骸骨公女と呪いの王子
煌びやかなシャンデリアの下で、これでもかと華やかに着飾った優雅で高貴な人々が夜会を楽しんでいます。私はその様子を、ぶ厚いベールの下から眺めていました。
ああ、嫌だわ。
きっとまた不快な思いをする。
けれど招待された以上は参加しないわけにはいきません。
入り口まで嫌々ながらもエスコートしてくれた婚約者のヘンリックは、義務は済んだとばかりに離れていきました。今頃、いつものように他の女性とダンスを楽しんでいるのでしょう。
会場に入った途端、人々の注目がこちらへ集まるのが分かります。その目は決して好意的なものではありません。まるで誤って入り込んだ獣を見るような……異物を見る目です。
当然でしょうね。
夏だというのに長袖のドレスに厚手の手袋。しかも頭からベールを被っているのだもの。
「何だ、あの格好?この暑いのに……気でも狂っているのか?」
「しっ。あれが例の“骸骨公女”ですわよ。顔も身体も、肉がなく骨だけなんですって。だからああして、ベールで隠しているのよ」
「まあっ。お伽話に出てくる骸骨の化け物みたい。気味が悪いこと」
この場にいらっしゃるのは高貴な方々ばかりです。私をおおっぴらに指差すような下品な振る舞いはしません。だけど扇で隠した口から漏れるその声と侮蔑的な視線は、十分に感じ取れるのです。
「失礼、フロレンツィア・ベルシュタイン公爵令嬢でいらっしゃいますか」
「ええ、そうですけれど。あなたたちは?」
数人の若い男性が私へ話しかけてきました。纏っている礼服は上質な布を使用しており、パリッと皺一つありません。かなり高位の貴族なのでしょう。面識はありませんけれど。
「そのベール、暑くないのですか?」
「よろしければお預かりしますよ。是非、ご尊顔を拝したく」
彼らは名乗りもせず、ニヤニヤとしながら私を囲みました。私をからかって笑い物にしようとしているのです。
なぜ、初対面の彼らにここまでされなければならないのでしょう。
視界の隅にヘンリックの姿が映りました。その腕には、ふわふわとした髪の華奢なご令嬢が纏わりついています。あれは確か……ロザリンデ・カステル男爵令嬢でしたでしょうか。最近、彼と共にいる姿をよく見かけます。
男性たちに絡まれている私を見たヘンリックは、関わり合いになるのは御免だとばかりに背中を向けました。
ロザリンデ嬢が一瞬こちらを見て笑ったような気がします。その目に優越と侮蔑を込めて。
観衆は私へ注目しています。どういう反応を示すのか、興味津々なのでしょう。
悪意の渦に涙が出そうになります。だけど、私は誇り高きベルシュタイン公爵家の娘。人前で、無様な姿を見せるわけにはいきません。
「わたくし、貴方がたを存じ上げませんが。ああ……ベルシュタイン公爵家の人間に自らお話し掛けなさるということは、公爵家か、王族に連なるお方でしょうか?大変失礼致しました。御名をお聞かせ願えませんか」
すくっと背を伸ばしてそう答えた私に、彼らは狼狽え、顔を見合わせました。
公爵家に楯突くのがどういうことか、愚かな彼らにも分かったようです。
そそくさと退散していく男性たちを見送る私に、残念そうな人々の表情が見えました。
私が彼らの言うとおりベールを脱ぐか、あるいは狼狽え、泣きだしでもすれば。しばらくは噂話に困らないと楽しみにしていたのでしょうね。
美しく着飾った見目麗しい紳士淑女。だけどその裏は打算と悪意に満ちているのです。
……本当に、気持ちが悪い。
好奇の目に耐えられなくなった私は、会場を離れ庭園に向かいました。
木々の間からはヒソヒソと話す声が聞こえます。きっと、秘めた恋に身を焦がす恋人たちなのでしょう。
私は庭園の最奥へと進みました。
ここなら誰もいません。私は思い切ってベールと手袋を脱ぎ、ふうと息を吐きました。
露わになった手と顔は、肉が無く、骨だけが見えています。
生まれつきこのような姿だったわけではありません。幼い頃はどこにでもいる令嬢だったと思います。
あの日、私は今日のように庭園の奥へ迷い込んでいました。幼い王太子殿下の遊び相手の一人として、王宮に呼ばれていたのです。勿論、遊び相手というのは建前。将来、王太子殿下の婚約者となるであろう令嬢との相性を図るためでした。
ぎらぎらとした瞳で王太子殿下へまとわりつく令嬢たちに気圧され、私は暇を持て余していました。そもそも、王妃になんてなりたくありませんでしたから。
その場を離れた私は植えられた花々の美しさに誘われ、ふらふらと歩き回りました。そうして、とても素敵な場所を見つけたのです。
その小高い丘は雑草のような草花に囲まれていました。王宮の中であるというのに、なぜそこだけ人の手が入っていないのか……。幼い私はそんなことにまで考えが至りませんでした。
柵をくぐってその丘に座り込み、花かんむりを作ったり、てんとう虫を眺めたりしていたことまでは覚えています。
ですが急に身体が熱くなってきたのです。眩暈がして、頭もずきんずきんと痛みます。
「何、これ……」
怖くなった私は、ふらつく足でその場を離れました。ですが丘を降りたところで意識を失ってしまったようです。
いなくなった私を心配して探しに来たお父様に発見されたときには、今のような姿になっていました。
お父様は仰天したそうです。着ていたドレスと髪型で私とは分かったものの、娘の身体が骨だけになっていたのですから。
私が死んだと思い込んだお父様は、嘆きながらも私の身体を丁重に家へ持ち帰りました。
後から聞いたことですが、王宮では公爵令嬢が変死したと大騒ぎになっていたそうです。その後国王陛下によって箝口令が敷かれたため、それを知るのはあの日、王宮にいた者だけとなりましたが。
「お母様……?」
しばらくして、熱が下がった私は目を覚ましました。
私の身体にすがりついて泣いていたお母様は、驚きのあまり卒倒。お父様も呆然としながら「フロンレンツィアなのか……?」と問い掛けます。
「はい。お父様」
「本当に……生きているのか?」
お父様は慌てて医者を呼びました。
分かったことは、見た目以外はなんともないこと。会話はできるし食欲もある。歩くこともできる。至って健康。
ですがこうなった原因は分かりませんとの答えでした。
呪詛によるものかもしれない。
お父様は高名な解呪師や魔術師を呼んで私を診てもらいました。でも、誰もこの身体を戻すことはできなかったのです。
そうして、私は骸骨公女となりました。
極力人前には出ず、屋敷に籠もる日々。外出の際は、常に手袋とベールを着用するようになりました。
そうして十年ほど経ち。
公爵家の一人娘である私は、そろそろ婚約者を定めなければならなくなりました。ですが私へ求婚してくる男性はいません。
それはそうです。誰だって、骨の妻なんて欲しくありません。
お父様は方々の貴族令息を当たりました。
私の夫となる男性は公爵位を得られます。それを目当てに縁談を受けようとした方もいました。ですが私の手を取ると、「ヒッ」と叫んで逃げていくのです。
いくら手袋で隠していても、骨の感触は分かるようでした。
何人もの令息に断られ、諦めかけていたときに話を受けて下さったのが、ヘンリック・ヴァレリー伯爵令息でした。
ヘンリックは伯爵家の三男で、ふんわりカールしたアッシュグレーの髪に茶色の瞳。なかなかの美男子です。「お嬢様の事情は存じております。それでも良いと息子も言っておりますので、是非」とニコニコしながら話すヴァレリー伯爵には、なんとなく嫌な感じを覚えました。
ですが、これを逃せばもう縁談は見つからない。お父様は話を受けることにしました。
正式に婚約を交わした途端、ヘンリック様は本性を表しました。
「公爵家の跡取りになれるというからこの話を受けたんだ。お前みたいな化け物が、結婚してもらえるだけ有難いと思え」
憎悪に歪んだ顔で私を睨みつけながら、彼はそう吐き捨てます。
もとから、愛は期待していませんでした。
貴族の結婚とは政略的なもの。たとえこの姿でなくとも、愛のない夫婦はいくらでもいます。
「分かりました。でも、次の跡取りとなる男子だけは設けて下さいませ」
「骸骨女を抱けってのか?冗談じゃない。側室を迎えるから、子はそっちに産ませるつもりだ」
「我がベルシュタイン家の血筋でなければ、跡取りにはなれませんわ」
「なら、分家筋から女を見繕ってこい。そのくらいお前にだってできるだろう」
屈辱的な言い分に呆然とする私を置いて、ヘンリックは帰って行きました。
彼は一度だって我が家へ会いに来たことも、贈り物をしてきたこともありません。夜会へは同伴しますが、入り口まで形だけのエスコートをした後は去っていくのです。――今日のように。
「……綺麗だわ」
煌々と明かりの灯っていた建屋と違って、薄暗いここは空の星がよく見えました。頭上に広がる満天の星が煌めいて、言葉に出来ないほどの美しさです。
かすかに音楽が聞こえます。会場では紳士淑女が踊っていることでしょう。
私は一人、音に合わせて踊り出しました。
ステップを踏むたびに、足下の草がかさりと音を立てます。
私は誰かと踊ったことはありません。
ダンスを教えてくれた家庭教師ですら、私の手を取ると怯えて手を引っ込めるのです。
平気だと、ずっと自分に言い聞かせてきました。
だけど……本当は、私だって誰かに愛されたい。
それが無理だとしても。せめて一度くらい、誰かと踊ってみたい。
私の手を取って、私だけを見てくれる誰かと。
どのくらいの時間が経ったでしょう。我を忘れて踊っていた私の手に突然、大きな手が重なりました。
「誰!?」
見知らぬ男性が私の手を取っています。暗がりで顔はよく見えません。長身ですらりとした体躯であることだけは、分かりました。
「続けて」
濡れたように光る眼で見つめながら、彼がそう囁きます。
……きっとこの方も、骨の手を見れば悲鳴を上げるに違いない。
冷やかしならやめて。放っておいて。
ですが、彼は全く気にせず踊り出しました。
二人で軽やかにステップを踏みます。誰かに手を取られて踊る楽しさに、私は夢中になりました。
夢のようだわ。
夜空の星がきらきらと瞬いて、今にも落ちてきそう。
「……!?」
気づくと、私の身体がまばゆい光に囲まれていました。
本当に、星の光が落ちてきている……!?
違う。
私自身が光っているのだわ。
そして徐々に、徐々に身体が元に戻ってゆきました。
腕、足、お腹……肌と肉を伴った、普通の身体に。
最後に戻った顔へ手を当てて、私は「これはいったい……!?」と呟きました。
だって、訳が分からないもの。
「ようやく呪いが解けたようだ」
「呪い……?どういうことですの?」
「その姿で会場へ戻ったら、騒ぎになる。このまま帰った方がいいね」
彼は私の問いに答えることなく、出口に用意させた馬車へと私を乗せました。
「あの、せめて貴方のお名前を」
「また会えるよ」
彼はそう仰って微笑むだけ。
走り出した馬車から顔を出してのぞきましたが、あの方の姿はもう見えませんでした。
「フロレンツィア!フロレンツィアなのか!?どうしたんだ、その姿は……」
帰宅した私を見た両親は仰天しました。
「夜会でお会いした方が、呪いを解いて下さったの」と答えると、二人は私を抱きしめ、おいおいと泣き出しました。
「ああ、私の可愛いフロレンツィア!もっと顔を見せてちょうだい」
「本当に、治ったんだな。信じられない」
私が幼い頃から仕えている執事や侍女たちも、「お嬢様……良かった……」と涙ぐんでいます。
「お父様。私、あの方にお礼を言いたいわ。でもお名前を聞きそびれてしまって」
ようやく泣きやんだ父に、私はそう伝えました。
「夜会の参加者に当たってみよう。きっと、高名な呪術師に違いない」
「どなたか存じませんが、娘を治してくれた恩人ですもの。出来得る限りの御礼をしなくては」
あの人が誰なのか知りたい。もう一度、お会いしたい。
……そうだわ。もう一つ、大事なことがある。
「お父様、お母様。お願いがあるの。ヘンリック様との婚約を解消して下さい」
この姿に戻ったからには、横暴な婚約者など必要ありません。お父様はすぐに、ヴァレリー伯爵に婚約解消を申し出ました。
伯爵は散々ごねたようですが、お父様はヘンリックの私に対する侮辱的な態度を伝え、彼の有責としない代わりに婚約解消を呑ませました。
「ヘンリック君の態度は前々から腹に据えかねていた。ヴァレリー伯爵に苦言を呈したこともあるが、他に貰い手が無いんでしょう?などと抜かされてな。伯爵家の分際で、足下を見おって!」
「私たちのフロレンツィアはこんなに美しいのですもの。他にいくらでも良い縁談がありますわ」
「そうだな、フロレンツィアはお前に似て美人だからな」
「まあ、貴方ったら」
両親は上機嫌で盛り上がっています。
正直に言いますと、私はあまり次の縁談に乗り気ではありませんでした。ヘンリック様だけでなく、様々な男性に何度も容姿を揶揄われた私は、すっかり殿方を信じられなくなっていたのです。
我が国では女公爵が認められておりません。ですから婿をとり、公爵位を継いで頂くしかないのは分かっているのですが……。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
それからしばらく経った頃、私はお父様に呼ばれました。いよいよ次の縁談が見つかったのかもしれません。暗澹たる気持ちで父のもとへ向かった私を待っていたのは、深刻な顔をした両親でした。
「実は、ライナルト殿下がお前に会いたいと伝えて来られたんだ」
第三王子ライナルト殿下。
お会いしたことはありませんが、その噂は耳にしています。
殿下は国王陛下の側室だったエルフリーデ様の御子様です。エルフリーデ様は小国ヘルシェのご出身で、濃い色の肌に流れるような黒髪と華奢な身体、鈴の鳴るような声の大変に美しい方だったと聞いております。
なんでも外遊でヘルシェを訪れた陛下に見初められ、かなり強引に連れて来られたとか。
後宮に入ったエルフリーデ様は陛下の寵愛を一身に受けました。
当然、正妃様や他の側室たちは面白くありません。エルフリーデ様は、彼女たちから執拗な嫌がらせを受けたそうです。
国力のある我が国と違って、ヘルシェは小国。しかも伯爵家のご出身であったエルフリーデ様にろくな後ろ盾がないことも、嫌がらせを増長させた一因でしょう。
ライナルト殿下をお産みになった後、それはますます酷くなりました。
服を汚されるくらいならマシな方。部屋にネズミの死骸を放り込まれる、食事に虫を入れられる……。
これらの行為は正妃様が率先して行っており、側室たちはそれに便乗したとも言われています。3番目とはいえ、男子を産んだ寵姫に対する恐れもあったのかもしれません。
エルフリーデ様はどんどん弱っていきました。母国へ帰りたいと、何度も呟かれていたそうです。
心配した陛下は頻繁に彼女のもとを訪れましたが、それは嫌がらせをますます加速させるだけでした。そうして病床に伏した彼女は、ついに身罷られました。
噂では、死の間際に血を吐き「美醜に囚われて私を妬み、害した者たちよ。私はそなたたちを久遠に許さぬ。滅ぶがいい!」と叫んだとも言われています。
彼女が亡くなってすぐに、正妃様が病に倒れました。高熱に顔は膨れ上がり、医師の処方も全く効果はなく。一ヶ月の間、苦しみ抜いた後お亡くなりになりました。最後は見るも無惨なお姿だったそうです。
さらに側室たちも同じ病に冒され、次々と亡くなりました。それは皆、エルフリーデ様に対して嫌がらせを行っていた方々だったそうです。
無事だったのは、嫌がらせへ荷担しなかった側室だけでした。
実はヘルシェは呪術師の多い地域で、エルフリーデ様も呪術を得意としていたらしいのです。そのため、正妃様や側室たちはエルフリーデ様が死の間際に放った呪いに殺されたのだ、との噂が広がりました。
その真偽は私には分かりません。ですが、可哀想なのは残されたライナルト王子でした。
幼くして母親を亡くし、周囲からは呪いを振りまいた女の息子として腫れ物のような扱いを受ける――。
そのせいか、ライナルト殿下は粗暴な振る舞いが見られるようになったそうです。
侍従や講師など、彼を諫めようとした者もいました。ですが彼らも次々といなくなりました。噂では正妃様と同じような病に罹り、亡くなってしまったのだとか。
貴族たちは陰で彼をこう呼びます。『呪いの王子』と。
ですが、なぜ今までお会いしたこともない殿下が私へ……?
「ライナルト殿下はヘルシェへご留学なさっていたはずでは?」
「先日戻って来られたのだ。肉体を取り戻したフロレンツィアの美貌を、どこかからお耳になさったのかもしれん」
「殿下は乱暴な方という噂ではありませんの?せっかくあのヴァレリー伯爵令息と縁が切れたというのに、またそのような……。フロレンツィアが可哀想ですわ」
「だが、相手は王族だ。殿下がフロレンツィアを望んだら、断るに断れない」
粗暴な男性。本当にそうなのでしょうか。
何の罪もないのに、化け物のように扱われる。
……私と同じではありませんか。
噂通りの方ではない可能性だってあると思います。私も、散々『化け物女』と揶揄されたのですから。
「ベルシュタイン公爵、お招きありがとう。フロレンツィア、身体は問題ないかい?」
「貴方は……!」
我が家へ訪れたライナルト殿下を見た私は驚きました。彼はあの、庭園でお会いした方だったのです。
つやつやとした黒髪をなびかせ、同じく黒い瞳は濡れたように光っており、鼻筋はすっきりとしています。あのときは暗がりでよく見えませんでしたが、明るいところで見ると大変に煌々しい方でした。お美しかったエルフリーデ様に似ておられるのでしょう。
両親や私に対して礼儀正しく挨拶なさる殿下は、粗暴などとは程遠いご様子でした。
「フロレンツィア。ライナルト殿下と面識があるのか?」
「お父様。私の身体を治して下さったのはこの方……いえ、殿下なのです」
「なんと!」
両親は頭が地面に付きそうなくらい体を折り曲げて感謝を示しましたが、殿下がそれを押しとどめました。
「礼には及ばない。フロレンツィア嬢があのような姿になってしまったのは、俺の母のせいでもあるのだから」
殿下は、私たちの知らない過去を話して下さいました。エルフリーデ様が亡くなられた経緯と、彼女の残した呪いのことを。
「母が後宮で嫌がらせを受けていたというのは、あなた方も知っているだろう」
「はい。亡き正妃様を初め、側室の方々が寵を受けるエルフリーデ様を妬んでいたと」
「では、母が毒殺されたということも?」
「ええっ!?」
私は勿論、両親も声を上げました。王室からは病死という発表をされていましたし、嫌がらせを苦にして自死という噂はありましたが毒殺などという話は聞いたことがありません。
「度重なる嫌がらせで気鬱になってはいたものの、母の身体は健康だったんだ。だがある時から変な咳をするようになって……。ついには血を吐いてしまった」
分からないようにちょっとずつ、ちょっとずつ毒を入れられたのではないか。そう殿下は仰いました。
気鬱のせいで弱っていると周囲は思っていたため、医師を呼んだときには既に起きられないほどにエルフリーデ様は衰弱していたそうです。国王陛下はとても心配なさり、高名な医師を呼び寄せ、滋養のつく食べ物を他国から取り寄せました。ですがその甲斐もなく、エルフリーデ様は亡くなられました。
毒が原因かもしれないと医師が言いましたが、今さらそれを証明する術はありませんでした。
亡くなる直前、エルフリーデ様はライナルト殿下を枕元に呼んでこう仰ったそうです。
『ライナルト……ごめんなさい。貴方を一人にしてしまうわね。私はこんな事になってしまったけれど、せめて貴方だけは……正しく貴方自身を愛してくれる人と添い遂げて欲しいわ。それまでは、私が貴方を守るから』
エルフリーデ様の亡骸は正妃さまが嫌がられたため王家の墓地へは埋葬されず、少し離れたところにぽつんと葬られたそうです。
ひっそりと葬儀が終わった数日後、その墓のそばで数人の男の死体が発見されました。彼らは外傷こそありませんでしたが、身体が腫れ上がり、苦悶に満ちた顔だったそうです。踏み荒らされていた様子から、男たちはエルフリーデ様の墓を荒そうとしたのではないかということでした。
そして正妃様、次は側室の方々も……。同じ様な病気を発症されたのです。
正妃様は病床で「なぜ私が!やっとあの女を葬ったのに……。ああっ憎い!どこまでも私の邪魔をするあの女め!」と叫ばれていたそうです。
墓を荒らすように命じたのは正妃様だったのかもしれません。
毒を盛ったばかりか、亡き骸まで辱めようと……。正妃様は淑女の鑑の如き立派な女性だったとも聞いておりますが、嫉妬とはそこまで人を変えるものなのでしょうか。
「残された俺を、周りは遠巻きにしていたが……。中には、辛く当たってくる者もいたんだ」
正妃様に仕えていた使用人たちや彼女の縁者は、ライナルト殿下を目の敵にしていました。正妃様が亡くなったのは、彼のせいではないのに……八つ当たりだったのでしょう。殿下が周囲から避けられているのをいいことに、散々嫌がらせをしてきたそうです。
正妃様の親戚でもあった講師に、躾だと言われひどく叩かれたこともあったそうです。
「そんな彼らも、病に罹っていなくなったけれどね。ようやく静かになった頃には、俺の周りには誰もいなくなってしまった。俺は両親を恨んだよ。父が母をこの国へ連れて来なければ、いやそもそも母が美しくなければ、俺はこんな目に遭わなかったのだから」
むしゃくしゃして、物に当たることもあったそうです。彼が粗暴だという噂は、この辺りが尾ひれをつけて広がったのでしょう。
「……そんな中、俺はある噂を聞いた。母の墓のそばで、呪いに冒された令嬢がいると」
そうです。
私があの日迷い込んだのは、エルフリーデ様の墓所だったのです。
まさか、あの骨の姿も彼女の呪いだった?
「でも、呪いにかかった者は、みな病で亡くなっておられるのですよね?私は死んではおりませんわ」
「それはおそらく、君に悪意がなかったからだろう。だがあの墓所は強力な呪いがかけられている。幼い君はそれに中てられたのだと思う。無関係の君を巻き込んでしまって、本当に申し訳なく思っている」
「頭をお上げください、ライナルト殿下。そもそも私が立ち入り禁止の墓所に入り込んだことが原因です。それに殿下のおかげで、こうやって元の姿に戻れたのですから」
「娘の言うとおりです。それに失礼ながら、母君の呪いは殿下のせいではないでしょう。殿下も被害者かと」
「ありがとう、ベルシュタイン公爵。……フロレンツィア。俺は何度か、君を見かけた。無礼な奴らに囲まれていた君を、助けに行こうとしたこともある。だけど君はいつだって、背筋を伸ばして言い返していた。その凛とした姿を、本当に美しいと思ったんだ」
信じられませんでした。
殿下は、あの醜い骨の姿の私を、美しいと言って下さったのです。
「同時に、腐っていた自分が恥ずかしくなった。母の呪いに侵されながらも、君はしっかりと立っていたのだから。俺は呪術を学び、呪いを解く方法を探すことにした。だが独学では限界がある。そこで留学という形で母の祖国であるヘルシェへ渡り、本格的に呪術を学んだ」
そうしてようやく解呪法を見つけだし、この国へ戻って来られたのだそうです。
「留学先でも、君のことを忘れたことはない。呪いが解けたらすぐに会いに行こうと決めていた。まさか、あの場で会えるとは思っていなかったけれど」
ライナルト殿下は私からお父様へ視線を移し、まっすぐな瞳でこう仰いました。
「ベルシュタイン公爵。フロレンツィアを俺の妻に貰い受けたい。無論、強制はしない。どうか考えて頂けないだろうか」
王宮では今日もまた、華やかな夜会が開かれていました。入り口はそれに参加するべく訪れた紳士淑女でごった返しています。
「ライナルト殿下、ご来場でございます!」
大広間へと歩を進めるライナルト殿下と私に、皆さまの視線が集まりました。歩く私たちの一挙手一投足を、凝視されているのが分かります。
「ライナルト殿下って、あの『呪いの王子』ですわよね?あんなお美しい方でしたの?」
「隣のご令嬢はどなただろう。あのように麗しい女性ならば評判になるはずだが」
そんなささやき声が聞こえてきます。骨の姿でもなくベールも被ってはいないので、私とは気づかないのでしょう。
何人かの紳士が、私たちへ丁寧な挨拶をされました。殿下とは面識のある方のようです。「済まない、少し話してくる」と殿下が離れた途端、私は別の男性たちに囲まれました。
「ご令嬢、お名をお聞かせ願えないでしょうか」
「よろしければ一曲ダンスを……」
私はこっそりとため息をつきました。
いままで散々化け物とあざ笑ってきたくせに、見目が変わったとたん手の平を返すその態度には呆れるしかありません。
それに私は今、漆黒の――殿下の瞳の色のドレスを着ています。その意味が分からないのでしょうか。
ライナルト殿下はと見れば、彼もいつの間にか令嬢たちに囲まれていました。彼女たちは頬を赤らめ、一生懸命に自らをアピールしています。彼の見目に惹かれたのか、王子というお立場ゆえか、その両方か……。貴族のご令嬢ならば行儀作法を厳しく躾けられているでしょうに、そのはしたない姿には眉を顰めざるをえません。
そろそろ殿下のそばへ戻った方が良いかしらと思っていた私へ、背後から「おい!フロレンツィア!」と横柄に声をかける者がいました。
顔を見なくても分かります。元婚約者のヘンリックです。
「婚約解消の件、聞いたぞ!骸骨令嬢の分際で、ずいぶん生意気になったもんだな。化け物のお前と婚約してやった恩を忘れたのか?」
「まあヘンリック様、そのような言い方をしてはフロレンツィア様がおかわいそうですわ」
「ああ、本当に優しいね、ロザリンデは。おおかた、彼女との仲を嫉妬したんだろう。見た目も醜悪なら中身も醜悪なのだな、お前は!」
私はくるりと後ろを向きました。
そこにはヘンリックと、彼の腕へこれ見よがしに腕を絡ませたカステル男爵令嬢がいました。この二人、常にくっついていないと歩けないのでしょうか。
「父上もお怒りだ。今からでも婚約破棄を取り消して下さいと謝りに来い!そうだな、土下座すれば復縁してやらなくもな……」
振り向いた私を見たヘンリック様は言葉を失いました。ぽかんと惚けた顔で、頬は赤くなっています。
「あ、あの。大変失礼しました、ご令嬢。人違いを致しました」
「間違っておりませんわ、ヘンリック様、いえ、ヴァレリー伯爵令息。私はフロレンツィアです」
「「は!?」」
二人が同時に叫びます。あらあら、仲のよろしいこと。
「嘘よ!フロレンツィアは醜い骸骨女のはずでしょう?あんた、誰よ!」
「ですからフロレンツィア・ベルシュタインですわ。呪いが解けて、元の姿に戻りましたの」
会場中が一斉にざわつきました。
「嘘だろう!?」「本当にベルシュタイン公爵令嬢なの?」「あんなに美しい女性だったのか」などという声が聞こえてきます。
「そうだったのか……。フロレンツィア、婚約を結び直そう!君はロザリンデに嫉妬して拗ねていたんだろう?何だったら、彼女とは別れるから」
「何ですって!公爵になったら彼女を追い出して、私を正夫人にしてくれるって言ったじゃない!」
「うるさいな!お前より彼女の方が何倍も美しいじゃないか。その上、公爵令嬢なんだ。比べるのも烏滸がましいだろ」
ギャンギャンと騒がしい声を上げて、二人は喧嘩を始めました。居並ぶ貴族たちが白い目で眺めているのも気づかないようです。
ああ、なんて醜いのでしょう。
彼らだけではありません。私を骸骨女と指差してあざ笑ったくせに、この姿を見た途端に態度を変える方たちもです。
私にはあなた方のほうが、よほど醜悪な化け物に見えますわ。
「騒がしいな」
令嬢たちを振り切ったのか、戻って来られたライナルト様が私の肩を抱き寄せました。
「何だお前は。邪魔するな!おい、俺のフロレンツィアに慣れ慣れしく……」
「彼はライナルト王子殿下です。ヴァレリー伯爵令息、不敬な物言いはお止めになった方がよろしいかと」
「第三王子殿下!?こ、これは失礼を」
私たちより後から来たヘンリックは、相手が王子殿下だと分からなかったのでしょう。青い顔で謝罪する彼と対照的に、隣のロザリンデ嬢は目を輝かせ、うっとりとライナルト様を眺めています。
「ライナルト様!わたくしカステル男爵家のロザリンデと申します。お目にかかれて光栄で……」
しなを作り上目遣いに甘い声で話しかける彼女は、ライナルト様の腕に触れようとしました。
あまりに失礼な態度に、眩暈がしそうです。王子殿下を許しもなく名前呼び、しかも身体へ触れようとするなど。貴族令嬢の振る舞いとはとても思えません。
ライナルト様は嫌そうにロザリンデ様の手を振り払いました。
「無礼な。お前に名で呼ぶことを許したか?俺を王子と知っていてその振る舞い、不敬罪で斬り捨ててもよいのだぞ」
彼女は呆然とした後、顔を怒りに歪めてぷるぷると震えています。
美しい彼女は、今まで殿方にそのような態度を取られたことはないのでしょうね。
ライナルト様はそれに構うことなく、今度はヘンリックの方を向きました。
「ヴァレリー伯爵令息。フロレンツィアは俺の婚約者となった。今後、付き纏うのは止めてもらおう」
そうなのです。私はライナルト様の求婚を受けることに決め、先日国王陛下からもお許しを頂きました。今日の夜会は、私たちのお披露目も兼ねているのです。
固唾をのんで見守っていた観衆から、驚きの声が上がりました。ライナルト様を狙っていたであろう令嬢たちは悔しそうな表情をしています。
「そんな……フロレンツィアが王子妃だって!?」
「嘘でしょ。そんな話聞いてないわ!」
「先日決まったばかりでね。この後、婚約を発表することになっている。ヴァレリー伯爵令息には残念なことだろうが、彼女の事は諦めてくれたまえ。……いや、君にはそこのロザリンデ嬢がいるんだったな。側室にしてでも娶るつもりだったのだろう?もう邪魔者はいないのだから、好きなだけ真の愛を貫くといい」
晴れ渡った空の下で、美しい花々が風にそよいでいます。私はライナルト様と共に、エルフリーデ様のお墓を訪れていました。
呪いが解けたお墓は人が立ち入れるようになり、雑草は抜かれ、立派な墓石も置かれました。彼女を今でも想う国王陛下のお心遣いでしょう。
そのお心があるのなら、もう少しライナルト様の境遇を改善するべきだったのでは?と考えなくもないですが。
陛下も妻数人を一度に喪い、息子へ心を配る余裕がなかったのかもしれませんね。
あの後、ヘンリックはロザリンデ嬢と別れたそうです。
伯爵家の三男である彼は、いずれかの家へ婿入りしなければ貴族ではいられません。ロザリンデ様には嫡男である兄君がいらっしゃいますから、婿入り相手にはならないと判断したのでしょう。
新しい婿入り先はなかなか見つからないようです。夜会の場であのような醜態をさらし、あまつさえ王子殿下に無礼を働いたのですもの。彼を婿にしようなどという奇特な家はないのでしょう。
それはロザリンデ様も同じ。どこからも縁談を断られ、裕福な平民の商人に嫁がされそうになっているらしいです。そのお相手、横暴なために前の奥様に逃げられた男性らしいですけど。
なぜそんなに詳しく知っているかと言いますと、王子殿下に取りなしてくれと我が家に泣きついてきた二人がべらべらと喋っていたからです。
それを私に頼んでどうしようというのでしょうね。評判が下がったのは自分たちのせいですのに。
怒ったお父様が使用人に命じて、門外へ放り出しました。外で泣き叫んでいたようですが、その後どうなったかは存じません。
私の知ったことではありませんもの。
国王陛下とお父様の話し合いで、ライナルト様は臣籍降下し、我が家へ婿入りすることに決まりました。ベルシュタイン公爵となるべく、今は領地のことなどをお父様から教わっているようです。
殿下は優秀なので教え甲斐があるとお父様が仰っておりましたわ。私も彼をお支えするべく、公爵夫人の心得を一から学び直しているところです。
「母の墓参りに同行してくれてありがとう。断られるかと思っていた」
「なぜですの?夫となる方の母君のお墓に詣でるのは、当然のことですわ」
「……君は、母に思うところはないのかい?何の関係も無いのに呪いに巻き込まれて、長年辛い思いをしたのだから」
確かに、辛くなかったと言えば嘘になります。
若さと美しさをこれでもかと見せつける令嬢たちを横目にしながら、醜い骨の姿に耐えてきたのですから。
ですが、こうも思うのです。
私が普通の令嬢であったなら、ライナルト様とは出会えなかったかもしれません。いえ、出会っていたとしても今のような関係にはならなかったでしょう。そして私の見た目や、あるいは公爵位が目当ての男性と結婚していたでしょうね。
「いいえ。だって私があの姿になったからこそ、貴方と愛し合うことができたのですもの」
彼だけが私を見てくれた。
骨の姿であろうがなかろうが、真の私を愛してくれた。
それに、ライナルト様だってそうです。
母君ゆずりのお美しいお姿。彼の見目と王子という地位に惹かれた高位の令嬢か、どこかの姫君とご結婚なさっていたでしょう。
エルフリーデ様の「貴方を守る」というお言葉。
それはライナルト様を害する者たちを排除しただけではありません。
彼自身を真に愛してくれる相手が見つかるまで、呪いという盾で彼を守っていたのではないでしょうか。
「だから、ライナルト様。母君が残したのはきっと呪いではなく――祝福だったのですわ」