2の9の2
「落ち着け。カースの力だ」
「言われてみればそうですね」
現れた人影が、マニャよりも前に立った。
人影の正体は、黒髪のネコマタだった。
艶やかな黒髪は、彼女の腰まで伸びていた。
身長は、ニャツキより少しだけ高い。
黒猫は悪意のない人懐っこい笑みで、ヒナタたちに話しかけた。
「こんにちは。ボクはカイ=カゲトラ。
ホテルヨコヤマでお世話になってるんだ。よろしくね」
「ハヤテ=ニャツキです」
「俺はキタカゼ=ヒナタだ。
前にねこセンター前で会ったが、覚えてないか?」
「あっ! ナンパの人!」
「……スカウトだ」
三人の挨拶が終わると、マニャが口を開いた。
「カゲトラは逸材よ。
私の後継者に育てようと思っているの」
「後継……引退を考えてるのか? マニャねえ」
「ええ。私も長く勝ちすぎたわ。
そろそろ次の世代に椅子を譲るべきだと思うの。
カゲトラは天才だから、
私が意図しなくてもそうなってしまうでしょうけど」
「たしかに才能は感じるが、
ずいぶんとあっさりしてるな。負け嫌いのマニャねえが」
「猫は長寿だけど、
ファイティングねこスピリットは無限ではないの」
「そういうもんか。さて……引き抜きの話だったな」
「引き抜きもなにも、あなたフリーでしょう?」
「待ちなさい」
ニャツキが口を開いた。
「ヒニャタさんは、この俺様の専属ジョッキーです。
フリーなどではありませんよ」
「そうなの?」
「身に覚えがないが」
「……とにかく! そんなどこの牛の骨ともしれない猫が、
俺様より優れているはずがありません!
勝負をしましょう!
白黒はっきりつけてさしあげますよ!」
びしりと、ニャツキはカゲトラを指さした。
「私たちには、そんな勝負を受ける理由は……」
マニャが冷淡に答えようとしたところで、カゲトラがこう言った。
「良いよ。やろう」
「ちょっとカゲトラ」
「決まりですね。それでは移動しましょうか。
決戦のバトル・フィールドへ」
ニャツキが強引に話を畳みに来ると、マニャはヒナタのイシを確認した。
「ヒナタ。あなたはそれで良いのね?」
「ん。まあ良いんじゃねえの?」
ヒナタはのんびりとした反応を見せた。
「わかったわ。行きましょうか。
リョクチャ。ジョッキーを手配して。誰でも良いわ」
「誰でも? タケベさんじゃなくても良いんですか?」
タケベとは、マニャが懇意にしているジョッキーの名だ。
フルネームはタケベ=フミヤ。
彼はマニャの鞍に乗り、近年のSランクレースを総なめにしてきている。
カゲトラを勝たせるのであれば、彼に鞍を任せるのが一番のはずだが。
「ヒナタ本人が、そこまで乗り気じゃないみたいだから」
「わかりました」
一行は、地下の大型練習場の使用許可を取った。
ニャツキとカゲトラ、そしてヒナタが、レース服に着替えた。
その少し後、リョクチャに呼び出されたジョッキーが、一行の前に姿を見せた。
ジョッキーは20代前半くらいの女性だった。
彼女はヒナタに声をかけてきた。
「キミがマニャさんの弟くん?
私はフクヤマ=ノリコ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
「そんなに畏まらなくても良いよ。
たぶん同い年くらいでしょ?」
「それじゃあ……よろしく。フクヤマ」
「うん。負けないよ。ヒナタくん」
ノリコが手を差し出してきた。
二人は握手を交わすと、それぞれの猫に向かった。
ジョッキーを鞍に乗せ、ニャツキとカゲトラはスタート地点に立った。
リョクチャがコース脇で、マニャにこう尋ねた。
「カゲトラちゃんが勝ちますよね」
「……どうかしらね」
マニャは硬い顔で、ニャツキのほうを見ていた。
「楽勝でぶっちぎってやりましょう」
ニャツキが勝気な笑みを浮かべた。
「油断するなよ。ハヤテ」
「ヒニャタさん?」
「俺は前にこう言ったよな。
俺がスカウトしてきた猫のなかで、
おまえが三番目に才能があるって」
「知りません。覚えてません」
「覚えとけよ。
それで……俺が二番目だと思ったのがあいつだ」
ヒナタの言葉に、ニャツキは冷めた声音を返した。
「あなたは優れたジョッキーですが、
猫を見る目はないようですね」
「そうかよ」
ヒナタとノリコが、強化呪文を唱えた。
練習用コースには、出走ゲートは存在しない。
代わりにリョクチャが、ねこホイッスルを鳴らした。
二人の猫が、素早いスタートダッシュを見せた。
最初ニャツキは、カゲトラと併走し、彼女を観察した。