第15話 高坂さんは、猫に化けた狐。
居間に向かう廊下の途中、微かに漂っていた物悲しさを感じさせる線香の香りが、居間に近づくにつれ強くなる。
居間の一角に備えられた仏壇の前、正座して白く細い煙を見つめる彼女の雰囲気は妙に大人びて見えた。
高坂さんを学校で初めて見かけた時は、安易に触れてはいけない人だと直感した。その勘は間違いではなく、二年生までは問題児扱いされていて、上級生と揉めていたのも知ってる。
それくらい近づいていい雰囲気じゃなかった。だから時間が過ぎて、話す機会が無ければ仕方ないと思ってた。
まさか泊まることになるとは思わなかったけど、これも何かの縁と私は頷いた。
「お風呂ありがとう」
邪魔してしまったかなと、少し声が小さくなる。
「うん」
高坂さんは頷くと前を向き、ファイルを手に取る。
紙の繊細な音が聞こえて、無意識に感嘆の声が漏れる。
口元に手をもっていくけれど、溢れてしまった言葉を巻き戻す術はないので、高坂さんの近くにそっと同じように腰を落とす。
「ごめん、綺麗だったから」
こちらを向いた高坂さんは「あぁ、これね」と視線を厚めの紙に落とす。高坂さんがこれと言った紙には、フクロウが半分だけ描かれていた。何故半分なのかは、わからない。
絵の知識はない。けれど、線が細かく繊細、なのに力強さを感じさせるような絵だと思う。素人でも丁寧に描かれているのが一目でわかる。
「絵、好きなの?」
「うん、すき」
初めて見る柔らかい表情に目を惹かれる。
いつも気怠げか不機嫌なのに、好きなものに素直なんだ。
高坂さんの描いたフクロウと何処か似た雰囲気の絵を見たことがある。その絵は、今でも鮮明に思い出せる。
「美術の先生が褒め歩いてた鷹の絵って、高坂さんが描いたの?」
「……多分」
その絵を近くでちゃんと見たくて、授業終わってから先生に見せてもらった事がある。
「他の絵も見てみたい」
「絵の鑑賞が趣味なの?」
「ううん。高坂さんの絵を見たいだけ」
髪から覗く耳は照れてるのか、表情よりも分かりやすい。
手を伸ばそうとして、やんわりと避けられる。
「はやく髪乾かしなよ」
逃げるように何処かへ行くとドライヤーを手に戻ってきた。
表情は特にいつもと変わらない、けど耳にかけていた髪は下ろされていた。そんな彼女に、ふと笑みが溢れてかわいいという感情が湧いてくる。
「ありがとう、借りるね」
洗面鏡の前に立ち、髪を丁寧に梳かす。ひょこっと高坂さんが顔を覗かせて、鏡越しに話しかけてくる。
「髪の手入れ毎日面倒じゃない?」
「面倒だとは思わないかな」
「ふーん、だから綺麗なんだ」
欠伸をして退屈そうな狐に、にこりと笑って聞いてみる。
「そう思ってるの?」
一瞬固まった表情は、ぷいっとあっちを向く。
手先は器用なのにこういうとこは、不器用なんだ。
「綺咲さんって緊張とかしないでしょ」
ドライヤーのスイッチを入れようとした途端に、突拍子もない事を言われる。
「ないけど、何故そう思うの?」
大人達に、緊張するだろうけど、頑張れ。そう言われた場面を思い返してみるけれど、どれもピンとこない。人前で発表するとかそういうことに限らず、今まで緊張を感じたことはない。
「そういうところ」
「気味が悪いってこと?」
周りの人はそうやって私を避ける。
「んーん、ムカつくってこと」
「それは、初めて言われたかも」
「……泊まりは、なんで断らなかったの?」
「仲良くなりたいから、かな。嫌だった?」
高坂さんは何かを確かめるように私の目をじっと見るから、真似して見つめ返してみる。
「べつに、早く髪乾かして」
諦めたのか、今度は早く乾かせという。私の手を止めたのは高坂さんなのに。お弁当も誘ってきたわりに、話しかけられなかった。
知れば知るほどに、狐要素濃い。
時折、鏡越しに目が合って逸らされる。
どうやら、高坂さんは乾かし終わるまで居てくれるらしい。
「乾いた?」
「うん、ありがとう」
「いーよ、荷物持って部屋行こ」
通された部屋はそこそこの広さで、左側にベッド、部屋の中心にラグと黒のテーブル、右奥には机。その隣に存在感のある本棚。
圧迫感がなく過ごしやすそうな部屋だけど、女子中学生の部屋かと言われれば――あまりにも落ち着いている。
「ここが高坂さんの部屋?」
「ううん、お父さんの使ってた部屋」
特に表情も変えず淡々と告げられる。
「……そう」
仏壇に置いてあった遺影は、笑顔の男の人が写っていて、何処となく雰囲気が高坂さんに似ていた。
「お父さん亡くなったのは小さい頃だし、今はもう悲観的な感情はないから」
私の感情を読み取ったかのような返答に少し驚く。
「好きに座って」
それだけ言うと高坂さんは長い脚を交差させて、少し離れたベッドに腰を下ろしていた。私は荷物を置き、黒いテーブルの前に座る。
「疲れてないの」
掠れているのか、いつもより落ち着いた声が聞こえてくる。
「うん、高坂さんは疲れてる?」
さっきも寝ていたし、思い返すと彼女はいつも眠たそうにしてる。
「すごーくね」と高坂さんはベッドに背中から倒れ込んだ。
その“すごく”には私が泊まりに来たから、というのも含まれていそう。泊りは、高坂さんの祖母に誘われた。けれど高坂さんは望んでいなかった。
私の独り善がりに付き合わせてしまったかなと、膝を抱えこむ。
「ごめんね」
そう言うと、手を使わずに腹筋だけでぬるっと起き上がってくる。
「ほんとに悪いと思ってる?」
「少しは」
「なら、絵描くの付き合って」
え、絵?予想の斜め上から言葉が落ちてきた。
「いつ?」
「今、暇だから」
「勉強とかじゃなくて?」
「勉強したくない」
だるそうに高坂さんは立ち上がって机の方へ向かうと、すぐにスケッチブックと鉛筆を手に戻ってきた。
右側に寄ってと動く手。少し右にずれると、すぐ隣に腰を下ろした。
「綺咲さんはこれ、自由に描いて」
差し出された白のシャーペンを受け取ると、高坂さんは左手に鉛筆を握り、迷いなくシャッシャッと紙に芯を滑らせていく。
一つのスケッチブックに、二人で描き込むのは窮屈だと思うんだけど。そもそも私、そんなふうに描けない。と真剣な横顔に目がいく。
彼女の、切れ長な目の下には黒子がニつ仲良く並んでいて、形の良い鼻に、薄い唇。胸下まで伸ばされた明るい髪は顔によく似合ってると思う。
集中し始めると長時間没頭するタイプなのか、もう既に周りが見えてなさそうだし、私はこのまま高坂さんを見てるだけでいい気がしてきた。
今、飴をあげたのはわざとだよ。
なんて言ったら、彼女はどんな顔するだろう。




