その三十
あの日から丁度、三ヶ月ぐらい経っただろうか。
街は本格的に寒さを強め、街行く人々は
皆んな吐く息を白くさせ凍える身体を少しでも
暖めようと早歩きで去って行く者や
手を口元に持っていき必死に息を吹きかける者達で
街は溢れていた。無論、私もその内の一人だった。
大阪へ戻ってからは、つい休み過ぎたせいで
仕事が山のように溜まっており
悲しみに暮れる暇さえ与えられなかった。
けれども、この時の私にとっては
暇が無い事は都合が良かったのかも知れない。
それから一ヶ月過ぎたぐらいで漸く落ち着き
少し余裕の出て来た私が頭に浮かべたのは
やはり京子の存在だった。更に一ヶ月が経った
二ヶ月目にして私は迷う事なく再び京子を訪ねて
あの地へ向かったのだった。だが、旅館を訪ねても
そこにはもう、京子の姿はなかった。
悲しい、と思うよりも不思議でならなかった。
もやもやした気分のまま案内された部屋に居ると
以前居たおばさんが茶を持って私の部屋に来た。
私の顔を見るなり大変喜んでくれたが
正直な所、私はそれどころではなかった。
だが、会話を続ける中でぽつりと
こんな事を言い出した。
「うちもね、色々と大変だったから。
いつまでもね、くよくよはしていられないね。」
「何かあったんですか?」
「あら、知らないの。先日ね
うちの従業員が亡くなったの。
ニュースにもなってね。」
詳しく話を聞くと先日この旅館の
従業員の女性が海で浮いている所を
観光客によって発見され死亡が確認された。
そして、遺書なども見つかった事から
自殺とされたらしい。
大阪に戻ってから忙しさのあまり
テレビやニュースなんて殆ど見ていなかった。
頭が真っ白とはまさにこの事だった。
おばさんは少し沈黙した後に
「ごめんなさいね。暗い話して。
まぁ、ゆっくりしていってよ」と部屋を後にした。
私は呆然と寂しい部屋で一人立ち尽くし
その場から動けなくなってしまった。
「誰」を聞かなかったのはきっと
受け入れられないと言うよりも「誰」を聞かなくても
私は一瞬にして悟ってしまったからだろう。
ふと、窓の外を見ると以前と部屋は違ったが
隣の部屋なので景色は殆ど変わらなかった。
ここからも海がよく見える。
季節が変わり寒さが増したせいか私には
どんよりとして、天気はいいが
決して青色には映らなかった。
次に部屋の中を見渡した。
全て灰色にしか見えなかった。
そして、京子との記憶をも辿った。
やはり全ての記憶に色は塗られてなかった。
不意に外に目をやると風は強さを増し
波は先程よりも勢いを増している様に見えた。
自然と身体は動き窓の方へと吸い寄せられ
ガラスに手をあて外の様子を静かに見つめた。
数ヶ月しか経っていない筈なのに
あまりにもここから見る景色が懐かしくて
一気に歳をとった気分だ。
椅子に腰を下ろし煙草を吸いながら
心を落ち着かせこれを吸い終えたら
会いに行こうと決めた。
短くなった煙草を灰皿に押し付けて
外に飛び出した私は歩き慣れた道を辿って
海にやって来た。外に出てからすぐに
指先は冷たくなり感覚を失い羽織っているコートの
ポケットに突っ込んでどうにか寒さを耐えようとした。辺りは薄暗く灰色の世界が広がる中を
歩きながら以前見た早朝の景色と重ねていた。
この寒さなので当然私以外の人の気配はなく
また一人、取り残された気分だった。
暫く海辺を歩いていると灰色の世界に
小さな色が現れ始めた。近づいて見てみると
その正体は幾つかの花束だった。
その場でしゃがみ込んでとりあえず手を合わせ
去り際に「お前は本当に意地悪な女だよ」と
穏やかな声で挨拶して直ぐに帰って来た。
旅館の玄関に着くとさっきのおばさんが
「あらあら、こんなに寒いのにどちらに?」
「ちょっと散歩に」
「冷えたでしょう?お茶でも淹れましょう」
「有難うございます。」
部屋に戻りコートをかけて
椅子に腰掛けていると茶が運ばれて来た。
冷え切った身体を温める為に湯呑みを両手で持ち
ちびちびと茶を飲んだ。
その様子を横で見ていたおばさんが
「どう?温まるでしょう?」
「ええ、ホッとします。」
「風邪でも引いたら大変だからね」
「実は以前来た時風を引いてしまったんです」
「ははは、あらそうだったの?」
自然と話が弾み話し込んでいたが
一つだけ聞いておきたい事があった。
それは、佳代の事だった。おばさんに聞くと
佳代は妊娠が発覚して私が大阪に帰ってから
直ぐに此処をやめてしまったらしい。
「良い子だったから辞めると聞いて寂しかったね。
相手とは別れて一人で大変だろうしね。」
「別れて?結婚したんじゃないんですか?」
「それがね、できちゃったんだけど
結婚もする前でね別れちゃったんだって。
相手は知らないけど、きっと逃げたんだろうね?」
「そうだったんですか。」
「そう言えば佳代ちゃんと知り合いだったわよね?」
「ええ、でも顔見知り程度で」
「あら?そうなの?」 「はい」
その辺りで会話は止まりおばさんは
自分の仕事に戻って行った。




