天の岩戸2
隕石が降り注いで所々壊れた工場が見えるも、まだ少しの補修で十分に使えるであろう場所であることが、真昼の太陽のおかげでハッキリとわかる。ここは暁の旅団が解放を目指す一角。ライオットは、部下からの報告に、ヘルメットの中で低く唸った。
「負傷者は何人出た!」
通信機越しに響くその声には、抑えきれない悔しさが滲んでいる。
「今回は七人です。命に関わるほどではありませんが、そのうち二名は戦線を離脱する必要があります」
報告する副団長の声も硬い。
「そうか……しっかり養生するように伝えてくれ」
まだ人員は十分にいる。だが、流阿が評した「烏合の衆」という言葉が、ライオットの頭をよぎる。人の数だけでは、この戦争は勝てない。
「侵攻を一時、止める。団員を休ませろ」
ライオットの決断に、副団長はヘルメット越しにも分かるほど、わずかに動揺した気配を見せた。
「よろしいのですか。そのようなことをしては、功績が他の派閥に抜かれてしまいますが」
「止むを得ん。ウチの派閥は人数こそ多いが、結束力が他よりも弱い。無理をさせれば、すぐに士気が下がり、組織的な連携が崩れる」
ライオットは、戦況マップに表示された部隊配置を睨みつける。
「本部との情報交換を密にし、装備の再点検と休息を徹底させろ。この中断は、何もしない時間じゃない。次の一歩をより確実にするための、立て直しの時間だ」
その言葉に、副団長は「はっ」と短く応え、すぐさま新たな指示を飛ばしに持ち場へ戻っていった。
一人残されたライオットの元へ、軽い足音と共に、一人の女が近づいてくる。
彼女が纏うのは、戦闘部隊のそれとは違う、薄手のバイオスーツとでも呼ぶべきものだった。顔を覆うのはゴーグルのみで、スーツの上からポケットの多いジャケットを羽織っている。斥候としての情報収集をメインとする彼女たちにとって、重厚な鎧は不要なのだ。
「おっさん。頑張ってるねー」
「二十八歳はおっさんじゃねぇ!!」
ライオットに声をかけてきたのは、斥候部隊をまとめる梓という女性だった。快活な笑みを浮かべた口元と、悪戯っぽく輝く瞳が印象的な、活動的なショートヘアーの女性だ。
「まあ、いい。そっちの負傷者はどうなっている?」
「こっちに怪我人はいないけど、結構危ない目にはあったよ」
梓は、肩をすくめながら答える。
「危ない目?」
ライオットが問い返すと、彼女は悪びれもなく続けた。
「屋根から屋根へ跳んで移動してたらさ、下の階にいたコープスウォーカーのヤツが、いきなり天井を突き破って手を出してきたの。あたしの美脚がよほど魅力的だったのね」
軽口を叩く彼女とは対照的に、ライオットの声のトーンが一段階、低くなった。
「……気になるな」
「へぇ、おっさんも、あたしの美脚が気になるんだー」
「おっさんじゃねぇ。お前の足はどうでもいいが……痛っ」
ライオットは、梓に思い切り脛を蹴られ、短い悲鳴を上げた。
「なんでもー」
梓は、口笛でも吹きそうな様子でそっぽを向く。
「……俺が気になったのは、コープスウォーカーが屋根を突き破って、お前を狙ってきたことだ」
「あんたの考えてること、当ててあげよっか?」
ライオットの言葉を無視して、梓は人差し指を立てる。
「いや、い――「アイツら、知恵を付けてきてるって思ったんでしょ」
断ろうとしたが、一方的に思考を言い当てられ、ライオットは呆れたようにヘルメットの中で息を吐いた。
「……まあ、そうだな」
「今回の件だけで判断はできないけど、待ち伏せや、誘い込むような動きをしてくる可能性は考えといた方がいいかもね」
重い沈黙が、二人の間に落ちる。
新たな懸念材料。だが、今すぐに対策が立てられるわけではない。結局は、今までと同様に、一つ一つ警戒しながら進んでいくしかないのだ。
「――それと」
沈黙を破ったのは、梓だった。
「それと、さっき偵察したエリアで、コープスウォーカーのヤツらが一箇所に、かなりの数で集まってるポイントを見つけたよ」
「はぁ、休憩は後回しか……」
ライオットは小さく溜め息を吐くと、休む間もなく臨時作戦指令室へと通信を入れ、次の指示を仰ぐのだった。
※
指令室にコープスウォーカーが一ヶ所に集まろうとしているという新たな情報を送る。それからしばらく経った後に伝えられた指示は簡潔だった。
コープスウォーカーの集団を襲撃せよという物だ。
やつらが集結して、何をしようとしているのかは分からない。だが隠れて梓の足を掴もうとしたという話から、敵が一定以上の知性を持つ可能性を考慮しなければならなくなった。
このため、コープスウォーカーが知性を持って行動し、なにか厄介な事をしようとしていると想定し、敵の準備が終わる前に叩きつぶすのがベストであるという判断からの指示だ。
作戦の要として、ライオットと比良那姉妹が前線へと躍り出る。
一体のコープスウォーカーが、標的を求めて彷徨う。その背後に比良那由夜が瞬く間に周りこむと、首筋にか細い指で触れると、血の色を帯びた靄が、ふわりと纏わりついた。次の瞬間、その非物質の靄は、確かな実体を持つ無数の赤い糸へと瞬く間に姿を変え、怪物の首を締め上げる。
勝ち気な笑みを浮かべた那由夜が、すらりとした指を軽く引くと、糸は皮膚のみならず硬い骨にあたる部分すらも断ち切り、音もなくコープスウォーカーの頭部を胴体から切り離した。
「ふふふ、避けられるかしら?」
その隣で、妹の麻衣が、まるで舞うように敵集団へと切り込んでいく。彼女が手にするのは、姉の糸と同じ、不吉な赤い輝きを放つ巨大な鎌。超人的な速度と膂力から繰り出される斬撃が、鋼鉄の肉体を持つ怪物を、紙のように両断していく。返り血を浴びながら妖艶に微笑むその姿は、まさしく戦場の死神だった。
そして、その二人が開いた道を、巨大な獣がこじ開ける。
「オオオォォッ!」
ライオットだ。雄叫びと共に振るわれる両手の戦斧が、コープスウォーカーの分厚い装甲を、防御ごと叩き割る。力と力の、真正面からのぶつかり合い。彼の戦いは、小細工のない、純粋な破壊そのものだった。
一体の敵を両断した直後、ライオットの背後から、別のコープスウォーカーの鉤爪が迫る。だが、その腕が彼に届くことはない。どこからともなく伸びてきた赤い糸が、その腕に幾重にも絡みつき、動きを完全に封じた。
「助かる!」
ライオットは背後を振り返ることなく、動きの止まった敵の頭部を、振り向きざまの一撃で砕いた。
「もっと前に出るぞ!奴らが集まり切る前に、可能な限り削るぞ!」
ライオットは、後方の部隊にではなく、隣で戦う双子へと指示を出す。
「ええ、手伝ってあげる。お・じ・さ・ん」
麻衣が、からかうように舌なめずりをする。
「そうだよぉ。おっさん、年なんだから無理は禁物だからねぇ」
由夜もまた、楽しげに続けた。
「おっさんじゃねぇ!!」
ライオットは怒声と共に、さらに敵陣の奥深くへと跳びこんでいく。
その派手な戦いぶりは、流阿という絶対的なエースを欠いた今、新たな象徴として、殺し合いに慣れていない兵士たちの恐怖を打ち払い、その士気を鼓舞するための、計算されたパフォーマンスでもあった。
彼ら三人が切り開いた道、そこには手傷を負い、あるいは混乱して動きの鈍ったコープスウォーカーたちが残されている。
そこへ、暁の旅団の戦闘員たちが、整然とした隊列を組んで続く。
「陣形を崩すなよ。訓練通りに動くことだけを考えろ!」
前線に立つようになったライオットに代わり、副隊長の誠が、冷静な声で指示を飛ばす。彼の的確な号令が、兵士たちの迷いを断ち切る。
「一番隊、構え!」
誠の号令一下、最前列の兵士たちが、巨大な盾を隙間なく並べて鉄壁を築き、その隙間から、二列目の兵士たちが槍の穂先を突き出す。
「――突けッ!!」
号令と共に、数十本の槍が一斉に突き出された。統率されたその一撃は、傷ついたコープスウォーカーの身体を、寸分の狂いもなく貫いていく。一体、また一体と、怪物が絶命の叫びを上げて崩れ落ちていった。
一体、また一体と、確実に数を削っていく。地道で、神経をすり減らす掃討戦。終わりなく続くかと思われたその戦いが始まってから、既に三時間ほどの時が過ぎていた。空の太陽は真昼の位置を少し越え、じりじりと装甲を熱し始めている。兵士たちの間にも、目に見える疲労の色が浮かび始めていた。
前線から少し下がった位置で部隊の再編成を行っていた副隊長の誠は、バイオアーマーの通信機能を使い、別行動中の斥候部隊へと連絡を入れる。ヘルメットの中で、彼の眉間に深い皺が刻まれていた。
『こちら本部、斥候一番。他のエリアの群れはどうなっている』
数秒のノイズの後、スピーカーから快活な声が返ってきた。斥候部隊のエース、梓の声だ。
『残念。時間切れ。この辺りのコープスウォーカー、皆、集まっちゃったみたい』
誠は数秒間、押し黙った。最悪の想定の一つが、現実になった瞬間だった。各個撃破のフェーズは、終わりを告げたのだ。
『……そうか。接近して、内部の様子を探ることはできるか?』
『んー、やってみるけど、あまり期待しないでよ。ヤツら、朝剛鉄鋼所の特に大きな工場の中に集まっちゃってるから、外からじゃあ中を確認するのは難しそうね』
その二人の通信に、ノイズ混じりの低い声が割り込んできた。前線で戦斧を振るっていたはずの、ライオットの声だ。その声には、戦闘の高揚感とは違う、冷静な響きがあった。
『いや、無理をする必要はない。ドローン……だったか?アレを使え。壊しても構わん。だが、お前たちが近くで監視している事は、決して悟られるなよ』
『やっさしー。あたしに惚れちゃった?』
梓の茶化すような声に、ライオットはヘルメットの中で深く溜め息をついた気配を見せた。
『センスのない冗談の礼に、戦勝後は書類仕事をたんまりプレゼントしてやろう』
『あっ、急に体調が悪くなってきたから書類整理はできませーん。元気のないあたしは、おとなしく監視に行ってきまーす』
通信はそこで一方的に途切れる。
「アイツ……」
ライオットの、若干の苛立ちを含んだ低い声を、通信機が拾うことはなかった。




