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テーブルに並べられたゴーグルの一つを、リリスが指し示した。
「……この黒いやつが走りやすいと思いました」
「それじゃあしばらく、そいつを付けて走ってみるか」
「えっあの……」
なぜか躊躇を見せたリリスに、ヒナタは疑問を向けた。
「どうした?」
「このゴーグル、可愛くない気がします。黒いですし」
「えっカッコイイだろ黒」
「ないです。黒ですよ? 黒」
「黒が何をした……」
センスを否定されたヒナタは、軽くショックを受けた様子だった。
「私……こんな可愛くない装備でレースに出たくないです」
「えぇ……走れれば何でも良いだろ」
「良くないです!
……これだからキタカゼ=ヒナタは」
リリスはねこむくれ顔を見せた。
ただの練習だからと言いくるめ、リリスに走ってもらう。
たったそれだけのことに、ヒナタはかなりの時間を必要としたのだった。
……。
リリスのやる気が上がらなかったので、早めに練習を終えることになった。
ヒナタが自室に戻ると、そこにはなぜか、ニャツキの姿があった。
いつの間に入ったのだ……と思わないでもない。
だが追い出すほどもないと思い、普通に話をすることにした。
ヒナタはリリスの件について、ニャツキに相談した。
「ってな話になったんだけど、どう思う?」
「それはもう、100%ヒニャタさんが悪いですね」
「マジで……?
女子特有の団結力とかじゃなくて、
マジでそう思ってんの?」
「当然です。
レースとは女子にとって、神聖なる晴れ舞台。
少しでも着飾りたいと思うのは、
猫として当然の本能です。
そんなことすらわからないとは、
ヒニャタさんもまだまだのようですね」
「……わかったよ。俺が悪うございました」
価値観の違いに逆らっても、良いことはないだろう。
そう察したヒナタは、即座に白旗を上げた。
その翌朝。
「行きますよ。キタカゼ=ヒナタ」
朝食後に部屋に居たヒナタを、リリスが練習に誘いに来た。
彼にしては珍しく、ヒナタはリリスの誘いを断った。
「悪い。今日はちょっと用事があるから、
一人で練習しといてくれるか?」
ヒナタがそう言うと、リリスは軽い怒りを示した。
「むっ。またナンパですか?
レースがすぐそこまで迫っているとわかっているのですか?」
「ナンパじゃねえよ」
そこへニャツキが現れて、ヒナタに声をかけた。
「ヒニャタさん。行きましょう」
「ああ。それじゃあがんばれよ」
リリスをひとり残して、ニャツキとヒナタは去っていった。
「お……お姉さまと二人で外出……?」
呆然としたリリスは、手に持った鞍を取り落とした。
……。
「うにゃにゃにゃにゃにゃーっ!」
リリスは鞍もなしに、練習場を荒々しく走っていた。
「キタカゼ=ヒナタ……キタカゼ=ヒナタ……キタカゼ=ヒナタ……ッ!
キタカゼ=ヒナタアアアアァァァァッ!」
それはペース配分を考えない、全力の疾走だった。
そんな走りが長く続くわけがない。
すぐに疲れ果て、リリスは脚を止めた。
「はぁ……はぁ……にゃ……」
それから彼女は、歩いてスタート地点に戻った。
そしていつものように、ねこカメラの映像をチェックしはじめた。
(…………つまんない。
今日はもう帰ろうかな……)
リリスは映像を止めた。
たぬきのようになったションボリリスが、とぼとぼとコースから出ようとした。
「もう上がるのか?」
ヒナタが声をかけてきた。
「むっ!」
人との練習をほうってお姉さまと出かけた外道が、何をしに来たのか。
リリスはキッとヒナタを睨みつけた。
対するヒナタは、子猫にじゃれつかれたように笑った。
「そう睨むなよ」
「ふん。楽しかったですか? お姉さまとのデートは」
「いや。デートなんてもんじゃ……」
「ええ。とても楽しかったです」
ニャツキがにこりと割って入った。
「ぐぬぬぬぬぬ……!」
リリスの表情筋に、さらなるリキが入った。
「睨むな睨むな。ほら、これやるから」
ヒナタは手を上げて、リリスに紙袋を差し出した。
「…………? 何ですか? それは」
「開けてみろよ」
「開けられません。猫ですから」
「じゃあ俺が開けるけど」
ヒナタは紙袋を開けて、中からねこゴーグルを取り出した。
「ゴーグル……?」
「ああ。今日は俺とハヤテで、
そいつを買いに行ってたんだ。
断じてナンパじゃないし、デートでもない」