壊れた世界5
吹き抜ける風が、先ほどまでの戦闘の熱気をわずかに冷ましていくビルの屋上。
灯架、鏡子、イリス、そして合流したばかりの流阿。リアナは、まだ恐怖の余韻が残っているのか、イリスに寄り添うようにして言葉少な目だ。
一行は、他の避難者たちから少し距離を置いた、階段へと続く扉の傍らに集まっている。万が一、あの銀色の怪物が再び這い上がってきた場合に即座に対応できる位置を確保しつつ、何よりも流阿が語るであろう情報に集中するためだ。
ややあって、流阿が口を開いた。その声には、ここ数日で溜めこんだであろう疲労が滲んでいた。
「……どこから話せばいいかな。そうだね、時系列で追うのが一番分かりやすいか」
流阿が語り始めたのは、彼が御津丸デパートを出てからの出来事だった。
「御津丸デパートを出て二日目に、ある三人と一緒に行動をする事になったんだよ。その三人は少し変わった事情を持っていて、飛谷ノに行く途中でエクリプスを使うようになったけど、その機能も変わった物だったんだよ」
「変わっている、ですか?」
鏡子が、鋭い視線を流阿に向ける。
流阿は一瞬言葉を選び、やや躊躇いがちに続けた。
「これを話すと、頭がおかしくなったと思われるかもしれないけど。外にはあの銀色のモンスターが歩きまわっている状況を考えて、常識が通用しない状況だって思いながら聞いてもらえるかな?……その三人だけど、この地球の人間じゃないんじゃないかって思える要素がいくつもあったんだ。荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、異世界の人間、って考えた方がしっくり来るんだよ。さっきリアナさんを攫っていった、竜に乗った誘拐犯……それに、その仲間にも会ったけど、彼らも異世界の人間かもしれない」
シン……と、屋上に沈黙が落ちる。突拍子もない話だ。だが、窓の外に広がる非日常的な光景、そしてつい先ほど目の当たりにした竜騎士による誘拐。それらを思えば、反射的に否定する言葉など出てくるはずもなかった。
「その三人と行動をするようになって、しばらく経った頃、僕達も銀色のモンスターに襲われた」
「先輩が、モンスターを初めてご覧になったのはいつ頃なのでしょうか?」
灯架の中で、何か引っかかる物があったようだ。
「三人組と一緒になったのが、デパートを出て二日目。その翌日に襲われたから……デパートを出て三日目、ってことになるかな」
流阿の言葉に、灯架は内心で日付を計算する。自分たちがデパートを出発したのは、流阿が出た三日後。そして、モンスターの誕生を目撃したのは、その翌日、つまり今日だ。流阿の初モンスター体験とは一日、ズレが生じている。
「モンスターの発生には、何か法則性があるのでしょうかねー」
「その辺りはまだ何とも言えないね。……話に戻るけど、その三人と飛谷ノを目指したんだけど……結局、たどり着けなかった」
灯架の脳裏には、モンスター発生のメカニズムに関するいくつかの仮説が浮かんでいたが、今は流阿の話の続きが優先だ。
「飛谷ノドームって知ってる?」
「ええ。ヒ……ゴホン、いえ、いくつかのイベントが開催される場所ですよね」
灯架が、一瞬何かを言いかけて咳払いをする。ヒから始まる秘密の趣味を暴露しかけたと、流阿は内心で苦笑しつつ、表情には出さずに話を続けることにした。
「あのドームの周辺には、隕石の直撃を免れたビルがいくつも残っていたんだよ。その建物を拠点にして”飛谷ノ臨時議会”っていう組織が立ち上げられていた。その議会が中心になって、飛谷ノをモンスターから奪い返すための準備が進められてる。灯架さんのお兄さんは、そこでリーダーをしているよ」
「あの人というか、私の家族はミサイルの爆心地にいても、生き残ると確信を持っている方ばかりなので、気にかけて頂かなくても大丈夫ですよー。ですが奪い返す……ということは、飛谷ノにはモンスターが集まっているということでしょうか?」
なかなか酷い家族の評価だ。しかし、鏡子が表情を崩さない辺り的外れという事もないのだろう。
「実際に飛谷ノまを映した映像を見たけど、相当な数だったよ。建物の方は無事な物が多かったけどね」
「建物が無事なら、奪還に成功すれば、安全な拠点になり得ますね」
灯架の言葉は希望的観測だが、同時に的を射ている。しかし、流阿はそれに楽観的な言葉を返すことはない。伝えなければならない、厳しい現実がある。
「例の銀色のモンスターなんだけどさ……どうやって生まれるか知っている?」
その問いかけに、灯架は息を呑む。脳裏に浮かんだのは、赤い結晶に包まれた無数の亡骸だった。
「赤い結晶に覆われたご遺体から……そうですか、飛谷ノにモンスターが多いというのは……」
「建物が無事だったから避難していた人達が、犠牲になってモンスターになった……議会はそう結論付けているよ」
流阿の淡々とした口調が、逆に事態の深刻さを際立たせる。そこに今まで黙って話を聞いていた鏡子が、低い声で割って入った。
「それは、つまり……あのモンスターは、人間を殺害することで増殖すると?」
「あのモンスターに殺害された方の遺体が、モンスターに変わるのを見た、っていう証言もあるみたいだ。僕自身が直接確認したわけじゃないから、確証があるわけじゃないけどね」
モンスターが跋扈するこの状況下で、パニックを避ける方が無理な相談だ。どこまでが正確な情報で、どこからが流言飛語なのか、見極める必要がある。流阿の声には、偽情報に踊らされることへの警戒心が滲んでいた
「この飛谷ノ臨時議会だけど、今のところ五つの派閥に分かれてる。その各派閥のトップは、自分が使うエクリプスの“前回の所有者”の記憶……たぶん別の世界の人物の記憶……その人の記憶丸ごとじゃなくて、エクリプスの使い方に関連した記憶を持っている、と考えられていて、そのせいで”記憶持ち”なんて呼ばれてる」
「記憶持ち……ひょっとして先輩も、その一人ですか?」
灯架のストレートな問いに、流阿は一瞬視線を泳がせ、どこか照れ臭そうに答えた。
「……まぁ、一応は、ね」
”記憶持ち”その厨二心をくすぐるような響きに、僅かに気恥ずかしさを覚えたようだ。
「では、その五つの派閥のうちの一つは、先輩が率いている、と?」
「……うん。まあ、そういうことになるかなー」
どうにも歯切れの悪い流阿の返答に、灯架は胡乱げな視線を送る。何かを隠しているような、あるいは言いにくいことでもあるような。
「細かいことは後にしよう。とにかく、僕の派閥とは別に、灯架さんのお兄さんが所属している”議会派”っていうのがあるんだよ」
「トップではなく所属しているということは、お兄様は記憶持ちではないのですね」
灯架の言葉に、流阿は補足する情報を加える。
「そう。議会派のトップは、剣が得意な女の人だよ」
流阿の言葉に、灯架の脳裏にある人物の姿がよぎった。
「……その議会派のトップの方のお名前は、もしかして、柴崎 神流といいませんか?」
「知り合い?」
灯架の口からその名が出た瞬間、流阿の顔色がわずかに変わったように見えた。物凄く嫌な事を想い出したような、普段の彼が滅多にしない珍しい表情だった。
「ええ。同じ師に剣を学びましたので、姉妹弟子、ということになりますねー」
灯架がにこやかに答えると、流阿は急に押し黙った。眉間に深い皺を刻み、何かを必死に考えている様子だ。やがて、意を決したように口を開く。その表情は、先ほどのモンスターの話をしていた時よりも、どこか切実な色を帯びていた。
「……ものすごく言いにくいんだけど……その柴崎さんに、果たし合いをしろって朝から晩まで付きまとわれてるんだ。悪いけど、どうにか止めてもらえないかな?」
「申し訳ありません。それは私では少々荷が勝ちすぎるかと。強い相手を見つけたときの、姉弟子のアレは業病のようなものですので……」
灯架は、遠い目をして首を横に振った。
「そっかー……無理かーー……」
ガックリと肩を落とす流阿。柴崎の|決果たし合いの申し込み《ラブコール》が、よほど彼の精神を削ったらしい。飛谷ノ臨時議会に参加してから柴崎と出会ったとすれば、まだ数日の付き合いのはずだが、一体どれほど執拗に追い回されたのだろうか。
「一つ助言を差し上げるならば、姉弟子は、一度決闘に応じて勝とうが負けようが、決して満足しません。さらに何度も挑んできますので、受けるだけ時間の無駄かと。それと、強いと感じる別の方を見つけると、そちらに興味が移りますので、それまで我慢するしかありません」
「……もう議会には近寄らないでおこうかな……」
力なく呟きながら流阿は、”柴崎さん、まるで大型犬みたいな扱いだな”と内心同情しつつも話を本筋に戻した。
「話を戻すけど、議会派と僕の派閥の他に三つの派閥が存在する。残りの三つは、簡単に言えば……十代の子供が集まった派閥、芸能関係者が寄り集まった派閥、そして……裏社会の人間で構成された派閥になっている」
「……なるほど。そう聞くと、先輩の派閥と議会派が、比較的まともに見えてきますが……いえ、ちょっと待ってください」
灯架は、うろんげな目で流阿をじっと見つめる。
「プチ人見知りをこじらせた方と、剣術狂いの派閥が”まとも”とは、到底思えませんが……どちらかと言えば、僅差で先輩の派閥の方が”普通”に近い、かもしれませんねー」
「……その評価、否定はしないけど、あまり大声で言わないでくれるかな?自覚はしてるんだから。それに、僕の派閥なんて、ほとんど成り行きでできたようなものだから、誰かやりたい人がいれば、いつでもトップの座は譲るつもりでいるよ……灯架さん、やってみない?」
悪戯っぽく笑う流阿。彼の心情は半分冗談、半分本気といったところか。だが、その表情には、どこか期待するような色も浮かんでいた。彼の提案に灯架は──
「では、謹んでお受けいたしますね」
ニコリ、と完璧な営業スマイルを浮かべ、灯架はあっさりとその提案を受け入れた。
流阿の目が点になる。
「え、あ……いや、正気?」
「はい。今さら返品は受け付けませんよ?この状況だと人手がいくらあっても足りませんから」
悪戯が成功した子供のような笑顔で、灯架はきっぱりと言い放つ。
「そ、そうか。灯架さんがいいのなら……うん、まあ、いいんだけど……正直、少し……いや、かなり助かる」
最後の方はほとんど呟くような声だったが、灯架の耳にはしっかりと届いていた。
「えっ、先輩?」
思わず聞き返す灯架。ひょっとすると、とんでもない厄介事を引き受けてしまったのではないか。そんな一抹の不安が胸をよぎった。
「僕の……いや、これからは灯架の派閥になるけど、そこのメンバーが救助部隊として、もう近くまで来ているハズだから。少し探して、このビルに来るように言っておくよ。僕は、そのまま飛谷ノドームの方に戻るから、待たなくていいから」
流阿は、先ほどまでの苦悩が嘘だったかのように、どこか晴れ晴れとした表情で、話を強引にまとめようとする。
「ちょ、ちょっと待ってください、先輩!? なんですか、その全てを押し付けたような清々しい顔は! 話はまだ終わっていませんよね!?」
灯架の叫びが屋上に響くが、流阿はどこ吹く風。
どうやら、一行はまず救助部隊との合流を目指し、そして飛谷ノドームへと向かうことになりそうだ。しかし、その前途には、まだまだ多くの謎と困難が待ち受けているに違いない。