春を悔やむ
高校に入学した時は花冷えの寒い日だったと記憶している。
でも入学式を終えて翌日から学校に通い始めると、春の日差しが降り注ぐ、まさに小春日和の毎日だったのも記憶に残っている。
そういえばこの頃は受験勉強から解放されて毎日遊びに行くことばかりを考えていたような気がする。
中学の頃は高校受験が控えているので、なんとも鬱々とした気分を常に引きずっていたが、高校に入ってからは受験のことは考えなくていいという解放感から、とくに何もなくても毎日が楽しかった。
ただこれに関しても記憶というものは曖昧であり、もしかしたら気持ちが上がらない日もあったのかもしれないけど、まあ、せっかくにいい思い出に自分で水を差すことはないだろうと思うので、そのままにしておくことにする。
さて、春になり無事に高校に入学したボクだが、新しい環境にうきうきしていた。
高校生と言ってもつい昨日までは中学生であり、頭の中はまだまだ子供である。
特にボクは周りよりも子供っぽかったので中学の時は考え方が同年代で同じ学校に通う友人とは合わなかった。今でこそ個性が尊ばれる世の中になったが、ボクが中学の時はそうではなかったような気がする。多様性を認める最近の風潮とは違い、当時は『右に倣え』でないと周りから変な奴として見られることも少なくなったと思う。
ただボクの場合は人と違うことをするのが嫌ではなかった。
ボクにとって『変な奴』という言葉は逆に誉め言葉で、周りと違うことをしていることに変なプライドを持っていた。
まあ、当時のボクが思っていた『人と違うこと』というものが世の中に認められるものであるかどうかはまた別問題だったことはこのボクがろくな大人になっていないことが何よりの証拠でもある。
つまりは何を長々と書いたかと言えば、ボクは感性は独特で、ボクが感じていた高校に入学して感じていた高揚感というものはおそらく通常の高校生では感じないものなのかもしれないということだ。
というのもボクが入学した学校は工業高校で、男しかいなかったから、何か恋愛チックなものがあるわけでもないし、部活動が盛んで何かで全国大会を目指せるような学校でもなかったからだ。
ボクが感じていた高揚感は、当時の高校生にとっても今の高校生にとっても日常の一コマであり、そんなものになぜ高揚感を感じるのかと言われるとこれはなんとも説明のしようがない。
通学時に電車に乗ることや、通学路に流れている川を眺めて魚を見ること、駅の売店で釣り新聞を購入すること、これらすべてが高校に入学した時に初めて体験したことであり、その高揚感に水を差すような友人もおらず、ボクにとっての高校生活は順風満帆だった。
そんな高揚感の中、遠足があったと記憶している。
あれはいつだったかと言われるといつだったかちょっと思い出せない。
ただ横浜の中華街に行ったのは覚えている。そして季節は春だったと記憶している。
本牧から中華街など、横浜を自分たちでコースを決めて回ることができるというものだ。
今なら嬉々として行くところだが、当時のボクには暇な時間帯でしかなかった。というよりそんなに長い時間自由時間があるならどこか釣りができるところを探して釣りに行きたいと思っていたから実行した。
それで実行するのはいかがなものかと思う。
普通に考えて中華街とかを歩くわけなのに釣り竿持ってうろうろするんだから、一緒に行く奴はたまらないだろう。
てゆうか、なんだったら一人で釣りに行っても良かったし、もっと言えばサボって釣りに行っても良かった。でも学校と言う団体で行動する場所にそんな自由があるわけもないしサボる度胸は当時のボクにはなかった。
だからこそ100歩譲って遠足のコースを釣りができそうなところを探したのだ。
行ったのは本牧にある三渓園という場所。
実はけっこう有名な場所である。有名な茶人が作った邸宅だったという話をどこかで聞いたがよく知らない。
実はこれを書くにあたってちょっと調べたのだけど、重要文化財で格式の高い場所だったらしい。
そんなことは高校生のボクにはどうでもよかった。
てゆうか格式の低いボクらにそんな重要文化財の素晴らしさが理解できるわけもない。
ちなみに今でも格式が高くなったとは言い難いボクだけど、ちゃんと三渓園を見に行きたいとは思う。
ただとにかく当時は釣りがしたかった。
三渓園の外側には川が流れており、外側から釣りをすることができると、以前にどこかで聞いたことがあったのでボクはそこで釣りをすることにした。
それにしても……
今考えるとなんでそんな中途半端なことをしたのだろうか。
釣りに行くのならちゃんとその場所で何が釣れるか、その釣り場の評判はどうなのか、釣れる時間帯、釣れる魚……それらのことをちゃんと調べてから行くべきなのであるが、そういうものは一切調べずボクはその場所を選んだ。
当然……釣れるわけもない。
いや釣れても困る。
そもそも釣れたらどうやって持って帰るつもりだったのだろうか。
よく思い出せないから、たぶんたいして考えずに釣りをしたのだろうと思う。
とにかく竿が出せれば良かったのだ。
こういうのを『釣りバカ』と言うのだろう。
しかも腕が伴わない『ヘッポコ釣りバカ』だ。
遠足の自由時間は限られている。
他の友人たちはボクの釣りに付き合ってはくれたが、時間は限定されていた。
記憶なのでなんとも言えないが、たいして釣りする時間もなかった記憶がある。
それもそのはずである。
基本的には横浜市内を限られた時間で散策する遠足なのだ。
釣りなどしてしまえばあっという間に時間は無くなってしまう。
ボクらは早々に釣りを切り上げて中華街に向かった。
今考えれば、遠足は遠足で楽しめばよかったと後悔している。
余談になるが、中華街で食べた豚骨をトロトロに煮込んだものが具としてのっていた『豚足ラーメン』はそこそこ美味しかった。
後にも先にも釣りをして後悔したのはこの時だけである。