日谷ノ奪還プロジェクト:天の岩戸
飛谷ノ奪還プロジェクト:天の岩戸。
記憶持ちと呼ばれるエクリプスユーザー五人を中心に、飛谷ノ奪還を目指すプロジェクト。記憶持ち五人、それぞれが有する派閥のメンバーを中心に、飛谷ノ市の各区域を制圧する計画。
飛谷ノドーム近くの大通りは、決戦前の異様な熱気を帯びていた。
新たに暁の旅団を名乗るようになった流阿と灯架の派閥が、決戦を前に集結しているのだ。しかしこの場の熱気とは反対に、心が冷めきっている物が一人。
魔王(笑)流阿だ。
大通りの様子を物影から覗き見ていた彼は頭を抱えていた。
「……1000人や2000人じゃ済まない数がいる気がするんだけど」
恐る恐る発した呟きは、背後に控えていた鏡子が拾われる。
「天の岩戸に参加する当派閥のメンバーは2,500名程ですが、ご家族の方々も激励にいらしているので、現在この場には6,000人以上が集まっているかと」
「ろく……」
伝えられた事実に、流阿は改めて眼前の光景を見つめる。人、人、人。どこまでいっても人。まさしく人の海だ。しかも、これがすべて、自分たちの派閥に属しているのだ。その現実が、彼の胃をキリキリと締め付けたとしても、仕方のないことかもしれない。
「先日お伝えした通り、内訳は戦闘部隊が500名。支援部隊が1,000名。非戦闘員が同じく1,000名です。他は、彼らのご家族の方ですねー」
完全に尻込みしている魔王(笑)の背中に、楽しげに声を掛ける者がいた。
「プチ人見知りの先輩に、ぜひこの場で感動的な演説を披露して頂きたいものですねー」
灯架だった。とんでもない無茶振りを、悪戯っぽい笑顔と共に投げつけてくる。
「本当に、それは勘弁して」
「ふふふ。冗談ですよー。先輩は、わたくしの後ろで魔王として、ただそこに立っていて下されば結構ですから」
それもやりたくはないが、さすがに断れない。流阿は観念して息をつくと、エクリプスの機能で、漆黒のバイオアーマーを瞬時に装着する。
用意された簡易な壇上へと、灯架の後ろを流阿が歩く。そして壇上に彼女が姿を現すと、その場にいた数千が、一斉に視線を注いだ。さらに、その後ろから鎧姿の流阿が現れると、人々の視線は明らかに、より強い熱を帯びたのが分かった。
だが、熱気とは裏腹に、あれほど騒がしかった広場の空気が、張り詰めるように静まり返る。その様子は、どこぞの漫画で描写される、魔王城における魔王陛下の演説を前にした、魔王軍の様相そのもの。
否、この場合は大魔王陛下(笑)の演説を前にした、大魔王軍の様相というべきか?
この異様な空気の中で平然と猫を被り続ける灯架の後ろで、流阿は胃が締め付けられる錯覚を抱きながら、灯架の右後ろにその身を置いた。
壇上に立った灯架は、数瞬の間をおく。そして集まった六千人の群衆を静かに見渡し、マイクに口を寄せる。
「ここに集う、すべての暁の旅団の仲間たちに告げます」
灯架は、そっと胸に手を当て、人々の心に寄り添うかのように、声をわずかに震わせる。だが、それは完璧に計算され尽くした、指導者一族として教え込まれた技術の顕れだった。
「あの日、空から星が堕ちてきた日に、私達は多くを失いました」
彼女は一人、また一人と、聴衆の目を見つめながら、ゆっくりと言葉を繋いでいく。
「ある者は、愛する家族を。ある者は、帰るべき家を。ある者は、共に笑いあった友を。家族の笑い声が響いた温かい食卓も、当たり前のように昇っていた朝日も、来るはずだった明日も……そのすべてを、私達は奪われました」
灯架は、より聴衆の共感を強めるように、ゆっくりと言葉を重ねていく。身に付けた扇動の技術に従って、一つの思想を、優しく、しかし確実に心に擦り込むかのように。
「確かな寝床もなく、次に昇る朝日を見られるのかすら分からない。今の私達は、故郷を追われた流浪の民と、一体何が違うというのでしょう。このままでは、私達の絆はすり減り、人としての誇りを忘れ去り、ただ今日を生きることしか考えられない存在になってしまうでしょう」
広場が、彼女の語る未来と共に訪れるであろう重い絶望感に飲み込まれていく。聴衆の心が、悲しみと無力感で満たされた、その瞬間を狙い澄まし、灯架の声は、一転して力強く響き渡らせる。
「ですが、それを終わらせる時が来たのです! 私達が、すべてを取り戻すための第一歩を踏み出す時が来たのです!」
今回の作戦が失敗すれば、次はない。あるのは、資源も人も士気も、何もかもが削がれた、より深い絶望だけだ。故に、どんな手を使ってでも、全ての力をこの作戦に投入させなければならない。たとえそれが、洗脳とも呼べる、彼女自身が嫌悪する行いであったとしても。
「あまりにも多くを失いすぎた私達にとって、これから取り戻すものは、失ったすべてに比べれば、あまりにも小さく、ちっぽけなものに過ぎません」
一度、現実を突きつける。しかしそれは、次なる希望を、より輝かせるための演出に過ぎない。全ては台本のある演出であり、人々を死地に気持ちよく送りだすための、醜悪な茶番だ。それでも、これを為さねば未来はない。躊躇は、許されない。
「しかし、その取り返したちっぽけな一つが、始まりとなるのです! この飛谷ノは、私達の新たな故郷となり、次の一つを、そのまた次の一つを取り戻していくための、すべての始まりの場所となるのです!」
灯架は、強く握り締めた拳を、自らの心臓の上に当てる。この言葉が、心の底からの真摯な叫びであると、人々に印象付けるために。
「私達は勝たねばなりません! 勝利に至るまでの痛みも、怒りも、悲しみも、未来をこじ開ける力へと変えるのです!」
そこで、灯架は一度言葉を切り、隣に立つ漆黒のバイオアーマー――伯廊流阿へと視線を向けた。聴衆の視線も、自然とそちらへ集まる。
「わたくしたちの多くは、あの絶望の中で、彼の圧倒的な力に希望を見出し、彼を魔王と呼びました。世界を覆う理不尽を、たった一人で覆すかのようなその力は、物語に登場する魔王を想起させたことでしょう。そのお気持ちは、当然のものです」
彼女は、聴衆の感情を一度受け止めて肯定する。
灯架も思った事はある。彼が本物の魔王で、この理不尽な世界をすべてひっくり返せる存在であったら、と。全ての責任を彼に押し付けて、楽になってしまえたら、と。だが、それは自分の背負うべき荷物を、流阿に押し付けているだけだ。
他人の人生を背負って歩ける人間などいない。そんなことをすれば、背負い切れない荷物に押し潰されるのがオチだ。飛谷ノ奪還のための条件が最も揃っているこの状況で、そんな不確定要素を持ち込ませるわけにはいかない。なによりも、流阿をそのような状況に追い込みたくはなかった。
だから彼らには、自分の荷物を自分で背負ってもらう。
「ですが、皆さん。その鎧の下にある、彼の素顔を想像してください。彼は一人の人間です。誰かを守るたびに傷つき、それでもなお立ち向かい続ける、一人の人間に過ぎません。彼は、天から降ってきた偶像でも、物語の中の魔王でもない。私達と同じように、多くを失い、それでも明日を諦めきれずに立ち上がった、たった一人の人間なのです」
民衆の中から、魔王という偶像が消えていく。
「私達は、魔王の偶像に祈りを捧げる信奉者であってはいけません。私達が魔王と呼んだ彼の横に立つ戦友でなければならないのです!」
偶像に寄りかかり、思考を停止する惰弱な民を背負う余裕など、今の世界にはないのだ。彼女は、彼らを自立した兵士へと変える必要があった。それが彼らが流阿に押し付けようとしていた、自分達が元々背負うハズだった荷物なのだから。
「魔王は必要ありません! わたくしたちに必要なのは、共に痛みを分かち合い、共に戦い、私と共に歩き、進むべき道を指差して教えてくれるヒーローなのです!」
彼女の言葉に、民衆の目に熱が宿り、やがてそれは狂気にも似た光へと変わっていく。
「さあ、私達の先を歩く彼の背中を追うのです! 顔を上げなさい! 武器を取りなさい! そして彼の横に並び立ち、共に戦うのです!」
灯架は、民衆を後戻りできない場所へと導く。これで自分も極悪人の仲間入りだと、感じながら。
「わたくしたちの手で! 新しい未来を始める場所を! この飛谷ノを! 今、取り戻すのです!!」
彼女の演説が終わると、しばしの沈黙の後に、地鳴りのような歓声が巻き起こる。
これで、士気は十分に高まっただろうと思うと、誰にも気づかれぬよう、小さく息を吐く。
そして心の中で、隣に立つ男に目を向け心の中で呟いた──先輩は、魔王なんかよりも、ヒーローの方がずっとお似合いですよ、と。




