第16話 高坂さんは、優しい。
金木犀が香り始めた八年前。
母に連れられて行った葬式。
一人の女の子が、長椅子に座ってひっそりと声を殺して泣いてた。
同い年くらいの子で、あまり見ない髪色。
気づけば、近寄って話しかけていた。
どうして泣いてるの?
私を見つめる、見たことのない瞳の色。
左頬は赤く腫れていて、唇は切れて血が滲んでいた。
痛いから泣いてるの?
問えば、首を左右にゆっくりと小さく振るだけ。
だんまりとこちらを見つめて、頬に透明の線が浮かび上がる。
私にはその子の気持ちが理解できなかった。
だからか、その子の瞳に映る自分に得体のしれない不安を覚えた。
涙をとめたくて母がよく私にする幸せになれるおまじないをした。嘘でも何でも涙が止まればそれでよかった。
彼女の涙はとまった。一瞬だけ。
初めの涙と違って不安に感じる事はなかった。
彼女が、笑って泣いてたから。
それから数日の間、気味悪く思ったのを覚えてる。
今でも、たまに夢に出てくるその子。
今では、悲しそうに笑う。
「見すぎ」
手を止めず言う高坂さん。
「集中しててもわかるの?」
「これが集中してるように見える?」
彼女の手元には、ぐるぐるとバネのようなものが描かれていた。
「……芸術的だね」
はあ、と呆れたようにため息をもらし顔を隠すよう机に伏せる彼女。腕に隠されていた顔がちらりと覗き、やる気のない目が見上げてくる。
「描きたくないの?」
籠持った声で描いてほしそうに言うから、喉がきゅっとなる。
「何を描いたらいいか分からなくて」
自由に描けと言われたらどんな難問より難しく感じる。
決められたことをこなすのは得意なのに。
「連想でもしてみたら」
「連想?」
高坂さんはコクッと頷き、起き上がって、手をまた動かし始める。
「ゆきだるま?」
「うん、綺咲さんの名前から」
出来上がった可愛らしく単純な絵。
「これなら私にも描けそう」
「難しく考えなくていい」
そう言ってまた、迷いなく線を引く高坂さん。
自由に表現できるだけの努力と技術力に感心する。
うーん。
高坂陽向、ひなた、ひな……?
高坂陽向と書いて、名前の後ろにひよこを描いてみる。
何故だか、とんでもなく無愛想なひよこが出来上がった。
「…………」
高坂さんは私の絵を見て、そのひよこと同じ顔をする。したかと思えば、私の名前をスラスラと書いて同じように何かを描き始めた。
「それ私?」
唇の下に黒子がついてる、私と似たミニキャラ。
違和感を感じるのは、口が英語のブイになってるから。
「よくわかったね」
高坂さんは満足そうに鼻で笑い、得意げな顔を見せる。
「……」
そうくるなら、と手を動かす。
目元に黒子を二つ描いて、完成した狐。
「その狐、目つき悪すぎでしょ」
「だよね、私もそう思う」
「……こう?」
高坂さんは、両の目尻を、指でびーんと釣り上げる。
「ふっふふっ、だめ、面白いくらい似てる、すごく」
いつもツンとして静かなイメージの高坂さんが、そんなことするなんて思わなくて肩が揺れる。
高坂さんは「いや、笑いすぎでしょ」と無邪気な笑顔を見せるから、つられて頬が緩んでしまう。
互いの肩が揺れて触れ合って、その度に心がじんわり温かくなる。そうやって時間を忘れて夢中になっていると、ふと高坂さんがスマホを確認する。
「そろそろご飯食べる?」
「うん」
「じゃあ一階いこ」
ふわふわした気持ちのまま、階段を降りる。
だんだんと熱気と笑い声が濃くなり、ふわふわは薄れていく。
「ちょっと騒がしいかもだけど平気?」
「うん、私は気にしないよ」
靴を履き、高坂さんの後をついて行く。
お店に繋がるドアが開けられ、高坂さんの背中越しに店員さんが大声で注文を通す声が耳に入ってくる。時折、お客さんの大きい声がして、来た時を思い出せないくらい雰囲気がガラッと変わっていた。
居酒屋ってこんなに盛んなんだ。
辺りを見渡しているとカウンター席の一番奥に案内され、私の隣席に高坂さんが座る。
ガヤガヤとする中、目の前の調理風景を見ていた。
見ていたら、突然、耳がゾワッとした感覚に襲われた。
吐息がかかるほどの距離で彼女が言った。
「苦手な雰囲気だったら遠慮なく言って」
――――ドクンと心臓が前に出そうになる。
不意のことにびっくりして、内容は右から左へ。
つい、数時間前まで警戒してたのに。
「いらっしゃい、何にしましょうか別嬪さん!」
元気な声に思考がパッと散り、現実に引き戻される。
「ばぁちゃんの大切なお客さんがお腹すいたってさ」
高坂さんが嫌味っぽく言ってみせると「そりゃ大変だ、好きなもの頼みんさい。フォホッホッ」と豪快な笑顔と笑い声を振りまき、厨房へと消えていく。
「はい、これ。なんでも頼んでいいよ」
右隣からメニュー表を渡され、胸においていた手を伸ばす。
手渡されたメニューは豊富で選ぶのに苦労しそうだった。
「ちなみに裏メニューもあるよ」
「裏?」
「常連さんしか食べられないラーメン」
高坂さんの祖母が作る料理は、どれも美味しかったから食べてみたい。
「常連さんじゃないのに、いいの?」
「うん」
「じゃあ、お願いします」
「ん、後は? 私が適当に頼む?」
なんだか眠たそうだった高坂さんが頼もしく見える。
「ううん、食べきれないと思う」
「ならラーメンだけでいっか。足りなかったら注文しよ」
高坂さんが注文通してくれてる間、周りを見渡す。お客さんも店員さんも混じって野球観戦をしたりとアットホームな感じで、常連さんらしき人が来店するとおかえりと出迎えていた。
雰囲気にのまれているとすぐに美味しそうなラーメンと炒め物が運ばれてきた。
「おまちどーさん、可愛い孫達」
「ありがとうございます」
「雪乃ちゃんもしっかり食べんさい」
肩をぽんぽんと力強く叩かれる。
「はい、いただきます」
「残っても大丈夫。私食べるから」
表情を変えずに気遣ってくれる高坂さんは意外と優しい。
そう言うと不機嫌になりそうだから声には出さない。
ラーメンを完食して野菜炒めを少し食べた。言葉に甘えて残りは高坂さんが綺麗に食べてくれた。
高坂さんの祖母にお礼を言って、
二階に繋がる玄関で高坂さんが立ち止まって振り返る。
「少し散歩行くけど、綺咲さんは?」
「行きたい」
「途中コンビニ寄るから、財布だけ取ってくる」
「私も」
「綺咲さんその格好寒いと思うけど」
今更自分の格好を見て気付く。
上は長袖だけど下がショートパンツだった。
「……大丈夫」
「寒くなったらすぐ帰るよ」
「うん」
この数時間一緒にいて、ほんの少し高坂さんは心を開いた気がする。




