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ESホルダー ~流れ星に壊された世界でスマホ片手にヒーローをやっています~  作者: 穂麦
天の岩戸

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19/21

天の岩戸5

 これから国の経済を力強く牽引するはずだった巨大な工場群は、赤い流れ星が地上に降り注いで以来、その全てが稼働することなく、静かに沈黙している。


 幸い、飛谷ノ市は他の都市に比べて隕石による物理的な被害が少ない。そのため、真昼の太陽に照らされたこの場所は、完全な廃墟というよりは、人の営みが突如として消え去った、巨大なゴーストタウンと呼ぶに相応しい姿を保っていた。


 ゴーストタウン特有の静寂は、天の岩戸作戦が開始されると共に、著しく変化し始める。


 今、作戦のクライマックスに向け、最後の舞台が幕を開けたのだ。


 工業区の静寂を切り裂き、二つの影が衝突しては即座に離れるのを繰り返す。


 一つは、夜の闇を切り取ったかのような流麗な曲線を描く黒いバイオアーマー。そしてもう一つは、無機質な輝きを放つ、流体金属のような銀色のバイオアーマーを纏った異形の獣人。


 流阿と、銀色のコボルト。二人の戦いは、もはや単なる戦闘ではない。互いの能力と目的を探り合う、高速のチェスにも似た様相を呈していた。


 流阿の思考は、精神汚染の影響を受けながらも、静かに相手を分析していた。


 目の前のコボルトは、明らかに強い。通常のコボルトと戦ったことはないため、他のコボルトと比較できない。だが、目の前の敵は、行動の一つ一つが次へと繋がる意味を持っているのが分かる。


 引き剥がして正解だった。あのままでは、ライオットが銀色の樹を破壊する大きな障害になったはずだ。しかし、そんなことを考えている余裕はない。


 コボルトの両手に握られた手斧が、途切れることなく襲いかかる。フェイントや強弱を織り交ぜた、戦に慣れた攻撃だ。全てが次の攻撃に繋がり、最終的に相手の命を奪う。


 相手の攻撃を避けながら、流阿は焦りを抱く。目の前のコボルトは生まれて数分しか経っていない。それがこのような攻撃を繰り出している。では、実戦を繰り返して経験を積んだとしたら?


 ここで確実に仕留めなければならない。


 流阿の動きが、これまでと変わる。相手の攻撃後に繰り出していたカウンターを、より早く放つ。これまでの守りの要素を少しずつ削り、攻撃速度に重点を置いた動きへと変貌していく。


 それは、これまでとは僅かな違いに過ぎない。だが、高速戦においては、手数が圧倒的に増える。流阿の僅かな変化は、高速戦において大きな変化として現れ始める。


 少しずつ、コボルトの手が追いつかなくなっていく。一閃、二閃、三閃──手数を増やすに連れて、均衡が流阿へと傾いていった。


 二人の戦いは、その舞台を著しく変えながら展開されていく。


 ライオットたちがいた工場からの距離は広がり続け、まずは無数のパイプラインが迷路のように入り組んだ区画を駆け抜ける。流阿は、足元のパイプをナイフで切り裂き、高圧の蒸気を噴出させて目くらましにする。だが、銀色のコボルトは、熱センサーのような能力で彼の位置を正確に把握しているのか、一切速度を落とすことなく、蒸気の壁を突き破る。


 戦いの舞台は、巨大なクレーンが林立する資材置き場へ移り変わる。流阿は、天高く伸びるクレーンのアームの上を、まるで綱渡りをするかのように軽やかに飛び移っていく。常人であれば立っていることすらままならない高所。だが、銀色のコボルトもまた、獣じみたバランス感覚で、寸分の狂いもなく彼を追従する。


 工場が少なくなった区画を抜け、やがて、二人の影は、近くにマンションが立ち並ぶ住宅街を目前に見据える、開けたアスファルトの道路にまで到達した。


 隕石の落下以降、このエリアの住民は全てドームへと避難していたが、すでに人の気配はない。コープスウォーカーの被害者となったと考えられている。


 流阿は、この場所で足を止めた。見る者に、それまでの高速戦が、幻か何かであったかのような落差すらある。


 どうやら、相手にも警戒心があったようだ。迂闊に近づくことなく、銀色のコボルトも足を止めた。


 睨みあう二人。どちらも隙間一つないほど完全に装備が顔を覆い尽くしている。だが、二人の間にほとばしる緊張感が、確かに睨みあっていると伝えていた。


 そして、最初に動いたのは流阿だった。


 これまで以上の動きでナイフを繰り出す。だが、銀色のコボルトが無言のまま繰り出した手斧とは、衝突することなく行き交う。


 手斧が、流阿のバイオアーマーの脇腹を、空気の層一枚を隔てて通り過ぎていく。


 攻防が続き、ナイフと手斧が実際に交わることなく、振るうたびに発生する身を切るかのような殺気に満ちた風だけが互いの身体を撫で続ける。


 予想外の敵の強さではあったが、流阿に焦りはない。だが、急ぐ必要はあった。


 流阿はナイフをシースへと収めると、両手の指を開いて構える。


 それは殺技を繰り出す際の、特別な構え。


 同時に通常とは別種の精神汚染──白い鎧の男に由来する精神汚染が進んでいく。


 白い鎧の男。それは記憶持ちである流阿、彼の持つ記憶の源泉。


 ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、銀色のコボルトの動きが変わった。


 銀色のコボルトが、両手に持った戦斧で無数の斬撃を繰り出す。それは、もはや二振りの手斧ではなく、前後左右から同時に襲いかかる、銀色の刃の嵐のようにすら見える。右の斧による縦の斬撃、左の斧による横薙ぎ、身体の回転を利用した変則的な斬り上げ。人間の反射速度を遥かに超えた、フェイントすら織り交ぜた斬撃の豪雨。


 二刀流の斧術は、ライオットの動きを学習し、さらに最適化したかのような、無慈悲なまでの完成度を誇っていた。


 それは脅威と呼ぶに十分な技であったが、不純物を取り除き過ぎた。


 初撃は速度重視、二撃目は僅かに重い、三撃目は反動を利用したフェイク──流阿は次々に襲いくる斬撃の嵐を、最小限の動きで避けていく。


 最適化されすぎて、次の動きが読みやすくなってしまったのだ。モンスターの恵まれた身体能力に助けられているが、同様の攻撃を人の身体能力で繰り出したとすれば、簡単に動きが読まれてしまう技に過ぎない。


 最期の時だ。


 銀色のコボルトの連撃の最後に生まれた、コンマ一秒にも満たない硬直。流阿はその瞬間を見逃すことはなかった。振り下ろされる右の斧を腕の甲で受け流し、その勢いを利用して半身で懐へ滑り込むと、コボルトの両腕の関節に、両手の指先で同時に、柔らかく触れる。


 瞬間、銀色のコボルトの腕が、乾いた音を響かせる。枯れ枝が折れるような、軽い音。次の瞬間、彼の両腕が、ありえない方向へと歪に曲がっていた。


 外傷はない。だが、内部は既に取り返しのつかないほど破壊されている。流阿の指先から送り込まれた微細な運動エネルギーが、装甲の内側で──筋肉繊維や腱、さらには神経系を不自然に動かし、凄まじい痛みと共に自らを破壊するように誘導したのだ。


「アガァ、ギギャアアアアアッ!」


 痛みに慣れていないのか、あるいはその異質な破壊に恐怖したのか。


 コボルトは、これまでの一切の理性を吹き飛ばすような、壮絶な悲鳴を上げた。だが、その声は、次なる自身の悲鳴によって、すぐに押し潰された。即座に繰り出された同等の攻撃が、無防備になった両膝へと繰り出され、コボルトの悲鳴は新たな悲鳴に上書きされる事となる。


 殺技。それは、エクリプスが見せた記憶の中にある、あの白い鎧の男が使っていた殺しの技。十指の先から、指向性を持たせた運動エネルギーを相手の体内に直接流し込み、筋肉の強制的な収縮や神経系への誤刺激により、内側から相手の器官を破壊する絶技。


 その力は絶大だが、代償もまた大きい。技を使うたびに、流阿の精神は、あの男の持つ冷徹で無慈悲な殺意に、僅かずつ侵食されていく。周囲に仲間がいれば、その矛先がどちらに向くか分からない諸刃の剣。だからこそ、周囲に誰もいないこの場所に移動する必要があった。


 精神汚染が急速に進んでいく。それは衝動という言葉よりも遥かに自然なもの。呼吸するかのように当たり前に殺しを行う、平静な人外の精神による浸食。


 理性で押さえるなどする必要はない。侵食に流されるのでもない。


 相手を殺すという、流阿自身が定めた単純な結末に、ただ意識を向け続け、技を繰り出し続けるだけでいい。そんな静かな心のままに、壮絶な技を繰り出し続ける。


 やがて、手や足、腹部などに大きな損傷を受け、抵抗する術を失った敵に終の一撃が繰り出される。


 無防備となったコボルトの足を払うと、その直後に胸部に赤く輝く右の掌を押し付け、そのまま地面へと相手の身体を叩きつける。


 赤い光。それは彼のバイオアーマーを機能させるために使われる、エーテル技術と呼ばれる特別な情報を与えられたエネルギーによるもの。それがコボルトの体内へと直接注ぎ込まれ、蹂躙を開始する。


 このエネルギーに与えられている情報、それは運動エネルギーの指向性とリンクするというもの。


 流阿はイカロスの翼の能力によって、エーテルが、細胞を焼き払い、また運動により切り刻み、敵の体内で連鎖的に崩壊反応を引き起こしていく。それは、目に見えない無数に存在する熱を帯びた極小の刃が、内側から肉体をズタズタに切り刻んでいくかのような蹂躙。


 ──侵食、蹂躙、凌辱、破壊──コボルトの身体を構成する細胞の一つ一つが、内側から焼き切られ、その構造を崩壊させていく。


 やがて、敵の生命エネルギーに染まり、その性質を狂わせたエーテルは、行き場を失って暴走を開始する。コボルトの胸から溢れた赤い光は、奔流となり、血の噴水と共に周囲を残酷な色で照らした。


 光が収まった時、そこに銀色のコボルトの姿はない。太陽の光を返す赤い結晶の欠片が、アスファルトの上に散らばっているだけだった。


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