4 瞳の輝き
女神が救急搬送のための緊急通報をしてくれた。
救急車の到着まで少し時間がある。
女神はラキに、いったい何があったのか、と問う。
「さっきも話したように、気づけばここに居た。身体が動かない。昼間かどうか目視出来なかったが、それはその豪雨のせいだ……」
この場所で自分の身に起きた出来事をつぶさに話した。
ひとつひとつに頷いて、女神の知る記憶とラキの証言を照らし合わせて行く。
だが、やはり女神とは食い違う部分が生じるのだ。
路上に寝転んだままのラキ。
女神は「そこ」と指さして、家のことを教えてくれた。
この地点から1キロ以内に女神の家がある。
女神はラキを自分の兄だといった。
ラキには全く身に覚えがない。
そこで双方の間に生じている誤解を解いておこうとラキは女神を見る。
互いの顔が見える位置に来てくれと催促すると女神が応じてくれた。
「なあ女神さん。ぼくには妹なんて居ないんだけど、思い出せないだけかも知れない。どうして路上でこんな目に遭っているかの経緯もわかっていないから。でも名前と学校名と学年は伝えた通りだ」
女神は少し目を見開く。さっきから自分の兄が主張していることが冗談ではないことに戸惑いはあるはずだが、落ち着いて話を聞いてくれる。
「それは知っているよ。お兄ちゃんが香坂ラキだというのは正解。ここで何かあったのは事実ね。でも無理に思い出さなくてもいいよ。そういうのって時間が解決してくれるものだから」
「うん……そういうものなのか」
ぼくの名は先に伝えた。彼女はそれをいくらでも応用できるはずだが。
申し訳なさそうな表情を見せるがラキは粛々と語る。
女神は「焦らなくても大丈夫!」と励ましをくれた。
ラキは星空を見て思う。覚えがないという次元じゃない。
経緯を思い出せないのは確かだが、兄妹などもとより存在していない。
「中学や小学、園児のとき……」そう言いかけて、ラキは言葉を飲み込んだ。
女神を見て、言いかけた言葉を引っ込めた。
身体は無理に起こさない方がいい。
だから彼女はラキの傍で膝を付いて待機しながら身を案じてくれている。
身内だと思い込んでいて、ここまでしてくれているのに何も今ここで、全否定する必要はあるのかとラキは思い直したからその言葉の先を閉ざした。
彼が言うなら幼少時から女神は記憶の中に存在していない。
自分の主張より。赤の他人なら尚更のこと今は礼を尽くさねばならぬ。
このように労わってくれるのだから、こちらも労わってやらねばならぬ。
彼女の主張する思いを今は汲み取って黙って従うのも、恩返しのうちだと。
「君のいうことを否定するわけじゃないけど……」
「……うん?」
「君の兄さんはどんな人だったの?」
「……そうだね、覚えてないんだもんね。聞くと案外、傷つきやすい人だから。聞かない方が良いかもしれないよ」
しっかりと気遣ってくれている。言葉遣いに温もりを感じる。
「君のお兄さんの話として聞くから大丈夫だ。聞かせてくれ」
「そう、それなら。わたしは一学年下の生徒よ。兄は学校の中で上手く人と関われなくてね、よく級友にからかわれているの。それを結構気にして病んでいたり」
「ふうん。それでなにを言われるの?」
「おとなしくて内向的なのでおしゃべりが苦手。それで陰キャって位置づけされてるみたい」
「それは……なにを意味する専門用語なんだ?」
「えっ? ど、どの部分が!?」
なんだ、女神が突拍子もない声を上げたぞ。
「その……いんきゃ、って何だ?」
「えええっ! お兄ちゃん、身体より頭の方が心配になってくるじゃないの?」
相当、重要なメカニズムのようだな。
「……脳内の言語をつかさどる重要な細胞が、っていう話なのだろ?」
「ぷっ! そうじゃないけど……忘れたままの方が良いかも知れないことだから、安心していいよ!」
「そ、そうか!……わかった。おしゃべり苦手でっていって、病んでるんだろ? てっきり脳細胞の欠損かと思ったから。なんだよビックリするじゃねーか」
安堵の言葉と同時に溜息が漏れた。
「やだぁ。驚いたの、わたしの方なんですけど! うふふ。笑わせないでよ!」
今日、彼は突然の孤独と恐怖に包まれた。
突然声がした。振り向けないけどそれは少女だった。
何だか知らぬがいきなり叱責された。
倒れたまま起きないものだから、ぬっと顔を覗き込んできた。
「……ッ!」
ビックリして心臓の鼓動が現実の時間から切り離されて止まったかと思った。
君があまりに可憐で、今宵の星空より輝いて見えたから。
でたらめを言った覚えはない。
だがそこに言葉の駆け引きによるすれ違いが生じた。大きな謎にも包まれたが。
女神曰く、ぼくは一部記憶をなくしたらしい。
もしも事故に遭っていなければ、君は今……こんなに笑ってくれただろうか。
「やっと笑顔になったね。
ぼくは思う。
ぼくの失くしたものなど取り戻す意味があるのだろうかと」君には聞かれたくない。ぼくの心のつぶやきだ。




