江ノ島のぼら王
中学時代の釣りの話は暗くて悲しい話が多い。
まあ……もともとボクは中学では楽しい思い出が少ないのだ。
だから好きな釣りの話でもどちらかというと暗めの話が多くなるのは仕方ないのかもしれない。
そんなわけで、今回は高校時代の話。
中学の友人がそんなに好きでなかったボクは地元から遠くの高校に進学した。
そこで出会ったのが保田くんであり、多田くんなのである。
太っちょの茨木くんとも高校で知り合った。
この4人での付き合いが大人になってもしばらく続くとはこの時のボクは思ってもいなかった。
だけど……今回の話。
彼らは出てこない。
この間、ふと思い出したのである。
実はクラスに釣り好きが一人いたのだ。
それが武山くんである。スポーツ万能の武山くんは中学時代、柔道をしていたということで、ガッチリしており、高校に入っても体育の授業ではすごいパフォーマンスを見せていた。
武山くんはスポーツマンらしくさっぱりとした性格で、ボクは好感が持てて好きだった。
細かいことも言わないし、高校の卒業式の日には、家族が乗ってきた車を自ら運転してくれてボクらを駅まで送ってくれたことは今でも昨日のことのように思い出すことがある。
高校時代、ボクは武山くんとの付き合いはほとんどと言っていいほどない。
仲が悪いということはなかったが、保田くんや多田くんなんかに比べるとそこまでの付き合いでもなかった。
だから彼から釣りに誘われた時は少しびっくりしたのを覚えている。
『阪上、明日暇??』
いつも保田くんに言っているセリフを今度は違う誰かから言われた。
驚きはあったものの嫌ではなかった。
『大丈夫だよ』
『じゃあ、釣り行かねえ?』
『お! いいねえ。行こう行こう!!』
釣りの誘いを特に断る理由などなかった。
翌日は祝日だった記憶がある。
『じゃあ江ノ島に行こう。いいところ知ってるんだ』
武山くんと約束してボクは大船で待ち合わせをした。
その日は武山くんの他に須田くんという同級生も来た。無口な須田くんも穏やかな性格で嫌いではない。
祝日ということもあって江ノ島は混み合っていた。
江ノ島というからには釣り人には有名な裏磯に行ったと言いたいところだが、行ったのは表の磯だった。武山くんが教えてくれた、その釣り場は、周りは磯だが、釣り座は堤防だった。
実は数年前に子供を連れてそこに行ってきたのだけど、よくよく見てみると非常にいい場所で、潮巡りがよく、場所にはまる仕掛けをちゃんとチョイスできればそれなりに釣れるのではないかと思われるような場所だった。
さて……ボクが何を狙って釣りをしたか……ということだが……。
ボラを狙っていた。
信じられない話だが、ボラが釣りたいと思った時期もあったのである。
だからその日の仕掛けは最初からサビキ仕掛けだった。
このサビキ仕掛け。
どう言ったものかというと、エビに似せたゴムがついている針が6本ほどついているものの一番上にコマセを入れるカゴをつけて一番下に錘をつけて水中に沈ませるという仕掛けである。
この仕掛けはよほど条件が悪くない限りはかなりの確率で釣れる仕掛けであり、後にボクらの間で『保険』と呼ばれるようになった。
要は釣れないときの『保険』というわけである。
ただかなりの確率で釣れるサビキ仕掛けでも釣れないときもある。
仕掛けの届く範囲が水深が浅いところや、潮通しが悪く、そもそもその場所に魚が居着かない場所である場合がそうである。
そのほかにも、仕掛けを入れてすぐに釣れるわけではないので、根気も必要になる。
仕掛けを投入して、粘り強く上下にシャクリ、コマセカゴからコマセが水中に出るようにしつつ、魚を寄せていく必要がある。
このような手間をいつものボクはかけたがらない。
だからいつまで経ってもヘッポコ釣り師なのである。
ただこの日は違った。
仕掛けを作り、コマセを入れて、何度もシャクった。
コマセもアミコマセの他にも粉エサを混ぜたりして工夫をした。
ただ所詮……ボラである。
多少の工夫と条件がしっかりあえば簡単に釣れてしまうのだ。
ボラという魚は他の魚と比べて容易に釣れてしまうところがある。
そういうところが多くの釣り人に敬遠される一つの要因になっている。なぜ、当時ボクがボラを狙ったかというと、その時はまだボラを釣ったことがなかったからだった。
この頃のボクはホントに釣りが下手だった。
もちろん今でもそんなにうまいわけではないが、当時はひどかった。
江ノ島の周りではボラがポンポンと元気よく跳ねていた。
魚が見えると釣る前からもう釣った気になってしまうのは悪い癖である。そういう悪い癖は今も治っていない……。
釣る前から釣った気になるというのは釣り人の性かもしれない。
釣り人は釣ったときも言い知れぬ満足感に包まれるのだが、釣りに行く前に、釣ったことを想像しながら悦に入ることも楽しむのである。そしてさらには釣りの帰りに次回の釣りのことを考える……。釣れた時は、『今日は仕掛けが良かった』とか『今日は潮めぐりが良かった』……とか。
実際にそうだったのかどうかは分からない。
でもありとあらゆる可能性を考えて、自然と知恵比べするのが面白いのである。
そして『次回は同じ仕掛けを大量に買っていこう』とか『同じ潮めぐりの同じ時間に行こう』とか考える。
逆に釣れなかったときは『今日は仕掛けが悪かった』とか『場所が悪かった』とか『時間が悪かった』などなど……。
あ。
ちなみに自分の腕が悪いとは考えない。
あらゆることにおいてマイナス思考なボクでも何故か釣りに関してはプラス思考なのである。
釣りは釣れないからつまらない、と言っているうちは素人で、釣れないことを楽しめるようになれば上級者だとボクは思っているのだけど、そう思っていること自体、やはりヘッポコ釣り師であることの何よりの証しなのかもしれない。
話を元に戻そう。
その頃のボクは素人同然だったから、釣れないことを楽しむ余裕はなかった。
ボラでもなんでも釣れるものは釣りたかったのである。
朝8時か9時頃だっただろうか……。
釣り場に着いて、仕掛けを作り投入した。
武山くんと須田くんはそれぞれの仕掛けで釣りをしていたが、二人ともその場の釣りにはそぐわない釣りをしていたのを覚えている。
そして釣り座の堤防も着いたときは潮が引いていたせいか、かなり浅かった。
ボクのサビキ仕掛けはギリギリ、海面から一番上のハリが出るか出ないかというぐらいの深さしかなかった。
釣り始めてすぐに、ボクの磯竿がぐいっとしなった。
釣れたのはヒイラギという雑魚だった。
ヒイラギに関してはすぐに放流して、また気を取り直して釣りを始めた。
そこからは釣れなかった。昼ごはんを食べて、釣り場には携帯型ゲーム機を持って行っていたので、ポカポカと暖かい昼下がりに堤防の上で暇つぶしをしていた。
武山くんはルアーで磯周りを攻めていたが、あまりに根がかりが激しく、すぐに断念していた。
今考えてみると狙いは良かった。
磯周りの水深の深いところもいくつか点在しているポイントだったので、そこを粘り強くルアーで探っていけば面白いとは思う。小魚が回ってくるような場所だったのでそれを追いかけてスズキも回ってくるのでは……と個人的には思うのだけど、実際にはこの時を最後に同じ釣り場に釣りに行っていないのでなんとも検証のしようがないというのが事実だ。
時間は15時過ぎ……。
陽が少し傾きはじめた頃……。
あまりに釣れないので、いいかげんボクらはだらけ始めて、堤防の上で昼寝をしたりしていた。
気がつけば潮が満ちていた。
竿がぎゅうんと海に引きこまれるようにしなったのはその時だった。
もちろん朝方釣ったヒイラギの魚信ではない。
間違いなくそれはボラだった。
堤防の上で寝ていたボクはすぐに竿をあおって合わせた。
手のひらから身体中に強烈な引きの感覚が走りまわる。
数分、ボクはボラと格闘した。
竿をため、糸が切れないように適度に糸をだしながら、魚とのやりとりを楽しんだ。
そして、ボラがタモ網に収まったとき、えもいわれぬ喜びがこみあげてきた。
『おお!! すげえ!!』
40㎝を超えるボラに武山くんは惜しみない賛辞を送ってくれた。
これは中学時代の友人には考えられないことだった。
奴らなら間違いなく『なんだ。ボラか……。たいしたことないな』とか言われてたはず……。
確かに、ボラはたいしたことのない魚ではある。
しかし、その日、その場ではその魚しか釣れておらず、しかも40㎝の大物なのだから、釣れたのがボラであったとしてもこの時の武山くんのように共に喜ぶ姿勢を持つということが、釣りを楽しむ上では重要ではないだろうか。
中学時代の友人とは、卒業後、数回程会っている。
しかし、坂沢くんはバイクの免許を取って釣りはしていなかったし、保井くんに関しては高校時代には釣りをしていたようだが、社会に出て一度だけ偶然にも会ったときに話したら『もう釣りはしていない』とのことだった。
たぶん、奴らは本当の意味で釣りが好きではなかったのだろう。
その日、ボクは竿頭……つまり同行釣り人の中で一番だった。
つまり王だったわけである。
江ノ島の『ぼら王』だったのだ。
今となっては、ボラなど釣れても昔ほど喜びはしないが、その当時は本当に嬉しかった。
ボラを持って帰ったところ、家族からはあまり嫌な顔はされなかった記憶がある。
翌日にはぼらの切り身がフライになって弁当に入っていた。
美味しかった記憶がある。
そして武山くんはそのことに関しても喜んでくれた。
武山くんとは高校卒業以来会っていないが、先日、裾野の管理釣り場に保田くんと釣りに行った際に話題に上った。
もしかしたら武山くんと裾野で再開して、子供でも連れていたら……と言う話だ。
ない話ではない。
ボクだって結婚して子供もいるわけだし、同級生に子供がいる奴がいてもおかしくはない。
江ノ島でぼらを釣って喜んでいた時に比べると、随分と、年をとった。
だけど初めてボラを釣った時の喜びを今も持ち続けている。
そういう意味ではいつまでも子供なのかもしれない。