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作戦までの日常

 通常であれば一日で踏破できるはずの道のりも、今の荒廃した世界ではそうもいかない。


 飛谷ノドームが目前に見えるビルに灯架たちが辿り着いたのは、出発から二日目の夕暮れ時だった。道中の穴は、流阿の派閥の者――彼を魔王(笑)と崇める熱心な信奉者たち――の手によって迅速に埋められ、移動自体は比較的スムーズだったものの、銀色のモンスターとの散発的な戦闘や、道中で発見した避難者の保護に時間を要したのだ。


 空は茜色に染まり、間もなく夜の闇が全てを覆い尽くそうとしている。依然として電力供給は不安定で、周囲のビル群は沈黙した巨人のようにそびえ立っていた。


「流阿さんが、すでにこちらへ到着なさっておられるとよいのですが」


 灯架は、いつものように完璧なお嬢様スマイルを浮かべ、奥ゆかしい大和撫子然とした雰囲気を漂わせながら呟いた。その猫のかぶりっぷりは、もはや手慣れた芸当、いや、芸術の域に達している。


「魔王陛下は、力なき民をお救いするため、常に御自ら危険な任務に赴かれておられます。ですが、陛下のバイオアーマーの連続稼働限界は約三日でございますれば、陛下は念のため24時間程度の活動の後には一度こちらへお戻りになられます。灯架様と合流なされた時点で既に一日が経過しておりましたので、普段通りであれば既に拠点にお戻りになられている可能性は十分に考えられますわ。陛下は、お戻りになるとまず自室にて仮眠をおとりになるのが常でございますので、そちらをご確認いただくのがよろしいかと存じます」


 淀みなくそう述べたのは、流阿を魔王と崇め、灯架を大魔王と呼称する、例の救助隊のリーダーを務める女性、佐々木 裕子だ。その口調はどこまでも丁寧だが、瞳の奥には変わらず狂信的な光が、ある種の執念と共に揺らめいている。


 灯架は頭の中に、なぜ帰宅した流阿が真っ先に仮眠をとるのか知っているのか?という疑問がよぎる。しかし、裕子たちの重めの忠誠心を思い返すと、流阿のプライベートがある程度筒抜けであったとしても、彼に直接的な実害が及ぶことはないだろうと判断し、追及はそっと胸の内に秘めることにした。


 それよりも何よりも、いずれこの大魔王というあまりにも禍々しい呼び名をどうにか訂正してもらうためのお話し合いの席を設けねばならないと、灯架は心に固く誓いつつも、完璧な淑女の笑みを崩さない。


「そうですか。もしお戻りでしたら、兄が何か知っているかもしれませんね。これから兄に到着の旨を伝えなければなりませんので、その際に尋ねてみるとしましょう。あなたは、これからどうされますの?」


 灯架が裕子に問いかける。


「このまま大魔王陛下に御同行させていただきたいのは山々なのですが、ここまで救助した方々を安全な避難場所へご案内し、議会へ状況を報告する任もございます。誠に残念ではございますが、ここでお側を離れさせていただきます」

「そうですか。お仕事、頑張ってくださいね」

「はっ! ありがたきお言葉、身に染み入ります!」


 深々と頭を下げ、部下たちと共に去っていく裕子の背中を見送りながら、灯架は改めて強く決意を固める。一刻も早くあの大魔王呼びを何とかしよう、と。


 それからしばらくして、灯架は飛谷ノドーム近くに立つ、比較的新しいマンションへと向かうこととなった。残念ながら、多忙を極める兄とは直接合流できず、顔見知りの兄の秘書を通じて、流阿の現在の居場所と部屋の情報を聞き出したのだった。


 先輩のプライバシーが丸ット無視されていると、灯架は内心で同情とも呆れともつかない溜息をついた。


 今、彼女たちがいるのは、エクリプスを扱える者たちが優先的に割り当てられているという、そのマンションの最上階。流阿に与えられたという部屋のドアの前だ。


 電力は依然として不安定で、インターホンが機能しているかは疑わしい。灯架は、控えめに数回、ドアをノックした。


 数秒の間があって、ドアの向こうから微かな生活音が聞こえた。どうやら在室のようだ。そして、「…………ぁ」という、間の抜けたような、それでいて何か良からぬ事態を悟ったかのような小さな声が漏れ聞こえてきた。


 ドアの向こうの流阿の葛藤が手に取るようにわかる。やがて、観念したようにガチャリと鍵が回り、おそるおそるといった感じでゆっくりとドアが開かれた。


「ふふふ。先輩、お久しぶりです。大魔王灯架が、直々にご挨拶に参りましたよー」


 満面の、そしてどこか悪戯っぽい笑みを浮かべてそう告げる灯架の顔を見た瞬間、流阿は何かを悟った顔をした。すでに、この状況になることを覚悟をしていたのだろう。


 魔王(笑)と大魔王(笑)の間には、決して越えることのできない、絶対的な力の差が存在するのだ。


「魔王流阿、大魔王様がいらっしゃったというのに、お茶の一杯もお出ししないとは、どういう了見でしょうか?」


 いつの間にか灯架の後ろに音もなく控えていた鏡子が、氷のように冷たい声で、しかしその瞳の奥には微かな笑みを浮かべて叱責する。


「ただいまご用意いたします。あっ、奥で座ってお待ちください」


 反射的にキッチンへと駆け出す流阿。彼は戸棚から茶葉を取り出し、ガスコンロにやかんで湯を沸かし始めた。サブ電源はあるものの、電力は貴重だ。無駄遣いは許されない。


 やがて、湯気の立つカップが灯架、鏡子、リアナ、そしてイリスの前に丁寧に並べられた。


「お待たせしました。大魔王陛下、皆様もどうぞ」


 紅茶を持ってきた流阿に、更なる要求が突き付けられる。


「魔王、抱っこする。そしてフーフーする」


 イリスが、さも当然といった様子で流阿に命じる。


「畏まりました、イリス様」


 流阿は、イリスがそれまでちょこんと座っていた椅子に自分が座り、彼女をそっと膝の上に乗せた。そして、子供には少し熱いかもしれないと、カップに優しく息を吹きかけ、丁寧に湯気を冷ます。


「いかがでしょうか、イリス様」

「ちょうどいい。さすが私の嫁」


 小さな暴君は満足げに頷き、お茶を一口味わった。その愛らしい姿に、流阿は内心でどうにか安堵の息をつく。


「……大魔王任命の件は、このお心のこもったお茶に免じて、今回は許して差し上げましょう」


 灯架が、どこまでも優雅に、しかし有無を言わせぬ最終通告のような口調で告げる。大魔王陛下(笑)からのお許しの言葉に、魔王陛下(笑)は心底ホッとした表情を浮かべた。今日のところは、これでどうにかなった、と。


「ですが先輩、少し見ない間に雰囲気が変わりましたねー」


 安堵も束の間、灯架からの不意打ちだった。完全に油断しきっていた流阿は、「えっ」と裏返ったような素っ頓狂な声を上げる。


「ぇ……な、なにが!?」

「少し前の先輩でしたら、イリスちゃんを膝の上に乗せる際など、ロリコン疑惑をこれ以上深めることを恐れて、もっと盛大に躊躇なさったはずですのに。今日は随分とスムーズでいらっしゃいましたから、少しは精神的に成長なさったのかと感心いたしましたが……ふふ、ですが、根本的なところは少しも変わっていらっしゃらないようで、それはそれで安心いたしましたよー」


「……それ、結局ロリコンだと疑ってるっていう結論に変わりはないんじゃ……!?」


 ひょっとして、自分はずっとそういう危険な目で見られ続けていたのかと、流阿の背筋に冷たい汗が滝のように流れる。


「ええ。それはもう、いつも私やイリスちゃんに、それはそれは熱のこもった、ねっとりとした視線を送っていらっしゃいましたからー」

「私には、そういった熱い視線を向けて下さらなくて、とても寂しく思った物です……」


 灯架の言葉に、リアナがどこか拗ねたような表情で、しかし明らかに面白がって言葉を繋げた。もちろん、彼女も本気で言っているわけではなく、流阿で遊んでいるだけなのだが、その演技力はなかなかのものだ。


「い、いや、だから、ちょっと待って!」

「違うと仰るのですかー、先輩?」


 普段、女性を褒めることなどない流阿だ。気持ち悪いと拒絶されるのを極度に恐れるあまり、褒め言葉のボキャブラリーも極めて貧弱。それでも、これは必死に絞り出した、彼の最大限の賛辞だった。


「やっぱり。私達のこと、そういういやらしい目で見ていらしたのですねー」

「そ、そういうんじゃなくて! ほら、確かに可愛いとは思うけど、可愛いにも色々と種類があるというか、その、なんというか……そういうんじゃないんだよ」


 語彙力不足をこれでもかと露呈し、しどろもどろに弁明しようとする流阿。その必死な姿を、灯架は楽しげに見つめながら、とどめの一言を放つ。


「ほうほう。あくまで私たちに(やま)しい視線を送ってはいない、と。そうまでおっしゃるのであれば、明日からまたご一緒にこちらで生活させていただきますので、先輩のその潔白を、わたくしたちの鋭い観察眼で、じっくりと日常生活の中で証明していただきましょうか」


 灯架が、天使のような笑顔で告げた。


「…………えっ?」


 流阿の脳裏に、御津丸デパートでの日々が鮮明かつ強烈に蘇る。とんでもないレベルの美女や美少女に四六時中囲まれ、気持ち悪いと思われぬよう、一挙手一投足に最大限の注意を払い続けた、まったく気の休まることのなかった毎日。


 別にハーレムというわけではない。女性に対して無害な草食動物──もといヘタレすぎる流阿は、避難生活であてがわれた部屋に置かれ、変な考えを他の者達が思わぬよう牽制するのに使われていただけだ。


 嬉しいという気持ちは当然ある。だが、それ以上に、途方もないプレッシャーと、胃がキリキリと痛むような気苦労が、彼の両肩に重くのしかかってくるのを感じた。


 なお、今回のことだが、灯架たちが流阿の部屋に転がり込むことを決定したのは、当然ながら恋愛感情などとは一切無い。


 最大の理由は、隕石落下後の混乱で、飛谷ノドーム周辺でも安全かつ快適な居住空間が著しく不足しており、VIP待遇である灯架とその一行を受け入れられる適切な場所が極めて限られていたからだ。


 彼女の兄の元に身を寄せるという選択肢も検討はされたが、派閥の違いによる軋轢や、灯架以外のメンバーの処遇を考えると、全員がまとまって生活できる場所としては難があった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、この流阿の部屋である。御津丸デパートでの共同生活を通して、彼が女性に対して完全に人畜無害な草食動物であることが、これ以上ないほどに証明済みだった。その上、性的な危険性は皆無でありながら、いざという時の戦闘能力はやたらに高い。


 これほど都合の良い……もとい、頼りになる護衛兼雑用係、いや、お世話係、あるいは気心の知れた弟のようなポジションのオモチャ……もとい、同居人はそうそう見つからないだろう、というのが灯架たちの共通認識だったのである。流阿の新たな受難の日々は、こうして幕を開けた。


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