「婚約破棄したい」「それな」
「婚約破棄したい」
「それな」
私の呟きに、この国の第一王子であり婚約者のダミアンが完全同意した。
「ダミアンとキスなんてできない」
「それな」
「子作りとか死ねる」
「それな」
私たちはハッとして、お互いの顔を見やる。
「コレット」
「ダミアン」
こくんと頷いた私たちは、ガチッと手を握り合ってニヤリと笑ったのだった。
***
「というわけで、コレット・エミルフォーク公爵令嬢! 君とは婚約破棄だ!」
「ええ、承りましてよ!」
「こらこら、待て待て待てぇぇええい!!」
私たちの大立ち回りに、国王が慌てて割って入ってくる。
「何が〝というわけで〟じゃ! おぬしら、社交の場でいきなり何をぬかしとるか! 気でも狂ったか!」
「人前で婚約破棄すれば、結婚せずに済むかと思って」
「ねー」
「ねー」
「ねーじゃねーわ! 済むか!」
「済まないのか?!」
「済まねーわ!」
陛下のツッコミが冴え渡る。
あー、やっぱだめよねぇ。なんとなくそんな気はしていたけど!
「一体お互いの何が不満なんじゃ、言うてみぃ」
陛下ってまだ四十ちょいの割には、おじいちゃんみたいな喋り方するのよね。
威厳を保つために、わざとやっているんだっけ。
「コレットに不満? 不満ねぇ……ない!」
「ないのに婚約破棄!? バカなの、わしの息子?!」
「まぁまぁ陛下、そう怒らずに」
「コレット、おぬしもわしを怒らせている要因のひとつじゃからな!?」
「えー、心外〜」
「いや、気づけ?!」
頭の血管が浮いているけれど、切れちゃわないかしら? 国王様って大変よね。
「とにかく、どうして婚約破棄をしたいのか、まずは理由じゃ。コレットはダミアンの何が不満なのじゃ」
「ダミアンの? んー、強いて言うなら……す、好きって言ってくれないところ……」
「ん? 今なんと言った? ボソボソせんとはっきり言わんか」
「もう、陛下ったらわかってるくせにぃっ!」
「いやわからんわ!! ぐほっ! こら、叩くでない!!」
ああ、めっちゃくちゃ勇気出して言ったのに、どうしてわかってくれないの!
「コレット……俺、好きって言ってよかったのか……?」
やだっ、ダミアンの方に聞こえちゃってた?!
ああ、恥ずかしい……!
ダミアンは潤んだ瞳でこっちを見ていて、私は勇気を出して言葉を振り絞る。
「だってダミアンったら、一緒にいてもいつも笑い話ばかりで」
「それな」
「好きって言ってくれたら、関係も進むはずなのに」
「それな!」
ああ、胸がどくんどくん鳴ってる。
言って……くれるの? ダミアンは、本当に私のことが好きだったの?
私、いつも、不安で……。
「コレット……す、す、好きだ!!」
言った!!
「でも!!」
逆接!!
「俺はコレットと婚約破棄したい」
「それな!」
「いや待て、コレットまで同意するな! 何でそうなるんじゃああああ!!」
陛下ったら、すぐぶちキレるんだから。目の玉が半分飛び出しちゃってるわ。
「だって陛下……! 私、ダミアンとキスなんてできない!」
「それな!」
「何でじゃ! 好きなんじゃろう?!」
「好き過ぎてできない!」
「それな!」
「いや、意味がわからんのだが?!」
「陛下は不純の塊ですから!」
「それな!」
「ひい! とんだとばっちり!!!!」
ふらふらとした陛下は、それでも一瞬にして切り替えて、キリッとした目を私たちに向けた。
「わかった」
「わかってくれましたか?! じゃあ私とダミアンは晴れて婚約破棄を……」
「おぬしら、今ここでキスせい」
「それな! ……え!?」
思わず同意したダミアンが、目をおっ広げて陛下を見た。
「父上と?」
「んなわけあるか! ダミアン、お前とコレットでじゃ!」
それな! とは言えません!!
だって、ここは社交パーティーの会場。全員、私たちに大注目しているというのに!!
どうしてみんな、私たちを見ているの?? ちゃんと交流を図ってくださいな!
「父上、それはさすがに……!」
「そうです、陛下! こんなところで……」
「キスせよ。これ、国王命令」
「横暴だわ……!」
「それな……!」
ああ、なんてこと……
でも国王命令じゃ逆らえない。
「ダミアン……」
「コレット……」
ダミアンが私をじっと見ている。
まさか……本当にするつもりなの?
私、本当は憧れていた。
恋人同士がするキスに。
ダミアンとキスすることを考えると、私の胸はいつも破裂しそうになる。
ダミアンは、いつも優しかった。
王妃教育を受けて疲れている私を、笑わせては和ませてくれた。
風邪をひいた時には、うつることも気にせず毎日お見舞いに来てくれた。そのあと、あなたが風邪をひいて私がお見舞いに行ったけれど。
ダミアンのくだらないギャグでずっこけて怪我をしてしまった時には、この世の終わりみたいな顔をして私を抱き上げ、医者のところまで運んでくれた。
私たちは、たくさんたくさん一緒に過ごしたわ。
あなたの寝顔も知っているし、鼻をピクピクさせて目を開けたまま眠るあなたを、本当に愛おしく思ってるの。
そしてダミアンは、私の母が亡くなった時にはこう言ってくれた。
『コレットの心が癒えるまで、ずっとそばにいる。君の母上がそうしていたように、俺はずっと君を見守るよ』
涙が止まらない私に、背中をさすりながらそう言ってくれたダミアン。
私が、どれだけ、どれだけ嬉しかったか知らないでしょう……?
母を亡くした悲しみから立ち直れたのは、あなたが根気よく私に寄り添ってくれたから。
花が綺麗だと言っては花園に連れ出してくれて、湖畔が綺麗だと言っては外に連れ出してくれた。
朝日を浴びれば前向きになれるからと、わざわざ海まで行って見せてくれたわね。
『コレット、君は素晴らしい女性だよ。どんな困難にも打ち勝てる強さを持っているんだ』
そう言って、私を過大評価してくれたけど……心から思っていることが伝わってきて、私は嬉しかった。
……大好きだったの、ダミアンのこと。
恥ずかしくて、ずっと言えなかったけど……。
そして、怖かったの。
私たちは所詮、利害で結ばれただけの婚約者同士。
嫌われていないのはわかってる。でも好きかと聞かれたら、きっとそうじゃない。
婚約者を大切に扱うのは、王族の義務だから。あれもこれも、好きという気持ちからじゃないと思うと、悲しみが止まらなくて。
一言も好きだと言われたことがなかったから、私はどんどん臆病になった。
性教育をダミアンと一緒に受けて、キスや子作りの仕方を学んでも、いろんな意味で無理だった。
だって、好かれていないと思ってたから。
私だけがダミアンを好きすぎて、キスなんかしたら心臓麻痺で死んじゃうって思ったから!
子作りなんてホント、恥ずかしすぎて一瞬で死ねるから!!
だからもう、婚約破棄するしかなかったのよ!!
でも、ダミアンは私のことを好きと言ってくれた。
そして今、目の前のダミアンが少しずつ私に迫っている。
ああ、とうとう私……キス、しちゃうんだわ……!
「コレット……」
「ダミアン……」
ダミアンの唇がどんどん私に近づいて……
「きゃーーーー、無理ぃいいい!!」
「それなーー!!」
「何でじゃぁぁあああ!!」
三人分の絶叫が会場に響いた。
危ない、今のは危なかったわ!! 私、心臓が破裂して死ぬところよ!!
「うう、やっぱりキスもできない私たちに、世継ぎを求められても無理……! 婚約破棄するしかないんだわ……!」
「それな……!」
「キスくらいさっさとすればええだろうが!!」
「陛下、不純!」
「それな!」
「うっせーわ!」
ああ……このままではいけない。
この国の王子は、ダミアン一人しかいないの。
なぜならば、王妃様はダミアンを産んだ予後が悪くて亡くなっている。そのあと陛下は、新たに王妃を迎えることも、愛妾を持つこともしなかったから。
ダミアンは、絶対に子どもを残さなければいけない立場。でも私が相手だと……それができない……!
「いやもう、おぬしらええから結婚してしまえ」
「そんな、無理です陛下!!」
「父上は、我が家系が途絶えてもかまわないと?!」
「いや、それは困るが……」
陛下はうーんと考えたあと、閃いたというようにニヤリと笑った。
「ではコレット、わしの妃となれ」
「……え?!」
「父上……?!」
私が……陛下の妃に……
「いやよ、こんなクソジジイ!!」
「それな!!」
「おぬしら、覚えとれよ?」
陛下はクソジジイらしく、下卑た笑みで私の肢体をねぶるように見ている。
「これでも四十二歳、まだまだ現役じゃからなぁ……ダミアンに子ができんならば、わしが直々に子作りするしかあるまいて」
「い、いや……!」
「これ、国王命令。コレットとわし、結婚」
「……!!」
「コレット…………!」
ああ、そんな……
ダミアンとの婚約破棄後は、誰の元にも行かないって決めていたのに……
国王命令じゃ、逆らえない……!
「うう、こんな腐れ外道と結婚なんて!!」
「コレット!」
「今、国王を腐れ外道と言ったか?」
「父上! 加齢臭のオッサンがこんな可愛いコレットと結婚したいだなんて、あんたは虫ケラ以下のクズ男だ!!」
「いい加減、泣くぞわし」
「ダミアン、あなたのお父様に嫁いでしまう私を許して……!」
「コレット、君が悪いんじゃない……そうだ、もうあんな父上は殺してしまおうそうしよう」
「待て待て待て待てい!」
私のために、陛下の抹殺まで考えてくれるだなんて……!
もう、ダミアン……好き。
「ではおぬしらに、選択肢を与えてやろう! わしとの結婚か、ダミアンとの結婚、どちらの国王命令がよいのじゃ!!」
「ダミアンよ!」
「即答! わかっとったわい!」
なぜか疲れている陛下をよそに、私たちは見つめ合う。
やっぱりダミアンの瞳はきれいで、他の誰よりも優しい。
「コレット……やっぱり俺は、君を誰にも渡したくはない。そして君以外の誰も迎えたくはないんだ」
「ダミアン……」
「キスひとつできない不甲斐ない俺だが……コレットのことを誰より愛しているのは、この俺だ」
愛、している……。
その言葉を聞いた途端、私の胸の中は大きく膨らんでいく。
「俺のくだらないギャグに全力で笑ってくれて、時にはずっこけてくれる君が好きだ。一生コレットを笑わせていたい。怪我や病気をしたら寄り添っていたい。こんなにも優しく、広く深い心を持った人が俺の婚約者であることが、どれだけ誇らしく嬉しかったか、君は知らないだろう?」
ダミアンの真剣な瞳に、吸い込まれてしまいそう。
「君の母上が亡くなった時、俺は誓ったな。ずっとそばにいると。君を見守ると。──その時から、ずっと言えなかったことがある」
「なんです……?」
「君を、一生愛していく……コレットには言えなかったが、俺は君の母上とそう約束していたんだ……!」
「ダミアン……!」
もうダメ……我慢していた涙が、勝手にするすると落ちていってしまう。
「今まで不安にさせてすまなかった……! 怖かったんだ……一方的な俺の想いを押し付けるようで……コレットに嫌われてしまったらどうしようと……! だから、婚約破棄を言い出されたときも、反対できなかった……君がそれを望んでいるならと……」
まさか……ダミアンも私と同じだったの……? 怖くて、言い出せなかっただけ……?
「ダミアン……私もちゃんと言えばよかった……あなたを、誰よりも愛していると……!」
「コレット……!」
「ごめんなさい、もう二度と婚約破棄したいだなんて言わないわ! どうか、一生私をそばにおいてほしいの」
「当たり前だろ……! 俺だって二度と、婚約破棄を承諾したりなんてするもんか……!!」
「ダミアン!!」
ダミアンが私を包んでくれる。今まで手を繋ぐくらいが関の山だったというのに……。
私の想いがダミアンに伝わり、ダミアンの想いが私に入ってくるのがわかる。
これが……しあわせ、ということなのかもしれない。
「なんじゃこの茶番は」
陛下の言葉に、招待客の『それな!』という心の声が聞こえた気がしたけど、気にしないわ。今はこの、愛しい人の腕の中に包まれていたい。
「おぬしら、もう今すぐ結婚せい。これ、国王命令」
「今すぐ結婚?! 嬉しい!」
「それな!」
「うるさいわ」
そう言っている陛下も、なんだか嬉しそうで。
「お集まりの皆々様よ、これよりこの社交パーティーは、我が息子ダミアンと公爵令嬢コレットとの、婚姻のパーティーと相成った!」
ずっと私たちをサーカスの猿のように見ていた出席者たちから、わぁああと大きな歓声が上がった。
音の振動を感じるだけで、なぜか気持ちが昂ぶってくる。
「どうしよう、ダミアン……」
「どうした、コレット」
「今なら私、あなたとキスできちゃいそうよ!」
「それな!」
ダミアンの瞳が優しく微笑む。
私も、自然と頬が上がっていく。
「大好き、ダミアン」
「それな」
私たちはフフッと微笑むと、お互いに唇を乗せ合った。
陛下の「やれやれ」という声と、母と王妃様の〝おめでとう〟という声が、聞こえた気がした。
イラスト/柴野いずみ様
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