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ママ(フェンリル)の期待は重すぎる!【Web版】  作者: 人紀
第十章

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娘(人間)の行動が不可解すぎる!9

 ある日、魔法使いの女が訊ねてきた。


「あなたって、人の言葉が分かるの?」

 その問いに対して、フェンリル(彼女)は頷き、答えた。

「わかるわ。

 ただ、はなすことは、―が―」

「苦手ってこと?」

 フェンリル(彼女)は頷く。

「な―か、うまくはな―な―」

 何となくの雰囲気で理解しているのか、魔法使いの女は「ふ~ん」と堪えた。

 フェンリル(彼女)もついでなので訊ねてみた。

「あなたのまほう、どうやっ―るの?」

「魔法?

 これのこと?」

 魔法使いの女は右手を持ち上げた。


 その手のひらから、黒色の魔力がにじみ出る。


 フェンリル(彼女)が頷くと、魔法使いの女は思案げに続ける。

「それほど難しくはないけど、わたくし以外で成功した者は、何故か一人しかいないのよね。

 やってみたいの?」

「やく―たつの?」

「役に立つけど、人間にとってだから何とも言えないわね」

 そう言いながら、魔法使いの女は色々と実践してくれた。


 遠くにある物を取ったりして見せてくれた。

 器の形にして、そこに水を出して見せてくれた。

 その水を沸かして見せてくれた。

 一番驚いたのは、誤って切り傷を作ってしまった召使いの傷を、魔力で覆い治して見せた時だろうか。


 流石のフェンリル(彼女)も目を丸くしたものだ。


 とはいえ、汎用性があることは認めつつも、フェンリル(彼女)にとって有用に思えるものは無かった。

 ただ、甘くて美味しい焼き菓子に噛みつきつつ、戯れにそれを魔法使いの女に習った。


 しばらくすると、うっすらとだが、白色の魔力が靄のようにわき上がるようになった。

 柔らかな表情の魔法使いの女が、それを「とても綺麗ね」と言ってくれた。

 フェンリル(彼女)はよく分からないが、それがとても嬉しかった。


 しばらくそんな日々を過ごしていたある日、焼き菓子を食べ終えると魔法使いの女が言った。

「わたくし、もうそろそろ帰らないといけないの」

「か―る?」

「ええ、一年後にまた、ここに戻ってくるけど、その時に、会えないかしら?

 お茶をしましょう」


 フェンリル(彼女)としても、もう少し、一緒にいて、焼き菓子を食べたいという思いはあった。


 だが、自身の縄張りに戻らなくてはならないという思いもあった。

(この魔法使いにも縄張りがあるんだわ。

 であれば、お互いあまり縄張りを不在にするのも良くないわね)

 そう思い、頷いた。

 魔法使いの女が、鎧姿の女に手を借りて立ち上がると、フェンリル(彼女)の前に立った。


 そして、このようなお願いをしてきた。


「ねえ、あなたの毛に触れても良いかしら?」

「――?

 なん―?」

「だって、あなたの毛、とても柔らかそうなんだもの」


 他の人間に言われたら、恐らく不快に思っただろう。

 ひょっとしたら、前足で叩いたかもしれない。


 ただ、魔法使いの女なら別に良いと思った。

「―つ―よ―わよ」

とフェンリル(彼女)は頷いて見せた。

 焼き菓子のお礼としても良いし、望むなら、抜け毛の幾本かを与えても良いと思った。


 だけど、魔法使いの女はそのような物を望まなかった。


 ただ、フェンリル(彼女)の頬を、その小さな手で優しく撫でるだけだった。

「気持ちが良いわ」と嬉しそうにする魔法使いの女に、フェンリル(彼女)も悪い気はしなかった。

 しばらくすると、手を離した魔法使いの女は「じゃあ、また一年後」と微笑んだ。


 その年からフェンリル(彼女)は、年に一度、魔法使いの女に会いに行くようになった。

 そして、例の焼き菓子を共に食べた。

 晴れの日は芝の上で、雨の日は屋根の下で食べた。

 風が強い日は、魔法使いの女の家に何とか入り込んだこともあった。

 窮屈だったけど、魔法使いの女が可笑しそうに笑っていたし、フェンリル(彼女)自身も楽しかった。

 魔法使いの女が、「別のお菓子を出しましょうか?」と言ってくれた時もあったが、フェンリル(彼女)は首を振り、例の焼き菓子を頬張り、お茶を飲んだ。


 フェンリル(彼女)は人間の言葉が上手く扱えなかったし、魔法使いの女は多弁でなかった。

 だから、殆ど話すことなく時が過ぎていった。


 だけど、フェンリル(彼女)はそれを苦痛に思わなかった。


 ただ、風に揺れる枝葉を眺めた。

 ただ、陽光に照らされる山々を見つめた。

 ただ、漂ってくる草花の香りを感じた。


 椅子に座る魔法使いの女の傍らにいるだけで、不思議と退屈には思わなかった。


 フェンリル(彼女)はただ、何とも言えない心地よさに身を任せていた。


 魔法使いの女は数日過ぎると、「じゃあ、また一年後」と言って帰って行った。

 そして、約束通り一年後、戻ってくる。

 フェンリル(彼女)はそれが当たり前の事のように思い始めていた。


 幾年か過ぎた。


 その年も、魔法使いの女は現れ、いつものように椅子に座り、フェンリル(彼女)と焼き菓子を食べた。

 そして、何日か過ぎた後、いつものように魔法使いの女は言った。

「……わたくし、もうそろそろ帰らないといけないの」

「そうなの?」

「ええ」

 そう答えながら、魔法使いの女は椅子から立ち上がろうとする。

 その年の魔法使いの女は、何故か体がずいぶんと重そうで、その時も、鎧姿の女だけでなく、召使いの女にも支えられてようやく立ち上がっていた。

 フェンリル(彼女)は少し心配になったが、魔法使いの女から感じられる魔力は相変わらず強大だったし、その漆黒の瞳には強い光が見えていたので、大丈夫だろうと思っていた。

 それでも、少し辛そうにする魔法使いの女の為に、フェンリル(彼女)は触れやすいように顔をそっと近づけた。

 魔法使いの女は柔らかく微笑みながら、手を伸ばし、フェンリル(彼女)の頬に触れた。

 その手のひらはいつもより少し、ヒンヤリしていた。


 だけど、いつも通り優しい触れ方だった。


「じゃあ、”またね”」

と魔法使いの女はフェンリル(彼女)から手を離す。

 そして、振り返りもせずに家の中に入っていく。

 いつも通りだった。

 別れの挨拶は少し違っていたけど、いつも通りだった。


 フェンリル(彼女)はその背が見えなくなるまで、見つめていた。


 一年経った。


 いつものように、足を運んだフェンリル(彼女)だったが、魔法使いの女はいつもの椅子に座っていなかった。


 焼き菓子はあった。


 だから、フェンリル(彼女)はすぐに現れるだろうと、初めて魔法使いの女の家を覗いた時と同じ場所で待った。


 だけど、魔法使いの女は現れなかった。


(縄張りで何かあったのかしら?)

 今更ながら、魔法使いの女の縄張りの位置を聞いておけば良かったと思った。

(でも、大丈夫よね。

 あれほどの魔力を持っているんだもの。

 たぶん、一年後には戻ってくるわ)

 そう、自分を納得させた。


 また一年経った。

 だけど、魔法使いの女が座っていた椅子は空だった。


 見覚えのある人間や召使いはいる。

 焼き菓子やお茶の用意はされている。

 だけど、居ない。

 魔法使いの女が居ない。


 フェンリル(彼女)は不満に思った。

『焼き菓子が食べたいんだけど』

とじっと見つめながらボヤいた。

 視線の先にある魔法使いの女の椅子は空だった。


 それから、何年も、何年も過ぎた。

 だが、魔法使いの女は現れない。


 フェンリル(彼女)は何年も、何年も待ち続けた。

 ただ、焼き菓子とお茶”だけ”が揃うその場を、不満げに眺めた。

『縄張りが狙われて動けないのかしら?

 時々居るのよね、そう言う煩わしい輩が』

『縄張りが天災によって荒れてしまったのかもしれないわね。

 そういうの、困るのよね』

『ひょっとしたら、子供が出来たのかもしれないわね。

 人間の年齢は分からないけど、そういうこともあるかもしれないわ』

 そんなことを呟きながら、フェンリル(彼女)は魔法使いの女が座っていた、あの椅子を眺めた。

 そこに、あの魔法使いの女が現れることは無かった。


 何年か過ぎた頃、いつものようにフェンリル(彼女)は魔法使いの女の家を眺める場所にたどり着いた。

 いつも通り、いつも通りだった。


 ただ、その日はいつもと違った。


 召使いや鎧を着た者の数が普段より多かった。

 焼き菓子とお茶はいつも通り並び、そして……。


 あの椅子に座る者が居た。


『っ!?』

 息を飲んだフェンリル(彼女)は、そして、目を凝らした。

 黄金色の長い髪、漆黒の瞳の女……。

 魔法使いの女――それに似ているだけの女だった。

 魔法使いの女より小さい。

 若い――恐らく幼いのだろう。

 あの椅子に座りながら、辺りを興味深げに見渡していた。

 そして、召使いの女に焼き菓子を切り取ってもらい、それを受け取り、嬉しそうに頬張っていた。

『……ああ、ああ』

 何より保有する魔力が少ない。

 いや、人間にしてはそこそこある方なのかもしれない。

 だが、あの魔法使いの女の――世界を威圧するかのような膨大な魔力からしたら、塵のようなものだ。

『……ああ、ああ』

 それに、あの魔法使いの女のような気高さがない。

 あの魔法使いの女のような柔らかさがない。

 あの魔法使いの女のような温かさがない。

 あの魔法使いの女のような――。


 フェンリル(彼女)は首を大きく振った。

 何度も、何度も。


 あの魔法使いの女と違う者が、あの椅子に座る意味を知り、フェンリル(彼女)の知らない何かが、襲いかかってきた。


 それは、フェンリル(彼女)の知らない感情だった。

 胸が締め付けられるように痛くて、苦しくて……。

 目が焼けるように痛い。

 見たくない。

 魔法使いの女以外があそこに座る姿なんて、見たくなかった。


「うぁおおおん!」


 それは、言葉ではない。

 ただの絶叫だった。


 踵を返すとフェンリル(彼女)は自分の縄張りへと駆けた。


 何千年も生きたフェンリル(彼女)が――最強の神獣が――逃げるように駆けた。


 フェンリル(彼女)はそれ以降、魔法使いの女の家には寄りつかなくなった。


――


『……もう二度と、会うことはないと思っていたお菓子だけど、まさかこんな近くで出会うことになるとはね』

 一時期フェンリル(彼女)が夢中になったほど美味しい焼き菓子である。

 広く作られるようになるのも当たり前かと思った。

『問題はあの子からあの焼き菓子を送られそうな事ね』

 フェンリル(彼女)は困ったように眉を寄せながら、遠見の魔法陣を眺める。

 そこには、焼き菓子を作ったと思われる人間と交渉し、沢山購入しようとするサリー(小さい娘)の姿が映っていた。


 あの母親のことが大好きな娘のことである。

 当然、フェンリル(自分)の場所にもお裾分けをしようとするだろう。


『でも、今はまだ、食べたいとは思えないのよね……』

 フェンリル(彼女)は悲しげに呟いた。

 どうしても、あの魔法使いの女の事を思い出し、胸が締め付けられるように苦しかった。

 ただ……。

『サリー(あの子)が送ってくれるんだもの、粗末には出来ないわね』

 フェンリル(彼女)は苦笑した。

 ただ、その目はとても柔らかいものだった。


 赤ん坊のサリー(小さい娘)を初めて見た時、魔法使いの女の姿がよぎった。


 子供を産んだばかりで母性が高まっていた。

 だが、育てようと思ったのには、確実に魔法使いの女(彼女)に会えない寂しさがあった。

 もっとも、サリー(小さい娘)は魔法使いの女とは似ても似つかぬ感じに育っていった。


 落ち着いた魔法使いの女とは違い、泣いたり笑ったりと忙しい娘に育っていった。

 知的な魔法使いの女とは違い、突飛なことをして、フェンリル(彼女)を困惑させる娘に育っていった。

 滅多に触れてこない魔法使いの女とは違い、何時もくっつき、甘えん坊な娘に育っていった。


 だけど、フェンリル(彼女)はそれで良いと思った。

 この子は魔法使いの女ではない――違う存在なのだから。


『……そうよね。

 うん、サリー(あの子)が送ってくれた物は、母親として、全て食べるべきよね』


 フェンリル(彼女)はそのように、決意をしていた。

 だが、遠見の魔法陣越しに驚くべき様子を目の当たりにすることとなる。


 サリー(小さい娘)が、フェンリル(彼女)の愛娘が、黄金色の羽の彼女がわざわざフェンリル(彼女)のために切り分けていた焼き菓子に、人間が食事の時に使う金属の棒を突き刺し、持ち上げるとパクリと食べてしまったのだ。

『……え?

 ……え?』

 フェンリル(彼女)が呆然としていると、転送陣に何かが送られてくる気配を感じた。

 放心したまま視線を向ける。


 視線の先にはフェンリル(彼女)が待ちに待った――サリー(小さい娘)の料理があった。


『……』


 フェンリル(彼女)はしばらくそれを見つめると、スススとそれに近づき、噛みついた。

 柔らかな噛み心地と、濃厚な肉汁が口一杯に溢れる。

 生肉では味わえない香ばしさと、程良い香辛料の味が口の中はもちろんの事、フェンリル(彼女)の鼻も楽しませてくれた。


 フェンリル(彼女)は黙々と食べきると、その大きな舌で皿も綺麗に舐めきった。


 終えると、静かに洞窟の出口へと歩を進める。

 そして、外に出ると、力一杯に吠えた。

『美味しい!

 美味しいけどぉぉぉ!』

 うぁおおん、というフェンリル(彼女)の叫びは、夜の闇にただ、響いて消えた。

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