見て楽しむもの?やって楽しむもの?
このまま仕事が見つからなかったらどうしよう。
と……割と真剣に悩んでいたボクなのだけどなんとか仕事も見つかって1か月が経とうとしている。
始めたばかりの仕事をしている最中に池とか川とかを見かけるとつい『何か釣れるのかな?』と考えて水辺に顔を向けてしまう。以前からそうなのだけど、やっぱりボクは釣りに関係することならなんでも楽しい。
川や海。湖、そしてため池に至るまで、魚がいそうで釣りができるところを見かけるとたとえその場で釣りができないにしても心が躍る。
『ここ、なんか釣れるんですか?』
と仕事で出会った人すべてに聞いては変な顔をされることも少なくない。
水辺を見て魚を釣ることを考える人などそんなにもいないからだ。
釣りに関係するような事柄を見たり聞いたりするのはとても楽しい。
もちろん実際に釣りができるともっと楽しい。
ただ……まあ、釣りに理解のない妻を持つとなかなかこれが釣りに行くのは大変なのである。
この話に関しては前回も書いたので今回はやめておこうと思う。
それに釣りに行けない理由は妻だけではない。
ただ冷静になって考えてみると学生時代のボクはそんなに釣りに行っていたわけでもなかったような気がする。
というのも釣りに行くにはそれなりに暇とお金が必要なのであって、学生時代は暇はあってもお金がなかった。それに今と比べればそれは確かに暇はあったかもしれないが、こうやって思い出してみると暇もあまりなかったのかもしれない。
というのも……今は土曜日が休みだが、ボクが学生だった頃は土曜日は普通に半日授業だったからだ。
半日、学校に時間をとられては釣りになんか到底行けやしない。
到底行けやしない……などと書いたが、なんだかんだそんな隙間時間でも釣りには行っていた。
もちろん、そんな短時間では何も釣れないのだが……。
では日曜日はどうかといえばそれはそれで何かと用事が入ることが多かった。
それに学生の本業である勉強もしなければならない。
まあ、この本業の方はほとんどやらなかったのだが……。
さらにテスト期間中は早く帰れるものだから、勉強などせず釣りに行って、それが発覚してえらく怒られたのを覚えている。なんだかんだ言っても勉強などは、やる気のない者にいくら言っても無駄なのであり、ボクはそのことを自らの行動で証明した。
どうでもいい話である……。
一番、釣りに行けていたのは社会人になってからの独身時代かもしれない。
土曜日の朝は早くに起きて釣りに行き、昼間は他の事をして、また夕方釣りにいくなんて離れ業を平気でやっていた。
ただこんなボクでもそれなりに真面目に仕事をしていたので、釣りに行けるのは週末の休みの日ぐらいだった。
長々と、いつ釣りに行っていたのかという話を書いてみたが、要は今も昔も、週末の休みかもしくは祝日ぐらいしか釣りに行ける時間はなく、言うほど釣りばかりして生活していたわけではないのである。
ただ、東伊豆に住んでいた時は例外である。
というのも目の前に……海であり川であり湖があるのだから仕事を終えた後でも釣りに行けるわけで、ここに住んでいた2年間は最高だった。
釣りに行きたくてもいけないことは多々ある。
そんなときにどう過ごすのかというのが今回のテーマである。
いろんな方法があるが、基本的にボクは釣りのことは考えないようにしている。
そもそもボクは多趣味なので、釣りに行けない日は釣り以外でも十分に休日を楽しめることができるのだ。
ただそうは言うものの、それらの趣味の中で一番楽しいのはやはり釣りなので、釣行ができない日が続くとやはり釣りに行きたい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。
もうこうなるといてもたってもいられないのだけど、いけないものは仕方ないので釣り雑誌を見たり、釣り道具を引っ張り出したり、釣具屋に出かけてみたりして、なんとか釣りに行った気になるようにしている。
そんな中、釣りの動画を見るという方法を試してみたことがある。
これはそれなりに楽しい。
動画の中でわいわいやりながら、魚を釣っている様子を見ると自分もその場にいるように感覚に陥る。
ただしばらくすると飽きる。
なんで飽きるのだろうか……そんなことをふと考えてみた。
よくよく考えてみると……ボクは釣りの動画が見たいのではなく釣りに行きたいのだ。
だから釣り動画をずっと見ていても納得できるはずもない。
それに動画を見ているとなんだか空しくもなる。
当たり前っちゃ当たり前の話だが、動画の中で楽しそうにやっているあの輪の中にはこちらは入れないのだ。動画の中でいくら大物が釣れていても、こちらは海にも行けやしない。
基本的に釣りに限らず、大事なのは共感できることである。
例えば野球なら見るよりも自分がプレイした方が楽しいわけだが、それでも観戦するのも楽しい。それは野球というスポーツの楽しさを一緒に観戦している人間と共感し一体感を感じることができるからだ。
この共感があるか否かが大事なのだ。
釣りをしていて隣の人が釣るとボクは楽しくて仕方ない。
釣れなくても隣の人が釣ったということでその場に一体感を感じることができるからだ。
しかしこういう共感と一体感は釣り動画では一切感じない。
最初は楽しい。
釣れているところを映像を通してみるだけでも確かに興奮する。
しかし、ずっと共感しているのは難しい。自分は仲間外れにされているという気持ちが強くなる。いや……実際、仲間外れどころか仲間でもないのだ。
そうなると動画を見ていて空しくなる。
釣り動画でもプロが釣り方を教えてくれる動画は面白い。
これは共感ではなく、次回の自分の釣行の際に試したいことが増えるからだ。ここに共感はない。プロが教えてくれる動画に関しては共感を楽しむものではなく、学習を楽しむものだからだ。
釣り動画に共感を求めたり、学習を求めたりするのはなぜだろうか。
それは釣りというスポーツが『見て楽しむ』ものではないからだろう。
このまま仕事が見つからなかったらどうしよう……
そんな風に割と真剣に悩んでいた数か月前だが、1ヶ月とちょっと仕事しただけで、今度は釣り動画を見ながらため息をついて『毎日釣りに行きたい』などと思ってしまっている。
人間、勝手なものである。