その二十七
日の光を浴びた海の水面は何処までも
キラキラと輝き、朝と夜とではこんなにも
違う一面を見せるものかと思い
眺めながらゆっくりと歩みを進め旅館に戻った。
部屋に向かい廊下を歩いていると後ろから
声をかけられ、振り返ると朝食を運ぶ佳代だった。
「おはよう。丁度部屋に行こうと思っていたの。」
「おはよう。」
二人で部屋に入り佳代は運んできた
朝食をテーブルの上に並べながら
「お散歩?少し寒かったんじゃない?」
「うん、日が登れば気にならないんだけどね」
「何処に行ってたの?」
「海だよ。朝はやっぱり冷えるね」
「ハハハ、また海に行ったの?
ひでちゃんそんなに海が好きだったっけ」
「ハハハ、近くに海しかないからさ。」
他愛もない会話で私達二人は実に
穏やかな朝の時間を過ごしていた。
だが、私には決して言えない大きな隠し事を
この可愛い可愛い女にしてしまっているのだ。
明日の朝、私がこの地を去るまでに
はっきりと心を決めないといけない訳だが
当然すぐに決め切れる事でもなくて
佳代との穏やかな時間も会話も心の底から
楽しめなくなっていた。
あの女の事が好きなのは分かってはいる。
けれども、本当に幸せになれるのは
佳代と居る事のような気がしてならない。
「ひでちゃん、ひでちゃん、灰が!」
「あっ、」
佳代はテーブルに置いていた布巾を持って
私の元へ近づき着物に散った灰を丁寧に
拭き取ってくれた。
「もう、何ぼんやりしているの?」
「ああ、ごめん。ありがとう。」
「フフ、煙草なんてやめた方がいいのよ」
嫌な顔一つせず布巾を丁寧に畳んで
私の顔を確認すると佳代はにっこりと微笑んだ。
「冷めないうちに朝食早く食べてね」
立ち上がり背中を向けて去ろうとする
後ろ姿を見て思わず、「あのさ、」と
何か用がある訳ではなかったが
反射的に呼び止めていた。「どうしたの?」
首を傾げ私の言葉を待つ。
「あぁ、いや、明日の朝に帰るからね」
「フフ、そんな事わかってるよ?可笑しな人ね。」
パタンと扉が閉まり、一人になった私は
とりあえず飯に手をつけ始めた。
食べてる最中も、食べ終えてからも
二人の顔を交互に思い浮かべて
やっぱり決めきれないでいた。
気付けば皿はどれも空っぽになっており
どうやら味わう余裕もない程に
考え込んでいたらしい。
食器はそのままにして置いて窓際に座り
外を眺めると、辺りはすっかり太陽のお陰で
光を宿し温もりが一面を包み込んでいた。
風が止んで海も今日は大人しそうだった。
外はこんなにも穏やかなのにも関わらず
私の心は灯も落ち着きもなく荒れていた。
一時間程経ってから
コンコン、
「もう、食べ終わった?」
「うん、ご馳走様」
「伊勢海老のお味噌汁どうだった?
毎日一緒だと飽きるだろうからって
料理長がひでちゃんだけ特別にって」
「美味しかったよ」
「フフ、そりゃそうよね」
「ここの料理は何でも美味しいね」
「ハハハ、料理長にそう伝えておくわね」
佳代から言われるまで味噌汁に
伊勢海老が入っていたなんて知らなかった。
それならもっとちゃんと味わいたかったと
惜しい事をしたと思った。
食器を片す佳代は手元を見たまま
「ねぇ、ひでちゃんは明日大阪に帰るでしょ?」
「うん」
「私達うまくやっていけるかしら?」
「どうして?何か不安な事でも?」
「ううん、そうじゃないんだけどね」
あまり要領を得ない返事だった。
佳代は片付け終え手を膝にあてがったまま
視線は下に落としていた。
「何かあるなら言ったらいいよ、
怒ったりしないからさ」
「もしよ?ひでちゃんと
お別れする事になったらと思うと
初めから付き合ったりしない方がいいのかなって」
「別れるような事があるの?」
「わからないでしょ?」
「もしも、なんて言い出したらキリがないよ」
佳代の言った事に私はだめ出しをしたが
実を言うと同感だった。
心を決めようと思っていても
思いがけない一言があるだけで今の私は
簡単に心変わりしてしまうのだ。
だが、佳代にこんな事を言わせているのも全部
過去の自分の行いのせいなんだろうと思うと
強く言い返せない自分がここに居た。
佳代は「それも、そうよね」とだけ言い残して
足早に部屋から出て行ってしまった。
部屋に一人取り残された私は大の字に寝転び
天井を見つめ、今後の事を妄想してみたが
モヤモヤとするばかりなので遮断するように
目を閉じ、次に目を開けたのは
夕陽が顔を出し始めた頃だった。
立ち上がり思いっきり伸びをして窓際に座り
とりあえず煙草に火をつける。
そう言えばこの宿泊している間の殆どを
部屋でばかり過ごしてしまった事を今更になって
それだけじゃつまらないなと思い今晩で最後なので
少し海と反対方向へ散歩でも行こうと決めた。
旅館から十五分程行けば大きな公園があると
以前佳代から聞いた事を思い出した。
池もあればちょっとした花畑が広がると言う。
観光客はあまりこの場所を知らないので
人が少なく穴場らしい。
せっかく思い出したので行ってみようと思う。




