その十七
「佳代、本当にすまなかった。」
「何よ、今更遅いわ」
佳代は私に腕を掴ませたまま座り込んだ。
しくしくと泣く姿を見た私は胸を締め付けられた。
「俺が悪かった、許してくれないか?」
「許すって、許しても許さないでも
どっちだっていいじゃない。もう遅いのよ」
突き放された事でまた胸は締め付けられた。
だが、泣く姿を見て私は嬉しいとも受け取った。
佳代の中で私は今もなお、何かしら
特別な存在である事は証明されたのだ。
だからと言って強くは態度に出せなかった。
そう思わせるのは全て明美の存在であった。
「どうしたら許してくれる?」
「もうどうも出来やしないわ、今更。」
「なら、言い方を変えよう。やり直さないか?」
私は屑だ。それは良く心得ている。けれど
どうしても私は佳代がほしいのだ。
もう、灯りのない毎日はうんざりなのだ。
「無理だわ、そんなの」 「なぜ?」
「私、婚約しているの。」
話を聞くと、この旅館の息子と交際しており
将来は二人でこの旅館を継ぐと。
「挨拶だってもう済ませてあるわ。
真面目でいい人でね、貴方と違って
私だけを大事にしてくれているの」
「俺が明美を選んだと本当に思っているのか?」
それを言うと佳代は顔を上げ目を見開き
その瞬間は涙を流す事さえも忘れた。
「わからないわ、秀ちゃんが考えてる事なんて。
だけど、私は酷く傷ついたの。
ずっとずっと、秀ちゃんが好きだったのよ?」
「今は?俺は今でも佳代を想うよ」
私は佳代の目を見て、これはまだ私を
男と意識している女の目に違いないと思った。
座り込んでしまった佳代の右腕を引っ張り上げ
堪らずそのままキスした。
驚いて細い鼻の穴からは少し荒い息が私の
頬を流れ、身体は強張っていたが
どちらもすぐに落ち着き、そっと目を閉じた。
私は抱いた腕を離し、
「あと少しだけ待ってくれ
片付けたい事があるから。」
佳代は何も言わなかったが顔を赤らめながら頷いた。
私は微笑み佳代に背中を向けて歩き出した。
部屋に戻ると暗い部屋から
「どっか行ってたん?」
「あぁ、悪い、起こしたか?」
「いいや、たまたま目覚めただけ」
「そっか」
「寝られへんのか?明日も早いで」
「うん、もう寝るよ」
北田の忠告を聞いて私は大人しく眠りについた。
次の日、旅館から出る時に佳代の姿は無かった。
その代わりに、佳代が言う婚約者らしき男と
あれは男の両親だろうか。丁寧に見送ってくれた。
旅館の敷地から出て振り向くも尚、頭を下げたまま
私達を送り出した。男の印象はかなり良いと思った。
高身長で爽やかな、真面目だと聞いたが
全くその通りだと思った。昨日の夜の事を思い出すと
なんだか悪い事をした様な気分になった。
旅館を出てからは有名な夫婦岩を見に行くと、
今日はそこだけ見たら明日から仕事なので
お昼過ぎの電車で帰ってくる事になっていた。
夫婦岩に着いたが、私は観光地を楽しむ程の
余裕など無かった。昨日の夜の事、そして
帰ったら明美との事を片付けなければ。
呑気にこんな所に居るよりも少しでも早く帰って
私は早く事を進めたかった。
一通り見て周り一人が「そろそろ、」と
言い出したので私達は駅に向かった。
帰りの電車は同僚達皆んな眠りについてしまったので
私は頬杖をついて窓の外を眺めていた。
果たして、明美はすんなり受け入れてくれるだろうか
佳代の名は出した方がいいのか、それとも
出さないで居た方がいいだろうか。
どこから、何から話し出せばいいだろうか。
こうして考えている間も私は明美の心より
自分の事ばかりだと気がつき、やっぱり
明美を幸せには出来ないと。
大阪に着いてから皆んなは鶴橋で呑んで帰ると
言うので私は一人家へと向かった。
大阪に着いてから連絡のやり取りがあったので
明美が家に居るのは確認済みである。
まさか、旅行先から帰ってきてすぐに
別れを切り出されるとは思ってもいないだろう。
私も行く前まではそうだった。
家に入るとソファーでくつろぐ明美の姿が。
私の顔を確認すると、パッと顔色が明るくなり
私の帰りを心から喜んだ様だった。
「おかえり、楽しかった?」
「うん、まあ」
「お土産買ってきてくれた?」
「買ってきたよ、はい」
喜ぶ声は聞くが、実際の所
明美の顔をよく見れなかった。
罪悪感。今の私を表すのにぴったりだった。
「ねぇ、どうしたの?少し疲れたんじゃない?」
「あぁ、そうかも。先にシャワー浴びてくるよ」
「お風呂溜めてこようか?」
「ううん、大丈夫」
流石に帰って来てすぐ話し出すのはと思い
とりあえず風呂へ逃げたが、本当は
自分の心の準備が整うまでの時間稼ぎだと言う事も
自分自身、よく分かっていた。




