行くべきか行かぬべきか……それが問題……か?
釣りに行きたい。
口を開けばそんなことを言っている。
『ちょっと前に行ったじゃん』
かみさんはそう突っ込む。
いやいやいや……
そんなわけない。
だってこんなに釣りに行きたいのだからちょっと前に行ったわけがない。
というよりちょっと前に行っていてもまた行きたいのだ。
いや、前に行くとかそういうレベルではなく、毎日行きたいのだ。
実は釣りに行きたいというこの発言……。
一つ、大きな問題がある。
まあ、そりゃ行けるものなら行きたいのだけど、ボクが住んでいる場所は釣りができる海までそこそこの距離がある。やっと海に着いたかと思えば、昔は釣りができた場所も今では釣りができなくなっていることがある。そして紆余曲折、釣りができる場所を見つけても、そこは朝早くに行かないと場所がとれなかったりもする。
幸いなことに勝手に何かの荷物を置いて『ここは俺の場所だ』みたいなことを言う地元民はいないのだが、それでも場所取りのために早起きをしなければならないのだ。
同時にそんな早起きしなければならない割に、朝まずめと呼ばれる日の出の一番釣れる時間帯に、その場所で魚が釣れるかといえばそうでもない。いや……腕の問題もあるのかもしれないが釣れないことの方が多い。
そんな状況にも関わらず、眠い目をこすって朝の3時ごろに起きて釣りに行く価値はあるのだろうか……という問題がつきまとうのである。
てゆうか……
四の五の言わずにさっさと釣りに行けばいいじゃん。
と言われそうだ。
まさにそれはその通り。
独身時代のボクなら釣果など二の次で……いや自分が釣りに行くときは必ず釣れるはず……と都合のいいことで頭がいっぱいになり、スマートフォンのアラームを午前3時に設定し、嬉々として釣りに出かけただろう。
最近のボクは少し違う。
独身時代と違い釣りに行ける頻度が違う……といえば聞こえはいいのだが、年齢を重ねると釣れない釣りが身体にも精神にも堪えるようになったからだ。
釣りに行きたい……という言葉の裏には、確実に魚が釣りたいという強い願望が付きまとう。
だから釣れるかどうか分からない釣りには行きたくないのだ。
まったくもって釣り人にはあるまじき考え方である。
そもそも釣りというのは釣れない時間も楽しむ高尚なスポーツだ。
ただ最近のボクから言わせれば、そんな高尚な気持ちになれるのは、名人クラスの人間の余裕のようなものであり、ヘッポコ釣り師であるボクはとにかく1匹でも多く釣りたいのだ。そしてあわよくば大物が釣りたい。
まあ、それは無理だろうけど……
こうなると釣れるかどうかも分からないのに釣りに行く……という行動はとりづらくなる。
まさに……行くべきか行かぬべきか、それが問題なのだ。