その十九
受付をしに行くと佳代じゃなく
別の女性に対応された。
歳は私と同じか少し上だろうか、
色白で黒い艶のある髪を簪できっちり後ろで纏め
着物が良く似合う女だった。切れ長の目は
私が来た事を確認すると目尻に皺を作り微笑んだ。
「あの、予約してた…」
そこから部屋を確認し案内までしてもらった。
部屋へ入るとこの間来た時と同じ木の香りが
ふんわりと優しく私を包み、
懐かしい気持ちになった。
飯や風呂の時間の説明を簡単に受けて
女は伝え終えると部屋を後にし一人になった。
思い出したかの様に立ち上がり窓際へ行くと
あの時と変わらず一面に海が広がっていた。
椅子に座り朝も早く、身体も疲れていたのか
頬杖をついてうとうとしていると
部屋の扉をノックされ入って来たのは
さっきの女だった。
「お茶をお持ちしました」
にっこり微笑んでテーブルにお菓子と一緒に
用意してくれた。
「有難うございます」
「お一人で旅行ですか?」
「ええ、そんなとこです」
「いいですね、存分にくつろいで下さい。」
そう言い残すと女は立ち上がり部屋から出ていった。
一面の海を眺めながら煙草に火をつけ
今までの事を少し自分の中で整理し始めた。
明美は私が伊勢にいる間に実家に帰る予定なので
恐らくもう会う事はなさそうだ。
話をした次の日も明美の様子は変わらなかった。
相変わらず飯も風呂も毎日用意されていたので
「何もしなくていいよ」と気の毒になり言ったら
明美から「一緒に居るうちは恋人のままで居させて」
と言われ、少し戸惑ったが好きにさせておこうと
私もいつも通りの振る舞いをした。
明美と話を終えてから私はすぐにここに来ようと
していたが、仕事の都合上そう言う訳にも行かなくて
気づけば一ヶ月近く経っていた。そして、
漸く私は今、部屋から見える海を眺めながら
自由になれた様な気がしていた。
やっと心が休まったのか、旅の疲れなのか
気づけばすっかり眠ってしまっていた。
部屋の扉を叩く音で目が覚めたが
扉まで行くのが面倒だったので座ったまま
「どうぞ」と声を掛けて思いっきり伸びをした。
「もしかして、今の今まで眠ってたのね」
柔らかい口調、聞きなれた声。
私はこの声の主を迎えに来たのだった。
「あぁ、ちょっと疲れてたのかな、」
「フフフ、ご飯お持ちしましたよ」
そう言いながら佳代は飯の準備を始めた。
この前訪れた時は会社で来て人数も多かったので
宴会場を借りて食事をしたが、やっぱり
部屋で景色を見ながら食べる方がよっぽど
良いと思った。用意された飯を見ていると
「私ね、本当は不安だったの。ひでちゃんが
本当に来るかどうか。毎日願ってたのよ?
明日は来ます様にって。」
正座して膝の上のお盆を両手で持ち
不安そうにぽつりと言った。
「遅くなってごめん、どうしても
直ぐにって訳には行かなくて。それより佳代は
大丈夫なのか?婚約してるって言ってなかった?」
「それは大丈夫なの。もう此処も出て行くって
話も片付いてるの。」言い終えた佳代の顔を見ると
明らかに曇った表情を見せた。
私は直ぐに違和感を覚えたと共に
こんなにもあっさりしていて良いものかと。
無論、複雑ではない方が都合がいいのだが
何かすっきりしないような心持ちだった。
「そっか、今日はもう会えない?」
「仕事が片付けば、部屋に来てもいいかな?」
「うん、寝ないで待ってるよ」
「フフ、また後でね。」
パタンと音を立てて扉は閉まった。
少し、不用心かなと思い一応鍵は閉めておいた。
座布団の上に身をおさめて食事を始めた。
食事を終え煙草を吹かしているとまた扉を
叩く音がした。扉を開けると佳代、ではなかった。
さっきの切れ長の目の女だった。
「お食事済んだ?お下げしようかと」
「あぁ、済みました。お願いします」
そう言うと女は部屋まで上がり食器を片し始めた。
私は立って見ているのも変な様な気がして
椅子に座り火がついた煙草を吸い直した。
「煙草、吸うのね」
「えぇ、嫌いですか?煙草は」
「いいえ、でも、何が良いのかわからないわ。」
「良いものではないですよ」
「あら、ならなぜ吸うの?」
「生活の一部、とでも言いましょうか」
「ハハハハハ、可笑しな事を言うのね」
女は白い歯を見せて大きく笑ったが
どこか品があり、決して下品な感じではなかった。
立ち上がり部屋を出ていく前に女は
「それでは、また」とだけ言い残して出て行った。
私はあるかないか分からないその言葉の意図を
女が去ってから考えていた。
暫く宿泊するつもりなので世話をする、と言う
意味なんだろうが、それ以外の意図も想像した。
この時の私は何の為に此処へ来たのか
自分の目的さえも忘れかけていた。




