影男(かげおとこ)③
◇
「なんだ、その顔は? 兄ちゃんに話したのか?」
「うん。」
鼻血を垂らすサムルの鼻を拭きながら尋ねた父に、サムルはわりとすっきりした顔で答えた。
「じゃあ、行くか。」
「うん。」
「守魔を森に返す」ということは、これまでにも事例があった。守魔が主の手に負えない場合もあるからだ。守魔を育てていく主が、幼い子供であるが故のことだ。
守魔を森に返すのは満月と決まっていた。精霊の力が強くなるからだそうだ。しかし、同行してくれる村の世話役に「覚悟を決めておけよ」と言われて、サムルは少し怖くなった。
先日「守魔合わせ」を行った森の奥にある広場に着いたのは、夕暮れ近くだった。檻と小屋がある広場で、精霊を呼び寄せる香を焚いてから、サムルたちは檻の中に入った。オオカミが来るかも知れない森の奥で、これから一晩過ごさなければならないからだ。
しばらくすると、香の匂いにつられて精霊たちが集まってきたようだ。
しかし、守魔合わせの時よりも精霊の姿が良く見える気がする。絵本の幽霊のように、半分透けた体が飛び回っているのが見えるのだ。
「満月の夜は、精霊の力が強くなるのさ。さあ、サムル、教えた通りにやってみな。」
世話役の男性に促されたサムルが、
「もりのせいれいに、もうしあげる。わが、しゅまのたましいを、もりにおかえしします。」
「もりのせいれいに、もうしあげる。わが、しゅまのたましいを、もりにおかえしします。」
サムルが,2回祝詞を唱えると、集まって来た精霊の動きが活発になって来た。
同時に、月明かりに照らされたサムルの影が、にゅうっと伸びた。そして伸びた影から、もこもこと黒い人型が出て来た。人型はサムルと同じくらいの背丈まで大きくなった。サムルの守魔・影男だ。
影男は一歩踏み出してサムルの影から分かれると、ひょこひょこと歩き出した。
檻の外に向かう影男は、檻の格子に体が当たったが、それをズズッとすり抜けて、精霊が飛び回る外へ出て行った。
影男が、ひょこひょこと歩いて行くと、いきなり精霊が急降下してきた。そして影男の腕を突き抜けた。影男は精霊が自分の体を突き抜けても、特に反応しなかったが、次の瞬間、サムルが驚きの声をあげた。
「影男の腕が無いよーっ!! 精霊に食べられちゃったの?!」
サムルの悲鳴によって気付いたのか、影男は慌てているように見える。黒い影だけの人型であるため、表情は分からないが、バタバタと慌てているように見える。
大股で逃げるように歩く影男に、辺りを飛び回る精霊が次から次へと急降下してくる。精霊が影男の体を突き抜けるたびに、そこに穴が開く。
見ると、影男は膝の辺りを「食われて」膝から先が無くなり、転倒したところだった。
「影男―っ!」
叫ぶと同時に、立ち上がったサムルが駆け出した。檻の内カギを開けて外へと駆け出したのだ。
「おい!サムル、待てーっ!」
追いかけようとする父を、世話役が止めた。
「待て、お前まで行くな! 少し様子を見よう。」
「で、でも、もしオオカミが来たら‥‥」
「少しの間だけだ。待て。」
父も気が気ではなかったが、
「しかし、あの臆病者のサムルが、この状況で飛び出して行くなんて‥‥」
サムルの行動力に驚いていた。
「影男―っ!」
サムルは、転倒している影男に駆け寄ると、その体に覆い被さる様にして叫んだ。
「影男を食べないで! お願いだよーっ!」
影男は、自分を庇ってくれるサムルを見上げていた(影なので顔は分からないが、サムルにはそのように見える)。
「お願い! 影男を食べないで! 友達なんだ! 僕に1人しかいない友達なんだーっ!!」
サムルが再び叫ぶと、影男はサムルにしがみ付いて来た。
「影男―っ!」
サムルも影男を抱きしめたが、異変に気付いた。
「あれ、影男、小さくなっちゃった?」
影男は、自分と同じくらいの背丈だったはずだ。それが、明らかに小さくなっている。赤ん坊くらいの大きさになってしまっているのだ。
そんな影男が自分にしがみ付いて来ると、サムルもさらに必死になった。
「影男っ、僕が守るからね!」
しかし、異変はさらに続いた。
影男が、サムルの体に中にめり込んで来ているような気がする。いや、気のせいではない。どんどんサムルの体の中に入ってくるのだ。
「ど、どうなっているの?」
驚くサムルに世話役の男が声を掛けた。
「サムル、それでいいんだ。お前から生まれた守魔が、お前の中に帰っていくんだ。森の精霊に魂を返して、小さくなっただろう。今度はお前の中に帰るんだ。」
「そうなの?‥‥おかえり、影男。」
優しく抱きしめると、影男はサムルに吸い込まれるようにスーッと消えてしまった。
「影男‥‥」
サムルが名残惜しそうに、自分の腕を抱きしめながら、名前を呼んだ時だった。
宙を漂っていた精霊が、サムルの背中からスーッとサムルの体を突き抜けた。
「うわぁ‥」
実体のない精霊が、人の体を突き抜けても実害はないが、サムルは驚いて声をあげた。
さらに驚きは続く、
精霊はサムルの体を突き抜けざまに、眩い光の玉となって、サムルの目の前で宙に浮いているのだ。
「お、おい、サムル! 守魔だぞ。影男の代わりの‥‥いや、生まれ変わりの守魔だぞ!」
世話役に言われて、サムルは掌をかざしてそれを優しく受け止めた。
すると、
ピヨピヨ‥
光の中から鳴き声が聞こえてきて、掌には暖かくてほわほわした感触が伝わってきた。
「お前‥‥ひょっとして、「ピヨ」なの?」
ピヨピヨ!
サムルの問いかけに答えるように鳴き声が帰って来た。
そして光の中から、灰色のほわほわの羽毛に包まれた、子供の頭程の大きさのヒヨコのような生き物が現れた。
「ピヨだーっ!」
喜びの声をあげるサムルに父が、
「おい、サムル、お前そいつを知っているのか?」
「うん、去年出せなかった僕の友達だよ。ピヨって言うんだ!」
「サムル。もう檻の中に入って来い。いつまでも外にいると危ないぞ。」
世話役に呼ばれて、サムルは、檻の中に入って来た。
「かわいい守魔だな。サムル。」
ピヨを優しく撫でるサムルを抱き寄せながら父が言った。
「うん。」
「サムル、その子は影男の生まれ変わりだ。お前が影男に優しくできたから、優しい、可愛い守魔に生まれ変わったんだ。大事にしろよ。」
「うん!」
サムルは元気よく返事をした。




