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壊れた世界

元々は、この前に長いエピローグがありました。しかし冗長であったため、削除させて頂きました。

 西の空が燃えるような茜色に染まり、コンクリートを焼いていた陽光もようやくその勢いを弱め始めていた。


 まとわりつくような夏の湿った風が吹き抜ける。そのたびに、廃墟と化したデパートの屋上遊園地では、壊れた観覧車が風に撫でられると、物悲しい悲鳴を上げた。


 酷い状況だ。

 砕けたコンクリート片。首だけになったメリーゴーランドの木馬。そして、あちこちに残る焼け焦げや、異常な高熱で溶けた床の痕――ここが激しい戦闘の舞台であったことは、誰の目にも明らかだった。


 その惨状の極めつけは、倉庫の鉄扉だったものだ。凄まじい衝撃で叩きつけられたのか、扉はくの字に折れ曲がり、もはやただの鉄屑と化している。その手前には、扉を歪ませた衝撃の源――筋肉質な男が気を失って転がっていた。


 僅かに呼吸で胸部は動いているが、もはや亡骸のような状態であった。そんな一人の青年が見下ろしている。


 伯廊 流阿(はくろう るあ)


 優男とも表現できる体格からは想像もつかないが、あの鉄扉を破壊し、巨漢を打ちのめした張本人だ。


 もっとも、それは彼自身の力ではない。


 流阿が軽く手を開くと、虚空からスマートフォンに似た黒いデバイスが現れる。


 ――Eclipse(エクリプス) ver.(ver.) Daedalus(ダイダロス)


 数日前、流星群と思われた厄災が世界を襲った際に手に入れた、超常の力を引き出すための鍵だ。


 流阿はエクリプスの画面に指を伸ばし、身体能力を強化するスキルを解除しようとして――ふと、その動きを止めた。


 殺気ではない。敵意でもない。ただ、そこに在るという強烈な存在感。


 視線を上げる。


 誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか一人の男が立っていた。


 そんな熱気の中、一人の男が季節外れな分厚いダウンジャケットに身を包んでいた。

 

 煤けた黒色の生地は、永い冬を越えてきたかのように擦り切れ、所々に白い綿が覗いている。深くフードを被っているため、顔は影の中に沈み、その表情はおろか、輪郭さえも曖昧模糊としていた。

 

 周囲の喧騒から隔絶された異質な存在感。男は彫像のように微動だにせず、その周囲だけ時間の流れが止まっているかのようですらある。

 

 この蒸し暑さの中で、こんな重装備をしている人間を見れば、誰もが身体を張った冗談だとしか思わないだろう。だが、汗だくになっているはずなのに、男からは一切の湿り気が感じられない。

 

 それどころか、彼の口から漏れる息は確かに白い。まるで冷気を纏っているかのように、淡いヴェールとなって空気中に消えていく。月光を浴びたような白い肌は、生きた人間というより、精巧に作られた氷像のようだ。男の周囲だけ、冬の帳が降りたかのような、現実離れした光景だった。

 

「君が勝つとは思わなかったよ」

 

 男は、白い息を混ぜながら静かに言葉を紡ぐ。

 それは丁寧で優しい口調。だが、その声にはどこか感情が欠落しているような、作り物めいた響きがある。本当に血の通った人間なのだろうか。その異様な雰囲気に、流阿は深い疑念を抱かざるを得ない。

 

「頑張ったからな」

 

 流阿の言葉に、男はどこまでも平坦な声色で応る。

 

「僕もそう思うよ。本当に頑張ったよ、君は」

 

 優しげな口調でこそあったが、やはり感情がこもっているようには感じられない。称賛の言葉に皮肉が含まれているようには聞こえないが、その無機質な響きが、逆に流阿の胸に小さな棘を刺すようだ。

 

 男の目は、フードの影からじっと流阿を見つめているが、その視線からも感情を読み取ることはできない。

 

「頑張ったご褒美に教えてくれ。飯田は仮面を使った。あの力を与えたのはお前か?」

 

 流阿は男の奥底を探るように、その凍てつくような瞳の奥にある考えを見抜こうとしていた。

 

「さて、どうだろうね」

 

 男はその言葉と共に、作り物めいた微笑を僅かに浮かべる。その笑顔に、温かさどころか、ゾッとするような寒気を感じさせた。

 

「飯田君を回収したいと言えば、君は素直に渡してくれるかい?」

「こいつは犯罪者として警察に渡す」

 

 流阿は即座に拒絶の言葉を返す。

 飯田のやった事は明白な犯罪行為だ。多くの人間を巻き込み、死にかけた人間すらいる。

 

 だが、流阿にとってそれ以上に重要なのは、飯田を野放しにすることの危険性だった。あの歪んだ感情の矛先が、いつ自分の周りの者達に向かうかわからない。それは看過できることではなかった。

 

「警察に飯田君を捕まえておく力があると思うのかい?」

 

 男は子供に諭すような、穏やかな口調での問いかける。エクリプスの存在を考えれば、その答えは分かり切っている。

 

「無理だろうな。それでも犯罪者であると社会に認めさせる事は出来る。そうなれば、コイツの情報を得やすくなる。だから回収は、その後にしてくれ」

 

 流阿は現実を理解していた。エクリプスの力を警察が完全に拘束できるとは到底思えない。だが犯罪者という烙印を押すことで、脱走した際に情報を掴みやすくなる。

 

「なるほど。それなら君と衝突せずに済みそうだ……でも、答えはNOだ」

 

 男は再びあの作り物めいた笑みを浮かべ、静かに、しかし明確に拒否の意思を示す。

 

 その瞬間──

 

 流阿は、男の心をようやく見た気がした。この一線を譲ることは、決してないという意思を。

 

 操り人形の糸が張り詰めたかのような、緊張感が二人の間に漂う。

 

 男は、白い息を微かに揺らめかせながら、指先でデバイスをなぞり、エクリプスを起動させた。

 

 その瞬間、男の身体を包むように、目に見えないほどの微細な冷気が周囲に広がったのを流阿は感じ取る。

 

 それは陽炎で歪む真夏の熱気を瞬時にねじ伏せ、生命の温もりを根こそぎ奪い去る、悪意に満ちた冬の息吹。男のフードの奥で鈍く光る瞳は、底なしの飢餓感を宿した、白く鋭利な氷の刃のように思えた。

 

 遅れることなく、流阿もエクリプスを起動する。流阿は、イカロスの翼を用いて、周囲の運動エネルギーを誘導し始める。彼に呼応するかのように、夏の生温かい空気が攻撃的な揺らぎを帯び始めた。

 

 流阿と男の間に、張り詰めた沈黙が流れ込む。まるで真空の空間に閉じ込められたかのように、互いの呼吸の音すら聞こえそうなほどの静寂。遠くで微かに聞こえていた蝉の声も、この瞬間だけは鳴りを潜めたかのように感じられた。

 

 男の目は、底知れぬ深淵のような冷たさを湛え、獲物を値踏みする肉食獣のように、流阿の全身を舐め回すように見つめている。対する流阿は、先程までの戦いによる痛みや疲労を意に介することなく、冷徹な瞳を男へと向けていた。

 

 ゆっくりと、まるで獲物を誘い込むように男が口を開く。その声は、先程までの丁寧さの奥に、確かな威圧感を孕ませていた。

 

「その体、もう限界なんじゃないかい?諦めて飯田君を渡してくれないかな」

 

 男の目は、流阿の疲労と蓄積したダメージを正確に見抜いていた。先程までの飯田との激闘、そしてその後の緊張状態の継続。事実、流阿の身体は悲鳴を上げている。

 

 だが、どうでもいい話だ。そのような言い訳に甘えるわけにはいかない。

 

「飯田の逆恨みが面倒臭そうでね。退くわけにはいかないんだよ」

 

 流阿は、静かに告げる。

 飯田をこのまま野放しにすれば、必ず報復に来る。それは疑いようのない事実だ。相手に主導権を与えれば、いつ襲われるのか怯えて過ごさなければいけなくなる、自分も、周りも──それを防ぐためには、ここで何としても飯田を確保する必要がある。

 

 男の表情は変わらないが、その奥の冷たい光が、ほんの僅かに揺らいだように感じられた。

 

 二人の間に再び沈黙が訪れる。

 それは嵐の前の静けさのような、張り詰めた空気を孕んでいた。互いに牽制し合い、相手の僅かな隙を窺う。均衡が崩れた瞬間、どちらかが仕掛けるだろう。その時、この静寂を切り裂くのを合図に、激しい戦いが始まる。


 だが身体の状態を考えれば、先手を譲るのは悪手だ。誘導した運動エネルギーを、走る速度として使おうと考えた時だった──張り詰めた静寂を切り裂くように、屋上へと続く金属製の扉がけたたましい音を立てて内側に蹴破られたのだ。

 

「動くな!警察だ!」

 

 怒号と共に、数名の警察官が屋上へと雪崩れ込んでくる。

 彼らは黒い銃器を両手に構え、流阿とその対面に立つフードの男へと一斉に冷たい銃口を向けた。

 

「そこの二人!手を上げろ!」

 

 警察官たちは息を揃えたように叫ぶ。

 彼らの視線は、力なく倒れている飯田、そしてその傍で対峙する流阿と、異様な雰囲気を纏う男の三者に注がれている。

 

 流阿は、予期せぬ警察官の登場に、内心で小さく安堵の息を吐いた。

 これで最悪の事態は避けられるかもしれない。しかし、あの男が素直に警察に従うとは到底思えず、警戒の糸を緩めるわけにはいかない。

 

「これは予想外だね。今回は君の提案を受け入れることにするよ」

 

 男は、まるで旧知の友に話しかけるような柔らかな口調でそう呟いた。その声からは、先程までの緊張感は微塵も感じられない。

 

 そして、流阿から穏やかに視線を外すと、まるで散歩でもするように屋上の端へと歩き出した。

 

「待てっ!」

 

 若い警察官の声が屋上遊園地に響く。その直後、乾いた音が銃口から放たれた。

 

 明らかに意図しない発砲だった。

 

 しかし銃口は明らかに男の背中を捉えていたが、男は背後に目が付いているかのように、ほんの僅かに首を傾けて、その銃弾を難なく回避した。

 

 そして何事もなかったかのように隣のビルの屋上に跳び移った男は、ゆっくりとこちらを振り返る。

 

「じゃあね」

 

 と、まるで近所の散歩にでも行くような軽い調子で言い残すと、そのまま夕闇に紛れるように姿を消した。

 

 突然の出来事に、他の警察官たちは完全に面食らっていた。彼らは銃を構えたまま硬直し、隣のビルの屋上から消え去った男のいた場所を呆然と見つめることしかできなかった。

 

「あの距離を跳んだ……のか?」

 

 警官の一人が小さく呟く。

 だが、その声は屋上に吹き荒れる強い風の音に掻き消され、空を切るように隣のビルへと消えた男の残像を追うばかりだった。

 

「まずは、もう一人の確保対象だ!……いない?」

 

 別の警官が辺りを見回しながら訝しんだ声を上げた。

 彼らが確保しようとしていた、もう一人の男──流阿は、フードの男が警察の目を惹きつけた一瞬の隙を見逃さなかった。彼は、警察官たちが隣のビルに意識を向けている間に、あの男とは反対側のビルへと跳び移って逃げていた。

 

 残ったのは飯田のみ。

 だが不審な男二人は去ってしまった。この事態に御津丸デパートの屋上遊園地では、警察官たちに動揺が広がっていた。

 

「くっ、とにかく飯田を確保する。逃げた男達の行方を追うのは、その後だ!」

 

 戸惑いを隠せない若い警官たちに、最も階級が上らしき人物が冷静に指示を飛ばす。

 指示に従い、警官らは手慣れた様子で飯田を拘束し、手錠をかける。続いて屋上の状況を調べ始めた。夜風が吹き抜ける屋上には、先程までの激しい戦闘の痕跡が生々しく残っていた。


 なぜ、このような損傷があるのか?景観にも分からず、彼らの間には緊張感と混乱が入り混じった異様な空気を漂わせることになる。

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