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灯架達の出発

 流阿に三日遅れて一日目。

 女性達が、御津丸デパートから出立する。


 その中に、腰まで伸びた艶やかな黒髪が印象的な少女がいた。


 彼女の名は、鳴海 灯架。

 彼女の立ち姿は凛として美しく、育ちのよさを感じさせる。


「先輩、今どのへんまで進んでるんでしょうかねー?」


 灯架は背負ったリュックの肩紐を握り直し、前方を覆う瓦礫の山を眺めながら呟く。


 その見た目通り裕福な家庭で育ったが、人の上に立つ者として社会を学ぶため、夏休みを利用して流阿が働いていた工場にしばらく身を置く。そのとき、年齢が最も近かった流阿が彼女に仕事を教えたことをキッカケに、先輩と彼を呼ぶようになった。


「隕石の直撃で寸断された現状の道路状況を考慮しますと、飛谷ノ市への踏破には通常でも徒歩で三日を要するでしょう。ですが、伯廊様は合理的な思考の持ち主。その上で……ええ、極めて慎重な方でもあります。例の飯田のような悪質なエクリプス能力者との遭遇を想定し、常に余力を残した進軍計画を立てているはずです。かといって、時間をかければかけるほど不測の事態に巻き込まれる危険も増しますから、適度な休息を挟みつつも四日程度で踏破なさるのではないでしょうか?」


 クールな美女という印象を抱かせる成人した女性が、灯架の問いに答える。


 彼女の名は境 鏡子(さかい きょうこ)

 その立ち位置などから、灯架の従者と呼べる立場にいる事が窺えた。


 彼女もまた歩きながら、冷静に状況を分析する。彼女が言い淀んだ”慎重”の後に続く言葉――時折見せる彼の思考の単純さ――は、あえて口にするのを避けたようだ。


「やっぱり、それくらいはかかりますよねー。飛谷ノが無事だったら、先輩のことだから、大きな避難所をいくつか回って、ご両親の情報も集めようとするでしょうね。隠してはいましたが、気になさっているようでしたし」


 流阿がその胸の内を直接灯架たちに吐露したわけではない。だが、彼の僅かな言動の端々から、家族を深く案じる気持ちは灯架にも痛いほど伝わっていた。


「まぁ、どちらにせよ、私たちが飛谷ノ市に向かうのは変わりないですし、きっとすぐ先輩にも会えますよ。ね、イリスちゃん」


 灯架が隣を歩く小さな金髪の頭に優しく微笑みかける。すると、流阿の”嫁”を自認する六歳の織紫亜依利栖は、その碧眼に年齢にそぐわぬ落ち着きを宿し、こくりと小さく、しかし確信に満ちた様子で頷いた。


 一行の背負うリュックには、数日分の食料と水が詰め込まれている。しかし、飛谷ノ市までの全行程分を持ち運ぶのは、特に年少のイリスにとってはあまりにも酷だ。道中での補給は避けて通れない。だからこそ、常に彼女達の目は補給を出来る場所を探している。


 やがて彼女達が足を止めたのは、ガラス窓が割れ、商品棚がなぎ倒されたコンビニエンスストアの残骸だった。薄暗い店内に懐中電灯の光を走らせ、使えそうなものを物色する。


「あまり、イリスちゃんにはこういう物々しい雰囲気、見せたくないんですけどねー」


 灯架が埃を被った缶詰を手に取りながら言うと、イリスの姉である織紫亜莉亜那が、その上品な佇まいを崩さずに答える。特殊な化粧で実年齢より上に見せている彼女だが、その声には妹への深い愛情が滲んでいた。


「お気遣い感謝いたします、灯架様。ですが、これも生きるために必要なこと。イリスにも、この世界の現実をしっかりと見ておいてほしいと考えています」

「リアナさん、意外とスパルタ教育なんですねー」


 灯架がおどけてみせると、リアナは淑やかな微笑みを返した。その傍らで、イリスは小さな手で栄養補助食品のパッケージをじっと見つめていた。



●流阿に三日遅れて二日目●


 翌日も、一行は黙々と歩を進めた。

 明確に急ぐ理由は今のところない。しかし、あの飯田のような悪意を剥き出しにするエクリプスユーザーが、他にも潜んでいる可能性は決して無視できなかった。いつどこで襲撃されてもおかしくない、そんな目に見えない圧力が常に彼女たちの肩にのしかかっていた。


「これ、今の日本だと完全に銃刀法違反なんですよねー」


 灯架は腰に横向きに下げた細長い布包みにそっと手を触れ、自嘲気味な苦笑いを浮かべる。中には、御津丸デパートからボランティア活動の礼として譲り受けた、とある”得物”が収められている。平時であれば即座に警察のお世話になるであろう代物だが、人を襲うことすら厭わないアプリユーザーが跋扈するこの崩壊した世界では、自衛のための力は必要不可欠だった。


「お嬢様の武芸のご趣味が、このような形で役立つとは皮肉なものですね」


 鏡子が静かに応じる。彼女の言葉には、呆れと感心の両方が含まれているように聞こえた。


「その趣味で、もしかしたら人を傷つけなきゃいけないかもしれないって考えると、ちょっと気分も重くなりますけどねー」


 灯架は軽くため息をつき、再び前を見据えた。


「鏡子は武器の扱いはプロフェッショナルですけど、エクリプスの方はどうです? 少しは慣れました?」

「はい。歩行中も意識してエクリプスを起動させていますが、まだ完全に感覚を掴みきれていないのが正直なところです。片方は経験を活かせますが、もう一方の方は繊細な操作が必要で……」


 御津丸デパートに滞在していた折、流阿は灯架たちにエクリプスの基礎的な扱い方を教え、代わりに鏡子は彼に近接戦闘の初歩とナイフを用いた護身術を指南した。その時のことを灯架が思い出し、尋ねる。


「そういえば、先輩に戦闘技術を教えてましたけど、鏡子さんから見て、先輩って筋はありそうですか?」

「現時点での純粋な技量であれば、私が遅れを取ることは万に一つもありません。ですが……彼の成長速度は、正直申し上げて異常です」

「おぉー、鏡子がそこまで言うなんて珍しいですねー。もしかして、とんでもない才能があったりしますか?」


 灯架の目には、いつも通りの好奇心が輝いていた。


「才能、というよりは……まるで忘れていた動きを一つ一つ丹念に思い出すかのような……そんな既視感を覚えました。エクリプスの操作にしても、初動から妙に手慣れていましたし。伯廊様は、何か大きな秘密を抱えていらっしゃるのかもしれません」

「秘密、ですか。例えば、どこかの国の秘密工作員とかでしょうか?」


 灯架が芝居がかった仕草で、キリリとした表情を作って見せる。その姿は、普段の猫のような好奇心を見せる時の雰囲気とは少し違う、彼女の別の顔を覗かせた。


「それは万が一にも。あの方の思考回路は良くも悪くも単じゅ……いえ、実直そのものです。それに、あれほど極度の人見知りで務まる諜報員など、私は寡聞にして存じ上げません」


 鏡子が表情一つ変えずにきっぱりと否定すると、灯架は「そうですよねー」と頬を緩め、いつものおっとりした口調に戻った。おそらく、鏡子の答えは最初から見抜いていたのだろう。猫のような気まぐれさの裏に隠された、鋭い洞察力が垣間見えた。


 一行は再び、隕石の無慈悲な爪痕が生々しく残る、陥没だらけの危険な道を進む。幼いイリスの足では、当初の予定通り三日で飛谷ノ市へ踏破するのは難しい。それは最初から織り込み済みだった。


 それよりも灯架の心を重くざわつかせたのは、道端で見かける頻度が増してきた、あの不気味な赤い結晶に覆われた遺体の数だった。御津丸デパートを出発してから、まだ丸一日と少ししか経過していない。しかし、その数は明らかに増加しているように感じられた。


『いくらなんでも不自然すぎますね』


 遺体がそのまま放置されていること自体も異常極まりないが、そもそも、これほど多くの人々が屋外で命を落としたというのだろうか? あの未曾有の流星雨が降り注いだ夜に? 常識的に考えてありえない。あの地獄絵図が展開される前に偶然外出していた少人数ならまだしも、空から破滅が降り注ぎ始めてから、これほど多くの人間が屋外にいたとは到底考えにくい。


『最初からそこには無かったモノが、後から忽然と現れたようにも見えますね』


 ふと、灯架は数日前に流阿と交わしたエクリプスに関する奇妙な会話を思い出した。アプリを起動するまで、スマートフォンの画面に表示されるエクリプスのロゴマークが、ほんの僅かずつだが絶えず変化し続けていたという事実に、流阿も灯架も気づかなかったこと。


 だがユーザーとなった今だからこそ明確に認識できるようになったその不可解な変化。それが、今目の前に横たわる遺体の異様な存在感と、奇妙に重なって見えたのだ。


『この遺体も、エクリプスのロゴと同じかもしれませんね。あの人なら……遺体が外にある世界と、遺体が無い世界。その隣り合ったパラレル世界が、観察によって決定しているとでも言うのでしょうか?』


 ある女性の顔を想い浮かべながら考えたのは、オカルトじみた荒唐無稽な仮説。だが、常識が崩壊した今の世界では、何が起きても不思議ではなかった。しかし、検証する術を持たない思考はすぐに霧散し、灯架は目の前の厳しい現実に意識を引き戻した。


 じりじりとアスファルトを焦がす真夏の太陽が空の最も高い位置に達する頃、一行は体力消耗を避けるため、人気のない廃ビルの一室で休息を取ることにした。この燃えるような酷暑の中、医療機関もまともに機能していない状況で熱中症にでもなれば、それは即、命取りになりかねない。比較的涼しい午前中と夕方の時間帯に移動し、日差しが最も厳しい昼間と、危険が増す夜間は安全を確保できる建物で待機する。それが彼女たちの基本的な行動パターンだった。


 昨日と同じように、今日もここで昼の猛烈な暑さをやり過ごそう――そう思った矢先、事態は予測もしない方向へ急変した。


「灯架様、エクリプスを起動してください! リアナ様、イリス様も急いで!」


 鏡子の鋭く短い声が飛ぶ。その声には、普段の落ち着き払った彼女からは想像もできないほどの緊迫感が籠っていた。


「はい」


 灯架は反射的に手に意識を向けると、ESデバイスが姿を現しエクリプスを起動させる。リアナとイリスも即座にそれに倣う。

 アプリが起動すると同時に、拡張された感覚器官が周囲の異様な空気を明確に捉えた。息を詰めるような、濃密で不快な違和感。誰もが口を閉ざし、全神経を聴覚と視覚に集中させ、物音一つ、気配一つ聞き漏らすまいと身構える。


「その場で動かず、警戒を維持してください!」


 鏡子は短く指示を出すと、しなやかな動きで窓際へ移動する。壁に背を預け、自身の身体を遮蔽物としながら、窓の縁からそっとスマートフォンを差し出した。それはエクリプス専用機とは別に用意しておいた、通常の通信機能が生きているもう一台の端末だ。自身の顔を直接窓の外に出すという危険を避け、カメラ機能で外部の状況を慎重に偵察する。


 ディスプレイに映し出される荒廃した街の景色を注意深く確認し、やがてカメラの動きを止めてデジタルズームで遠方を凝視。数秒間の沈黙の後、彼女は灯架たちの元へ音もなく戻り、無言でスマートフォンを差し出した。


「お嬢様、こちらをご確認ください」


 スマートフォンを受け取った灯架の顔には、まだいつものおっとりとした微笑みが薄く浮かんでいた。だが、画面を覗き込んで数秒後、その表情は強張っていく。隣で同じ画面を食い入るように見ていたリアナも息を呑んでいた。ただ一人、イリスだけが、変わらぬ無表情で、しかしその碧眼を鋭く細めて画面を見つめている。


 画面に映し出されていたのは、信じ難い、そしておぞましい光景だった。

 銀色の、ぬらりとした光沢を放つ異形の生物。辛うじて人型の骨格を留めているそれは、身の丈二メートルはあろうかという堂々たる巨躯。そして何よりも目を引くのは、地面に届かんばかりに長く、異常なまでに太く発達した両腕だった。


 さらに衝撃的だったのは、その怪物がまさに”誕生”する瞬間が、動画として記録されていたことだ。


 道端にうち捨てられていた、あの忌まわしい赤い結晶に覆われた遺体。その背中が不気味に蠢いたかと思うと、音もなく亀裂が走り、中から粘性の高い銀色の液体が溢れ出す。それは陽光を鈍く反射しながらアスファルトの上に広がり、まるで意思を持つかのように、みるみるうちに人型を形成し、あの銀色の怪物へと変貌を遂げたのだ。


「……急いでここを離れるべきですか? それとも、もう少し情報を集めますか?」


 スマートフォンを鏡子に返しながら、灯架は先程までのんびりした雰囲気とは打って変わって、真剣な眼差しで問いかけた。その声には、隠し切れない緊張が滲んでいる。


「本来であれば、対象の行動パターンや能力を詳細に分析するため、情報収集を優先すべきです。しかし、このビルは構造上、万が一あの怪物に襲撃された場合の有効な退路が限定的すぎます。まずはより防御に適した場所へ迅速に移動することを推奨します」


 あの銀色の怪物が、人間に対して明確な敵意を抱いているのかどうかは、現時点では不明だ。しかし、楽観視してこの場所に留まり続け、万が一敵対的だった場合、袋小路でなぶり殺されるという最悪のシナリオも容易に想像できた。


「わかりました、移動しましょう。鏡子さん、次の避難場所の候補は?」

「現在地から至近距離にあり、複数の出入り口が確保できること。内部にバリケードを構築しやすく、かつ『あれ』の発生源となる赤い結晶遺体が周囲に存在しない場所。これらの条件を全て満たすのは……」


 鏡子は即座にいくつかの候補を頭に描き、最も安全と思われるルートを脳内でシミュレートし始めた。


 赤い結晶を母体として、この世ならざる銀色の異形が顕現した。

 あれが生物なのか、それとも世界のバグが生み出した別の何かなのか、現時点では判断のしようがない。だが、いずれにせよ、最大限の警戒をもって対処すべき相手であることは間違いなかった。


 灯架は覚悟を決め、腰に提げていた細長い布包みを素早く解いた。現れたのは、白木の鞘に収められた一振りの日本刀。それは御津丸デパートの美術品展示コーナーに飾られていたもので、後日、鳴海家が正式に代金を支払うという約束を取り付けて譲り受けた品だ。


「まさか、私のこの趣味がこんな形で実戦デビューするなんて、夢にも思いませんでしたよー。しかもお相手が、ああいうモンスターだなんて、なおさらです。鏡子も準備は出来ていますね?」


 灯架が鞘から抜き放った刀身は、薄暗い廃ビルの一室に冷たい鋼色の光の筋を走らせる。その切っ先は、微かに震えていた。


「はい。これが私の専門というわけではありませんが、現状で贅沢は言えません」


 鏡子はミリタリージャケットの内側に忍ばせていた伸縮式の特殊警棒ロッドを取り出し、鋭い金属音と共に一瞬で最大まで伸長させた。あの銀色の巨体を相手にするにはあまりにも心許ない武装だが、丸腰でいるよりは遥かにマシだ。


「リアナさん、イリスちゃん。大丈夫?」


 灯架が振り返り、常よりも幾分か硬い声で二人に声をかける。ここからは、あの怪物に発見されることなく、次の潜伏先まで全速力で駆け抜けなければならない。それはかなりの体力勝負になるだろうし、精神的なプレッシャーも計り知れない。


「……はい。ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」


 リアナが緊張した面持ちで深く頭を下げ、イリスも小さな手をぎゅっと握りしめて、力強く一度だけ頷いた。その碧眼には、恐怖よりも強い意志の光が灯っている。


「いえいえ、これはお互い様、生き残るための役割分担ですよ。飛谷ノ市に着いたら、きっとリアナさんの博識がすごく頼りになるでしょうし、イリスちゃんの”ご趣味”だって、絶対に活躍する場面があるはずですから。だから今は、遠慮なく私と鏡子さんに頼ってください。その方が、後で私たちが心置きなく二人にお願いしやすくなるってもんですからねー」


 灯架は努めて明るく、いつものように軽やかに微笑んでみせる。しかし、その言葉が終わると同時に、彼女の瞳から普段のんびりとした光が完全に消え去り、覚悟を決めた者の鋭い決意の色が宿った。


「鏡子。予定通り、あなたが先行して安全なルートの確保と的確な指示をお願いします。私たちはあなたの指示に従って、全力で動きます」

「承知しました。お嬢様も、ご無理はなさいませんように」


 短い、しかし信頼に満ちた応答と共に、鏡子は身を低くしてドアへと ???無音で向かう。

 一行は、新たな脅威が蠢く死の街へと、再びそのか細い足を踏み出した。



 これは流れ星が降り注いだあの夜から続く、世界崩壊の続き。

 生きている限り生きなければならない──現実の牙がどれほど鋭くとも。 

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