その31「ヒナタと鬱憤」
ニャツキたちは、受付でコースの使用許可を取った。
それから更衣室で着替えると、猫の姿でコースへと向かった。
ニャツキは鞍無しで、リリスはシャルロットを乗せて、コースを走った。
今はムチャなトレーニングをする時期では無い。
余力を残した状態で、ホテルへと戻ることにした。
夕食時になると、3人は、ホテルのレストランへと向かった。
レストランの食事は、ビュッフェ形式になっていた。
ニャツキはお皿を取り、料理の所へと向かった。
そして好きな食べ物を皿に盛り、テーブルの方へと歩いた。
「おや……」
ヒナタの姿が見えた。
1人では無い。
ミヤと一緒に食事をしていた。
「お姉さま?」
ニャツキの後ろを歩いていたリリスが、疑問の声を上げた。
ニャツキはそれを無視し、ヒナタの方へと歩いていった。
ヒナタは6人掛けのテーブルの、隅に座っていた。
ヒナタの隣の席は、ミヤによって埋められていた。
ニャツキはヒナタの正面に、自分のお皿を置いた。
リリスは少し離れた位置で立ち止まり、2人の様子を見た。
ニャツキはヒナタに話しかけた。
「おまえ」
「あ?」
「無事に着いたようですね」
「そりゃ着くだろ。
俺を何だと思ってんだよ。
そもそも、迷子になってたのは
おまえの方だろ」
「……昔の話です」
「用はそれだけか?」
「そうですね。
この席、良いですか?」
「どういう風のふきまわしだ?」
「べつに。
たまにはジョッキーと
相席も良いかと思いましてね」
「そうか」
「どうですか?
次の試合は、
あなたにとってもデビュー戦でしょう?
緊張などはしていませんか?」
「……舐めてんのか?」
ヒナタはそう言うと、歯をぎりりと噛み合わせた。
「えっ?」
ヒナタが急に豹変したように見えて、ニャツキの体が固まった。
ヒナタは怒りを隠さずに、言葉を続けた。
「おまえが俺に、
置き物になってろって言ったんだろうが。
ロクな練習も無し。
作戦の打ち合わせも無し。
それで緊張しろって?
するわけねーだろうが。
明日のレースは、俺にとっちゃあ、
本当のレースじゃないんだよ」
「あ……」
ニャツキは言葉を失った。
ここ最近、ヒナタはニャツキと普通に接していた。
だから、仮のパートニャーとしての現状に、納得してくれていると思っていた。
破裂するような鬱憤が溜まっているとは、思っていなかった。
「……悪い。
怒る権利なんか無かったな。
俺は俺の意思で、
おまえの話を受けたんだから。
……けど、メシは別の席で食ってくれ」
「……はい。そうします」
ニャツキは猫耳をぺたんとさせて、自分のお皿を持ち上げた。
そして別のテーブルに向かった。
ニャツキが中央の席に腰かけると、リリスとシャルロットが隣に座った。
あまり空気を読まないシャルロットが、ニャツキに話しかけた。
「あなたたち、
パートニャーなのにトゲトゲしてるのね」
「俺様たちは……
本当のパートニャーではありませんから」
「どういうこと?」
「それは……」
……。
ニャツキはシャルロットに、ヒナタとの関係を、詳しく話したことは無かった。
ニャツキが事情を話し終えると、シャルロットは呆れ顔を見せた。
「あなた、
ヒナタにそんな事を言ったの?
……それは怒るわね。彼も」
同じジョッキーということもあって、シャルロットはヒナタに同情したようだった。
「そうですか?」
「あたりまえよ。
ジョッキーとしてのプライドを
踏みつけられたようなものよ。
あなた、もし私を乗せても、
同じような扱いをするつもりだったのかしら?」
「……はい」
「リリスで正解だったかもね。
私だったら、
そんな扱い耐えられないわ」
そんなシャルロットの言い草を見て、リリスが口を開いた。
「シャルロットさんだって、
私に酷いこと言いましたよね?」
「それはそれ。これはこれよ」
「ええ……」
そのとき、ニャツキがしょんぼりと呟いた。
「言ったのに……」
「ニャツキ?」
「割り切るって言ったくせに……」
「そうしようとしてるから、
あの程度で済んでるんでしょう。
けど彼は、
望んであなたに乗るわけじゃない。
身長っていうハンデが有るから、
仕方なくアナタを選んだだけ。
良かったわね。
ヒナタが居て。
フリーのジョッキーは、
プライドが高い人が多いわ。
あんな扱いをしても耐えてくれる
そんな変わり者が
偶然に近くに居て、
あなたは運が良いわ。
ホテルの専属でも無いのに
あなたに乗ろうなんてジョッキーは、
まず現れないでしょうから」
「えっ……?」
ニャツキは意外そうに声を漏らした。
それを見たシャルロットの表情に、呆れの色が増した。
「そんな事にも
気付いて無かったの?
あなた、走ることに関しては一流だけど、
それ以外は、何かが欠けているみたいね」
「っ……」
ニャツキは反論することができなかった。
シャルロットは言葉を続けた。
「ねえニャツキ。
あなた、ヒナタの何が不満なの?
彼はSランクジョッキーと比べたら
まだ荒削りかもしれないけど、
素質は十分に有るわ。
なにせ、この私に勝ったんだから。
もし私が猫だったら、
彼に身を委ねても
構わないって思える。
そんな彼を、あなたは置き物にしようとしてる。
どうして?」
「俺様は……ただ……」
「ただ?」
(人を信頼することが……できないんです……)
「……………………」
ニャツキは何も言えなかった。
自分の弱みを、他人に見せたくはなかった。
それに、ニャツキの弱さは、前世に負った傷が原因になっている。
そんなことを話しても、理解が得られるとも思えなかった。
はっきりしないニャツキに、シャルロットは、見放したような視線を向けた。
「……そう。
リリス。行きましょう」
シャルロットはリリスに声をかけると、テーブルから立ち上がった。
「えっ? 良いんですか?」
ニャツキは落ち込んでいる様子だ。
弱った彼女を放っておいて良いのかと、リリスは心配しているようだった。
そんなリリスに、シャルロットは冷たく言った。
「敵に塩を
送ることも無いでしょう。
勝手に悩んでいれば良いわ」
「敵って……」
「リリス。忘れないで。
ニャツキは明日のデビュー戦を競う
競争相手なのよ。
その競争相手とジョッキーに
不和が有るのなら、
私たちにはチャンスよ。
放っておけば良いわ」
ニャツキは速い。
速すぎると言っても良い。
普通に戦えば、万が一にもリリスの勝ち目は無いだろう。
シャルロットには、そのことがよくわかっていた。
だがもしも、ニャツキに不調が発生したら……?
万が一の勝ち目が、出現するかもしれない。
シャルロットは、勝つために競ニャ場に来ている。
遊びに来ているわけでは無い。
勝ちの目を捨ててまで、甘ったれた猫の介護をする気は無いようだった。
「それでも……。
私はここに居ます」
リリスはそう決めた。
「好きにしなさい。
私はもう行くから」
「はい。明日のレース、
がんばりましょうね」
「当然よ」
シャルロットは去った。
残されたリリスに、ニャツキが声をかけた。
「……行かないんですか?」
ニャツキの耳は、ぺたんと伏せられたままだった。
リリスはションボリニャツキに、優しい声音で話しかけた。
「たしかに、お姉さまは私たちにとって
競争相手かもしれません。
ですが、お姉さまは私にとって
トレーニャーさんでもありますから。
明日競うからといって
距離を取ったりするのは、
違うと思うんです」
リリスにとって、ニャツキは恩人だ。
淡い(?)気持ちを寄せている相手でもある。
敵視することは、どうしてもできなかった。
できることなら力になりたい。
そう思っていた。
そんな彼女を見て、ニャツキが言った。
「……闘争心が足りませんね」
「ふふっ。
そうかもしれませんね」
……。
食事を終えて、ニャツキは部屋に戻った。
相部屋なので、そこにはリリスの姿も有った。
少しベッドでくつろいだ後、ニャツキは立ち上がった。
部屋の出口に足を向けたニャツキに、リリスが声をかけた。
「お姉さま、どちらへ?」
「家族に電話をしようと思います」
「ここでしていただいても
構いませんよ」
「……なんとなく、気恥ずかしいので」
ニャツキはそう言って、部屋を出て行った。