壊れた世界4
漆黒のバイオアーマーを纏った流阿が、仲間たちが待つビルの屋上へと静かに降り立った。
そこには灯架やリアナだけでなく、鏡子、イリス。さらには尚吾や、彼が保護した医師らしき人々、負傷者など、数十人の生存者が集まっていた。突如現れた異形の戦士に、その場にいた誰もが息を呑み、視線を集中させる。
そんな中、真っ先に声を上げたのは灯架だった。
「せ、先輩! 少し、いえ、とても大切なお話しがありますっ!!」
半ば叫ぶように言うと、灯架は流阿の腕を掴み、他の生存者たちから少し離れた、屋上の隅へとぐいぐいと引っ張っていく。
そして流阿の胸元のバイオアーマーに両手をそっと当てると、次の瞬間、ごつん、と額を押し付ける。その身体は小刻みに震えており、それを隠すための行動だと流阿には感じられた。
「先輩のこと……さっきからずっと、考えていました」
少女漫画もかくや、という愛の告白を思わせる出だし。しかし、流阿の胸中には、得体の知れない、しかし強烈な嫌な予感だけが渦巻いていた。経験則と本能が、最大級の警報を鳴らしている。
やがて、灯架が押し付けていた額をゆっくりと離し、流阿の顔を見上げる。その瞬間、流阿は己の予感が完全に正しかったことを確信した。
彼女の表情は、普段の猫のような愛らしさとはかけ離れていた。口元は三日月のように不気味に歪み、瞳の奥には、得体の知れない暗い光が宿っている。それは、ホラー映画のクライマックスシーンを彷彿とさせる、背筋が凍るような笑みだった。
「ねぇ、先輩……? どのような経緯で、それを着ることになったのでしょうか……?」
ねっとりとした声色。その表情と声のコンボに、流阿の背筋を、これまで感じたことのない強烈な悪寒が駆け抜ける。これは下手に言い訳などせず、誠心誠意答えるのが最善手だ。
「……君の兄である鳴海錬夜から、これを着ていけと強く推奨された。灯架がきっと喜ぶから、と」
誠心誠意、全ての責任を灯架の兄である錬夜にスライドさせることにした。
「お、お兄様……相変わらず……サプライズのセンスが壊滅的にズレて…………よりによって……こんな……こんな仕打ちを……」
灯架は再び流阿の胸に額を強く押し付けると、今度はわなわなと肩を震わせながら、何やら呪詛のような言葉をぶつぶつと呟き始めた。まるで、悪霊に取り憑かれた少女に触れているかのようで、流阿は生きた心地がしなかった。
自分がよく知る少女は、今やいつ爆発してもおかしくない爆弾と化している。流阿はそのように分析し、より慎重な対応を心に誓う。だが、次に言葉を発したのは、意外にも灯架の方だった。
「…………なんです」
「ん? 何か言ったか?」
あまりにも小さな声で、流阿は聞き返す。
灯架は流阿の胸に額を押し付けたまま、まるで教会の懺悔室で罪を告白する信徒のように、ぽつりぽつりと真実を語り始めた。
「……バイオアーマーの存在を知って……それで、描き溜めていたデザイン画の中から……気にいっていた物を使って…………本物の、ヒーロースーツを、作ろうかなって……思った、だけなんです……」
予想の斜め上を行く趣味のカミングアウト。しかも、この極限状況で。流阿は言葉を失う。ヤバい。これは、決して足を踏み入れてはならない領域に自分が迷い込んでいる。と、冷や汗が出始めた。
「ええ、それを他の人に知られたくなくて、私の趣味に理解のあるお兄様にお願いして、他には誰にも知られないように、こっそりと発注したはずなのに……まさか……まさか、こんな、こんな仕打ちを受けるなんてぇぇええええっっ!!!」
ついに感情が爆発した灯架が、屋上に響き渡るほどの大声で叫ぶ。それはもはや、悲鳴に近い絶叫だった。
そして、あろうことか、この最悪のタイミングで、流阿のエクリプスによる精神汚染の効果が薄れ始めていた。先程までの冷徹な死神から、いつもの気の弱い青年に戻りつつある流阿は、灯架の羞恥心と絶望が入り混じった感情の奔流を、真正面から受け止めるハメになった。
だが、この状況で精神汚染に逃げるのは、人間としてダメではないか?そのように結論づけた流阿は観念をし、素の自分で、灯架の嵐のような感情を受け止める覚悟を決めた。
「あ、いや、ほら! 赤いラインとか、黒地に映えてカッコいいと思うよ? それに、動きやすかったから、実用的でもあるし。うん、良いデザインだ……と、思う」
何を言っていいか全く分からず、流阿は咄嗟に思いつく限りの褒め言葉を並べ立てる。どうか火に油を注いでいませんように、と祈りながら。
「ねぇ、先輩?」
灯架が、ゆっくりと流阿の顔を見上げる。その瞳を見て、再びゾッとした。先程までの激情の色は消え失せ、代わりに、底なし沼のような、さらに深い闇が宿っていた。
「先輩は、学生時代に書いたポエムとか黒歴史ノートを、全校生徒の前で、マイクを使って大音量で朗読されたとして、平然としていられる自信、おありですか?」
「……いや、う、それは……かなり、いや、絶対に無理、かな……」
想像しただけで、全身から血の気が引く。間違いなく一生もののトラウマだ。家に帰って布団を頭まで被り、数日間は悶え続ける自信がある。それが容易に想像できてしまうからこそ、流阿は灯架が今、どれほどの精神的苦痛と羞恥に身を焦がしているのかを、痛いほど理解できた。
「うふ、ふふふふ……。ねぇ、先輩?」
再び顔を伏せた灯架が、今度は肩を震わせながら、どこか楽しそうに笑い出した。妙に”先輩”という呼び方が、先程までとは違う、妙に艶を含んだ滑らかな発音になっているのが、流阿の不安をさらに煽る。感情の激しい揺れが収まり、代わりに別の何か……もっと厄介な何かが、彼女の表層に現れようとしていた。羞恥心が限界を超え、彼女の中で何かが決定的に切り替わってしまったのかもしれない。
「ねぇ、先輩、聞いています?」
「…………っ」
嫌な予感しかしない。全身が金縛りにあったように硬直し、声が出ない。
「私は、自分の秘めたる趣味と創作物を、大衆の面前に晒されてしまいました。そして先輩は、私のデザインしたコスプレ姿を、大衆の面前に晒されました。……これって、お揃いだと思いませんか?」
「そ、そう、なのかな……?」
その言葉を聞いた瞬間、流阿は全身の血液が逆流するような感覚に襲われる。今すぐこの場から、エスケープしたい。だが、ここで逃げれば、絶対に後で気まずくなる。それは、これまでの短い付き合いでも、痛いほど理解していた。だから、流阿はその呪いとも言うべき言葉を、最後まで聞くことにせざる得なかった。
「お揃い、なんですよ? ですから、これから一緒に、この地獄を歩んでいきましょうね……先輩?」
先程までの悪鬼羅刹めいた雰囲気はどこへやら、そこには、まるで慈愛に満ちた聖女か、あるいは全てを悟った菩薩を思わせるような、純粋無垢な、しかし心の底から邪悪さを感じさせる笑顔があった。その笑顔に、流阿はただ、力なく頷くことしかできなかった。
それからしばらくして、ようやく灯架も落ち着きを取り戻したようだ。いつもの、どこか掴みどころのない、猫のような雰囲気が戻ってきていた。
「では先輩。早速ですが、私と契約をしましょう」
「……それは、悪魔との魂の契約的な、何かだったりするのかな?」
機嫌を直した(ように見える)灯架は、一見すると正気に戻ったっぽい。だが、唐突に物騒な単語を口にするあたり、まだ完全には戻っていないのかもしれない。いや、これは元からこういう子だったか、と思い直し、やはり正気に戻ったのだろうと結論付けた。
「私が何に見えているのですか、先輩?」
”悪堕ちの向こう側に行った、一周回ってピュアなラスボス系ヒロイン……”などとは、口が裂けても言えず、流阿は言葉を詰まらせる。
「まぁ、よろしいでしょう。同じ地獄の道を歩む”同胞”なのですから、今回のことは特別に許して差し上げます」
「あ、うん。ありがとう……」
もう、後戻りできないんだな……と、流阿の胸中は、諦めに似た感情で満たされた。
「先輩がデパートを出られた後ですが、あの騒ぎで混乱していたデパートの方々が落ち着くまで、私達、ボランティア活動をしていたんです。その合間に、時間を見つけてはエクリプスを色々と試していたのですが、ちょっと面白い機能を発見しました。先輩、エクリプスのデバイス、出せますか?」
言われるがまま、流阿は意識を集中し、右腕に黒いスマホのようなデバイスを実体化させる。
「私のスキルである”祭祀”ですが、こうして、こうすると……はい、できました」
灯架が自分のデバイスを何やら操作すると、流アルのデバイスにピロン、と通知音が鳴った。
「これは……?」
メールのような通知を開くと、そこには『鳴海灯架さんから、グループ【大和】への招待が届きました』と表示されていた。
「どうやら私の【Eclipse ver. Himiko】は、そういったグループを作成し、メンバーを管理する機能があるようですね。今なら特別に、先輩を我がグループ”大和”の栄えある初期メンバーとして迎え入れて差し上げます。さぁ、感動の涙を流しながら、承諾ボタンをタップしてください」
”大和”というのがグループ名らしい。十中八九、彼女が命名したのだろう。問題は、このグループに加入することで、他のグループに所属する機会を失う可能性だが……灯架のグループなら、変な奴らに絡まれるよりは、ずっとマシかと、結論付けた。
「これで、いいのかな?」
流阿は特に迷うことなく、招待メッセージの”承諾”をタップした。付き合いはまだ浅いが、灯架のことはそれなりに信用している。恥を上塗りし続ける負け犬的な”同胞”ではあるが。
「グループに加入すると、色々な便利機能が解放されるみたいなので、確認してみてください。ですが、いきなり”ドレスチェンジ”は使わないでくださいね?」
「なんで?」
自分のエクリプスに表示されたドレスチェンジを眺めながら、疑問を投げかける。
「事前に着替え用の服を登録しておかないと、全裸になってしまいますので。もし、目の前のピュアな美少女様に、ご自身の生まれたままの姿を披露したいという強いご意志がおありなら、私は止めませんが」
「そこは全力で止めようよ、普通に」
「世の中には、美少女に己のありのままの姿を見てもらうという、またとない名誉を渇望する殿方もいらっしゃるかもしれませんので」
そういう変わった趣味をお持ちの方も、いらっしゃるかもしれないが、少なくとも自分は違うと信じたいものだ。
「そんな奇特な名誉は、残念ながら欲しくないかな」
「それはそれは、お変わりなことで……。とりあえず、何か着替えを用意しましょう」
灯架は鏡子を呼び、どこからか調達してきた、まだ真新しい男性用のシャツとカーゴパンツを持ってこさせた。
「解放された機能のほとんどは、”オド”というポイントを消費するので、ご利用は計画的にお願いしますね」
「オド、か……」
”ラビリントス”を使った際に消費した、あの赤いエネルギーのことだろう。
「オドは、時間が経過すれば自動的に少しずつ回復しますから、多少なら使っても大丈夫ですよ」
他にも、赤い結晶に覆われた死体から回収した記憶もあるが、それはこの場で言うべきことではないと判断して、その事については何も伝えなかった。流阿は物陰に隠れると、結局”ドレスチェンジ”の機能を使ってみた。だが変化はない。
デバイスを確認すると、収納が出来ない物を身につけているという旨の表記と共に、バイオアーマーの3Dモデリングが表示されている。その3Dモデリングには、赤く表記されている部分があった。
どうやら二本のナイフと、その鞘が原因のようだ。それらを外して、再度”ドレスチェンジ”を使うと、今度はバイオアーマーが消えた。ただ完全に裸になってしまったのは恥ずかしかった。これは、本当に灯架の前で、この機能を使わなくてよかったなど思いながら、用意された服に着替える。
そして再度、”ドレスチェンジ”を使うと、元のバイオアーマーの姿へと戻る。そのように一通りの効果を確認すると、再び普通の服に変更して、灯架の元に戻った。
「本当に一瞬で変わるんだね」
「ええ。これで、いつでもどこでも、ヒーローの華麗なる変身シーンを再現できますよ。いずれ、先輩専用の変身ポーズも考案いたしましょう」
「それは、丁重にお断りしておくよ……」
灯架は完全に開き直っている。自分の秘めたる趣味を隠す気など、もはや完全に失っているようだ。
「それは残念です。ですが、気が変わりましたら、いつでもお申し付けください。ポーズのストックは無限にございますので」
「……その気になったら、頼むよ」
”その気になることは、天地がひっくり返っても、一生ないと思うけどな”と流阿は心の中で付け加える。だが、いずれ強制的にポーズをとらされることを感じてもいた。
「あと、”ドレスチェンジ”は、服の判定が意外とシビアなので注意してください。手に持っている物や、ポケットに小物が入っているだけで、機能が使えないこともあります」
「その辺りは、さっき実際に経験したよ。ナイフと鞘が収納できず、ドレスチェンジ出来なかった」
「では、その辺りの説明は必要ありませんね。後は他にも、”スライド”や”ストレージ”といった機能も、なかなか役に立ちそうですよ」
流阿は自分のデバイスを操作し、新たに追加された機能を確認する。確かに、灯架の言った機能が増えていた。
「”スライド”は、予め登録しておいた保管場所から、登録済みのアイテムを取り出す機能ですね。召喚魔法みたいなイメージです。”ストレージ”は、エクリプス自体に物を収納する機能です。どちらも便利なのですが、色々と制限が厳しいので、後でしっかりと確認しておいてください。ヘルプの項目が増えているはずなので、そこから概要は確認できますよ」
新たに追加された機能には、それぞれ厳格な制限が設けられているようだった。
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【ドレスチェンジ】:予め登録した服装と、現在着用している服装を一瞬で交換する。
* 制限:事前に【ストレージ】内に着替えを登録しておく必要がある。
【スライド】:予め登録した「保管場所」に置いた、登録済みの「特定のアイテム一つ」を、手元に転送する。
* 制限1:自分が所有し、かつ登録できるアイテムは一種類のみ。
* 制限2:登録できる「保管場所」は一ヶ所のみ。登録できる「保管場所」の大きさにも制限がある。
* 制限3:「保管場所」に自身が物理的に触れていない状態では、アイテムを取り出せない(遠隔召喚は不可)。
【ストレージ】:エクリプスアプリ内の仮想空間に、アイテムを収納する。
* 制限1:収納できるのは、構造が単純で小さな物(単一部品で構成される物など)のみ。最大で三種類まで登録可能。
* 制限2:複数の種類のアイテムを登録した場合、総収納容量は種類数で分割される。
* 制限3:総収納容量はごく僅か(例:ナイフ数本、あるいは小さな工具数点程度)。
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特に目につく条件は、このようになっている。これらをどう活用していくか、今後の課題となりそうだ。
「じゃあ、私の話しはこれで終わりましたので、次は先輩の話を聞かせて下さい」
「そうだねぇ……いくつか伝えておかないといけないことがあるから、皆の前で話そうと思うよ」