2の9の1「ニャツキとカゲトラ」
「どうして……?」
「肝心要の話を避けて、
あなたを納得させられるとは思えない。
ごめんなさい」
「……家族だろ? いいかげん仲直りできないのかよ」
「もう違う。ヒナタ。これ、財布」
ミヤは冷えた顔で、ヒナタに財布を差し出してきた。
「いや、それ古いやつだから」
ヒナタはポケットから新しい財布を取り出し、ミヤに見せた。
「そっか。勘違いしてた」
ミヤはちらりとマニャに視線をやった。
「今回は私が悪かったね。
けど本当に、もう二度と顔を見せないでね」
「……ええ」
地面に倒れたまま、弱々しくマニャが答えた。
「うん。それじゃあ私は帰るね」
とんと地面を蹴り、ミヤは姿を消した。
驚嘆すべきその速度に、リョクチャは強くまばたきをした。
ニャツキやヒナタには、驚いた様子はなかった。
「マニャねえ。だいじょうぶか?」
疲れたような顔で、ヒナタがマニャを助け起こした。
「……ええ。ありがとう」
「それで……今日は何をしに来たんだ?
ただ俺の顔を見に来たってわけじゃないんだろ?」
「ええ」
マニャは崩れていた表情を整え、すっと背筋を伸ばした。
そしてヒナタにこう言った。
「ホテルヨコヤマに来なさい。ヒナタ」
「ありえません!」
口を挟んできたニャツキを、マニャは見返すこともなかった。
「黙りなさい。私はヒナタ自身の気持ちを聞いているのよ」
マニャは無愛想に言葉を吐いた。
彼女の視線は、ずっとヒナタに向けられていた。
それを見て、ニャツキは拗ねたような顔でこう言った。
「えらっそうに。ミヤさんが怖くて泣いてたくせに」
「っ……! うるさいわね……!」
さすがに無視できない言葉だったのか。
マニャは苛立ちをあらわにした。
二人のやり取りは無視し、ヒナタは自分のテンポでこう言った。
「マニャねえ。前にも言ったけど、
コネ入社とかは、俺は好かねえよ」
彼がヨコヤマで働けと言われたのは、これが初めてではない。
……実力以上の何かを、周囲から受け取りたくはない。
それはきっと、競ニャを歪めてしまう。
そう思っていた当時のヒナタは、マニャの誘いを袖にした。
その考えは、今も変わってはいない。
「あなたはデビュー戦と2戦目を、
見事に優勝で飾ってみせた。
新人ジョッキーとしては華々しい成績だと言えるわ。
これなら私の口利きがなくても、
ヨコヤマのジョッキーとしてふさわしい経歴だと言えるはずよ」
実力に見合ったスカウトなら問題はないだろう。
マニャはヒナタにそう説いてみせた。だが。
「違うんだマニャねえ。
あの2勝にそんな価値はない。
俺はジョッキーとして、
まともに仕事をしてないんだ。
ただ猫が速くて勝った。
それだけの話なんだよ」
2回の勝利は、全てニャツキの実力によるものだ。
少なくともヒナタの中では、それが事実だった。
マニャもヒナタの言葉に同意を見せた。
「……そうね。
前の試合は見させてもらったけど、
あなたは手綱を握っていただけで、操猫はしていなかった」
「ああ。だから……」
「それで良いの? ヒナタ。
猫に置き物あつかいされて、それで満足なの?
そんなものはジョッキーとは呼べない。
パートニャーとは言えないでしょう?
たとえコネでも、
まともな猫に乗ったほうが、あなたのためになるんじゃないの?」
「それは……」
マニャの言葉に、一理あると思ったのか。
ヒナタは悩むような仕草を見せた。
「ちょうど今年、活きの良い猫がデビューするところなの。
紹介するわ。来なさい。カゲトラ」
マニャがそう言うと、彼女の後ろに、いきなり人影が出現した。
「っ!?」
ニャツキが驚き、びくりと震えた。