第13話 知らないから、気づかないふりをする。
言葉通り、綺咲さんは弁当と水筒を手に戻ってきた。
祖母に紹介すると、綺咲さんは小さく会釈をして控えめな挨拶をした。
さあさあ食べようかとシートに繰り広げられる三段の四角い弁当箱。
それを見た綺咲さんは小さく微かに「わぁ」とだけ言った。
多分、ドン引いてる方の。
「いやぁ、嬉しいね。遠慮せず沢山あるから食べんさい! まあ、お人形さんみたいな子だねえ」
流石と言わんばかりに、取り分ける手際も良く、口も動く。
「どれも美味しそうですね」
隣に座った綺咲さんは、あの時と同じ張りぼての笑顔。
会話も難無くかわし「頂きます」と自分の弁当箱を開けた。
「少食なの?」
その小ささに思わずツッコんでしまった。
だって、おにぎりにミニトマト3つ入るかも怪しい。
自分のと馬鹿デカい弁当箱を交互に見て首を傾げ「そうかも」という綺咲さんは、極端すぎる。顔のせいで不思議と腹も立たない。
「無理して食べなくていいから、いつも通りにして」
「うん」
なにを食べても表情が変わらないから、好き嫌いなさそう。食べ方が綺麗で姿勢も全く崩れないし、ここまで欠点がないのも面白くない。せめて、気まずそうにしてほしかった。
一人黙々と食べる箸が止まらない。誘ったのはいいけど全く話せないんじゃなんの意味もない。そんなの関係ないってくらい空は晴れてるし、ばぁちゃんは綺咲さんに話しかけてばかり。
「こんな日が来るなんて、いつあの世に行ってもいいもんだ」
両手を胸元に置き、笑えない冗談を言うばぁちゃんは大袈裟だと思う。納得いかないままその場を後にして、振り返っては手を振る。
「綺咲さん大丈夫?」
「私は平気。誘ってくれて嬉しかったから、ありがとう」
綺咲さんが楽しく思う要素なんてなかったのに。誘ってくれて嬉しいとか、そんなふうに笑わないでほしい。
話題を探しながらゆっくり歩いてると、他の子が綺咲さんを呼びに来た。話そうとするといつも邪魔がはいる。
「高坂さん、またあとでね」
去り際に渡された飴。残るのはいつもこの飴だけ。
飴が欲しいわけじゃないのに。
うまくいかないことにため息をついて、飴をポケットにつっこむ。
残りの種目は怪我で代わってもらう事になり、体育祭は幕を閉じた。
午後の光が落ち始めて、影が少し長くなる。
のそのそ帰りの支度をしている時だった。
「高坂さーん、なんか二年生が呼んでるよー」
クラスメイトに大声で呼ばれる。見ると教室の入り口で女の子が立っていて、付き添いらしき女の子は背中をぽんっと叩いて消えていく。
二年生が教室に来ることなんて滅多にない。
……完全に忘れてた。おそらくこの子が下駄箱に入れた子だ。
「もしかして、手紙の子?」
「そうです。あの、下で話しませんか」
おさげで身長がかなり小さい。大人しそうに見えて、ハキハキしてる。どこに連れて行かれるかと思えば、一階の中庭がある通りの薄暗い廊下だった。
おさげの子は中庭を見たまま、口を開く。
「先輩が描いてくれた絵、覚えてますか」
急に?絵ってなんの?
絵は確かに描くけど、人に描いた覚えが全くない。
「わかんない」
「図書委員で作るポスター、私が困ってたら一緒に描いてくれたじゃないですか」
記憶にあるような……ないような。ないような。
「ごめん、思い出せない」
「あー、人に興味なさそうですもんね。なのに優しくしてくれて私もその時までは謎な人だな、くらいにしか思ってなかったです」
何この子。大人しそうに見えてトゲある言い方。
「でも、保健室に行ったら先輩が無防備に寝てたんです。カーテンも閉めずに」
寝る前と起きた時は記憶が薄いからわかんない。
「それで、起きた時に目が合って笑ってくれたんです」
寝起きは機嫌いいって春にもよく言われる、けど。
「それ見た瞬間、好きって思ったんです」
「……たったそれだけで?」
「たったそれだけ、でも! です。先輩が図書室で絵描いてる時も、保健室で寝てる時も、自分でも怖いくらい目で追ってました。てか、追いかけてました」
一、ニ、三歩。近づいてきたおさげを見下ろす。
既視感のある目。
「付き合ってほしいです」
好きと言われると嬉しくないわけじゃないけど、心の奥底が黒く塗りつぶされた気分になる。この子はサワサワと音を立てる木陰に迷いなく行ける子だ。
「付き合う気もないし、絶対好きになれない」
「っそんなの、わかんないじゃないですか! 私が女だからですか?」
仮に好きになっても、なれなくても答えは変わらない。
問題はそこじゃない。
「わからない、わからないから好きになれない。女の子は好きだけど、人の好意を素直に受け取れないから。ごめんね」
目が潤んでへなへなと溶けるようにその場に座り込む。
ポケットから、不格好なティッシュを取り出して手渡す。
両手でそろそろ受け取るその子の目を見ると、涙がたくさん溢れてて心が縮む。
気持ちなんて血が繋がってても簡単に変わるもの。
ポケットティッシュの袋を豪快に破って使うこの子は、強そうに見えても感情の前では脆い。誰でも皆そう。また立ち直って同じ事をあと何度繰り返すのか。
例外そうなのが一人いるけど。
「ハグしていいですか」
「え?」
「させてください、初恋の思い出です」
俯いたままボソリと言うと、急に立ち上がる。
小さい体が遠慮なしにくるから、ふらついた足が一歩下がる。
怪我が少しピリついて、鞄が手から滑り落ちる。
数秒で離れたその子は、ニッと歯を見せて笑った。
「じゃ、私はもう帰ります」
泣いたかと思えば元気よく立ち去る、強くてへんな子。
向かい風に目を閉じるとあの子の涙も、何もかも風に乗り遠くなって、過去に変わる。
綺咲さんならどう思って、どう反応をするんだろう。
感情的になってる姿なんて想像できないや。
――――背後から過去も全部かき分けて来る足音。
澄んだ声で私の名前を呼ぶと、その足は目の前で止まる。
白い手が落ちてる鞄を掴むと、黒く長い髪が肩からさらさらと流れ落ちる。
今は、会いたくなかった。
「あの日の仕返し?」
「ううん、見えたから来ただけだよ」
その言葉に二度と聞こえるはずのない声が聞こえた気がして、前髪を引っ張る。
綺咲さんは過去を連れてくる。
でも、桃花先生はこんな冷たい人じゃない。
「人に興味ないくせに」
考えるよりも先に出た、あの子と同じ言葉。
しまった。そう思った時には遅く、にこりと笑っていた。
「高坂さんに何が分かるの?」
感情の読めない声で、遥か遠くに突き飛ばすような言い方。表情は相変わらず気味の悪い笑顔で、怒っているのか、悲しんでいるのかわからない。わかるわけもない。
ただその言葉が鋭く刺さった。
「知らない」
「だから、知りたい?」
「そう言われると知りたくない」
私の言葉に微かに揺れた瞳。
それは、一瞬の瞬きで消え去る。
「じゃあ慰めてあげようか」
ばかみたいに両手を広げる綺咲さん。
会話が噛み合ってないし、おかしい。
「ふっ、なんでそうなるの」
感情の乏しい人が、誰を慰めるって?
似合わない言葉にクツクツと笑いが止まらない。
「高坂さんが泣きそうな顔してるから」
伸びてきた手は、前髪から引き剥がすように手を取る。
私の手より冷たい。
いつも、そう。だから振り払うことができない。
綺咲さんを見るたびに、ありえなくはないと思わされる。
抱いてはいけない感情がずっと私の中で渦巻いている。
知りたい。知ってどうするの。
のどが渇いてるのに水を取り上げられたような感覚。
頭の中がぐちゃぐちゃに生温い。
ズブズブと杭が心臓に刺さっていく。
その取ってつけた笑顔を剥がせば、この胸の痛みも抜ける?
それなら喜んでそうするのに。
過ぎる人目が鬱陶しい。
控えめに絡んでいた指先を解いて、左手に持たれた鞄に手を伸ばす。
「とりあえず返して」
ひょいっと引かれて、空振る。
「門まで行ったらね」
「もう疲れたから帰る」
遅れて靴に履き替えた彼女は後を追うようについてくる。
「逃げるから追いかけるんだよ」
逃げてない。
余裕そうに微笑んでばっかで、泣かせたくなってくる。




