
帰宅途中の事、帰路を急ぐ俺は、飛び出してきたスクーターを避けようと電柱に激突した。
その後は良く覚えていない。
少しずつ痛みが広がり、絶望が足元から這上がってくる。俺は運転席に挟まれていたのだ。
『ねぇ、続きを聞かせて。』
苦痛から逃れたい俺。
逃れられない現実。
やがて訪れるお望みの結末。
もうすぐ眠れるのだ。
いや、こっちの世界もまんざらではない。彼女がそれを教えてくれた…
【2ヶ月後のある正午】
俺はあの部屋にいた。
もちろん、今日が記念すべき退院初日である。
(まんざらでもない。)
まだ痛む脚の手術痕も、いつ終わっても良かった過去も、そして、この部屋も…まんざらではない。
今(現在)の為にすべては存在するのかもしれない。そう思える俺は、どこか以前とは違っていた。
大切な女性ともめぐり合い、会社の上司や同僚が見舞いに訪れては自分が存在する意義を見い出していた。
あの日の、例え妄想であっても彼女との会話が俺を変えた。今まで持てなかった自信や思いやり、そして少しではあるが、大胆さも持つようになった。
大切な女性…思えば、その少しの大胆さが俺をプロポーズへと導いたに違いない。退院日が決まった先週の水曜日、俺は親身になって接してくれた看護師へ告白した。
答えはOKだった。
いつの間にか二人で話すような間柄となった彼女。こんな俺だがきっと幸せにしてみせる。
(もちろん、君との約束も守ってみせる。)
彼女がいなければ、俺の人生はあの日に終っていた。少しずつ意識が薄れて行く俺。彼女は俺に話を続けさせ、眠る事を許させなかった。そして、救急車のサイレンが微かに聞こえたのを期に俺の記憶は途切れている。たまたま通りかかった人が連絡してくれたらしい。
もしあの時、もっと早くに眠っていたら…。
(だからこそ、彼女に感謝したい。)
そう思うと彼女の入ったガラスケースに目がいった。そして、彼女にも。
(だいぶ埃がたまってるじゃないか…。)
そして、長い間開けらる事の無かった、ガラスケースの取っ手へ手を掛けた。
毎日とはいかないが、俺は彼女を綺麗にしてやる事にした。
こうやって見ると、彼女もなかなかの美人だ。
『あら、今日はやけに優しいのね。』
(もちろんさ。)
そして、優しくガラスケースを閉めた俺は、彼女から良く見える位置へと“あの絵”を飾り直した。
(こんなシュチュエーションはどうだろう?)
最高じゃないか。
◇◇ THE END ◇◇