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影男(かげおとこ)➁

     ◇  ◇


「おい、何やってるんだ! 早く撃てーっ!!」

 目の前に迫って来た牡鹿を前にサムルの兄は、弓矢を放つのを躊躇していた。いや、父からはそう見えるのだが、本人には矢を放てない理由があった。

「ちくしょう。止めろぉ‥こんな時に‥、サムル! 止めろーっ! 」


 森に狩猟に来ていたサムルの父と兄は、いつものように守魔を使って猟をしていた。

 鷹に似た守魔を使って空から獲物を探し、父が効率よく追い立てて獲物の行く手を阻み、追い込んだところを兄が弓でとどめを刺す。といういつもの段取りで狩りを進めていた。

 いつもとほんの少し違っていたのは、追い立てた牡鹿が兄の真正面から向かってきているところくらいだ。

 それでも、いつもなら矢を放って終わるところだ。それが、なぜか兄が矢を放てないのだ。

(何をグズグズしているんだ!? ん? あいつの後ろに何か黒い影のような物が見えるが‥‥、いや、そんなことより、もう危ない!)

「何をしてるんだ! 早く撃て―っ!」 

 父が焦って声を荒げた時、


 ドガッ!

「ぎゃっ‥‥」

 兄は牡鹿に跳ね飛ばされて、宙に舞い上がってから地面に落ちた。幸い落ち葉が堆積した地面は柔らかく、致命傷には至らなかった。


    ◇


 父に連れられて薬師の所で治療を受けたが、兄のケガは、牡鹿のツノで突き上げられた時の傷と打ち身だけで済んだ。そして家に帰る途中でのこと。

 父が先程の事を問い詰めた。

「お前、牡鹿が迫っているのに、何か変なことを言ってたよな? 「サムル、止めろ」とか、あれは、矢が撃てなかったことに関係があるのか?」

 問われた兄は、虚ろな目で下を向いた。


「父ちゃん‥‥変なことを言う奴だと、思わないでくれよ‥‥」

「何だよ。いいから話してみろよ。」

 兄は、すがるような視線を父に向けてから、

「サムルが後ろからしがみ付いてきて、目隠しをしたんだ‥‥。見えなかったけど、あれはサムルだった。あいつこの頃、気持ち悪い声で笑っている時があるだろ。‥‥その笑い声がしたんだ。」


 兄は寒気がするのか、自分の二の腕を掌で擦るような仕草をしながら、

「あいつの笑い声が聞こえたと思ったら、後ろからあいつがしがみ付いてきて、目隠しをされたんだ。そしてあいつの、気持ち悪い笑い声が‥‥「うふ、うふふふ」って聞こえて‥‥、ホントなんだよ。ホントにやられたんだ!」


 必死の形相で訴える顔を見ながら、父は先刻の事を思い出していた。

(そういえばあの時、‥こいつの後ろに黒い影のような物を見た気もするが‥‥、でもそれがサムルとなにか関係があるのか?‥‥)

 そして先日のことが頭をよぎった。

(あれがあったから、そんなバカな事があるわけ無いと、言いきれないんだよな‥‥)

 サムルの友達の親たちが言っていたこと。

「息子たちが、サムルにやられたって言ってるんだよ。」そのことが。



     ◇    ◇



 翌日、父はサムルの行動を1日観察してみることにした。

 サムルは、よく裏庭にいることが多いので、裏庭の物置小屋に潜んでサムルの行動を盗み見ることにしたのだ。


(おっ、来たな。)

 程なくしてサムルがやって来た。物置小屋の軒先に置いてあった脚立に腰かけて、

「うふふふ‥‥」

 ご機嫌な様子で、一人喋り出した。


「ありがとう影男。おかげで兄ちゃんに、お仕置きをすることが出来たよ。」

(なんだって?!)

 父は驚いて声をあげそうになって、慌てて口を押えた。


「ねえ影男、今度は誰にお仕置きしようか?」

「‥‥‥」

「えっ、僕らの話を盗み聞きしているヤツがいる? それはお仕置きしなくちゃいけないね。」


 サムルは誰かと会話しているようだが、父には相手の声までは聞き取れないし、姿も見えない。

(それより、俺の事に感づかれたようだな‥‥)


 父が隠れている物置小屋には明り取り用の窓が付いており、小屋の中には日が差し込んでくる。それによって、父の影が土間に映っていた。

 その影の中から何か黒い物が、もこもこと盛り上がって来た。それは次第に人型になって、子供位の大きさになった。


「うふふふ‥‥」

 人型の影は、押し殺した声を漏らしながら、父に手を伸ばしてきた。


 バッ

 気配を察した父は、横っ飛びしてから振り返った。

「サムルか? いや、その姿は‥‥! ひょっとして、サムルの守魔なのか!?」


 その声は小屋の外まで聞こえて来て、サムルが驚いて飛び上った。

「父ちゃん?! うわーっ! 父ちゃんに見つかったーっ!」

 途端に人型の影は、崩れるように小さくなっていき、父の影の中に吸い込まれるように消えた。


   ◇ 


「なあ、サムル。誰にも言わないから、本当のことを話せ。あの影みたいなヤツは、お前の守魔なのか?」

 夕焼けが照らす裏庭で、父はサムルを問い詰めていた。


「‥そうだよ。ぼ、僕の守魔だよ。」

 サムルは下を向いて答えた。

「あいつを使って、自分をいじめたヤツに仕返ししていたのか?」

「か、影男に相談したら、し、仕返しをしてくれたんだ‥‥」

 サムルは下を向いたままだ。


「サムル! ちゃんとこっちを向いて喋れ!」

 父に叱責されて、サムルはおずおずと顔を上げた。

「お前が頼んでやらせたんじゃないのか?」

「に、兄ちゃんを懲らしめてもらうのは‥‥頼んだ。」

「そうか、分かった。‥‥俺も守魔合わせで「お前に期待してなかった」とか言って悪かったな。せっかく守魔が出せたのに、言いづらかっただろう。」

「父ちゃん‥‥」


 父はサムルの目をまっすぐ見て、

「でも、この守魔は‥‥、お前の守魔は森に返そう。」

 静かに言った。


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