その30「レース前日とねこフロート」
「俺様は、
自分の意思で走ると
決めていますから。
あいつには
最低限の仕事しか求めていません。
だから、リードの練習なども
必要が無いのですよ」
「……それで良いんですか?」
「まあ、普通のやり方と比べて、
多少は不利になるのかもしれませんね。
ですが、
それでも勝てるだけの走りを、
俺様は
磨いてきたつもりです。
1人でも勝ちます」
ニャツキは俯いた。
そして虚ろな眼で、ぶつぶつと何かを呟いた。
「1人で……1人で勝たないと……。
そうじゃないとまた……」
異常な様子のニャツキに、リリスは心配そうに声をかけた。
「お姉さま?」
「っ……。なんでもありません」
「……そうですか。
まあ、あんな男に身を委ねるなんて、
嫌になるのもわかりますけどね。
昨日も
ねこセンターの前で、
新人の子を
ナンパしてましたよ。
猫なら誰でも良いんでしょうか?
節操の無い」
リリスは眉をひそめ、ヒナタを批判した。
「ナンパでは無く
スカウトだと思いますが。
……随分とお詳しいですね」
「偶然に居合わせただけです!
詳しくなんかありません!」
「はいはい」
リリスの出走登録は、とっくに終わっている。
わざわざ、嫌な相手が居るねこセンターに、近づく理由など無い。
そもそも、トレまちにねこセンターは、複数存在している。
ヒナタの顔を見たくないのなら、少し遠くのねこセンターに行けば良いだけの話だ。
それをわざわざ、あそこの近くを通りがかっているとは。
なんだかんだと言って、ヒナタのことが気になっているのだろう。
ニャツキはそう考えた。
「お姉さま、
何か誤解してませんか?」
「いえ。まったく」
「……それなら良いですけど」
「それで次は、
俺様のトレーニングの補助を
お願いできますか?」
「お任せください!」
リリスの補助を受けながら、ニャツキはトレーニングをこなしていった。
……。
レースの2日前になった。
朝、ホテルの食堂で、ニャツキは席についていた。
朝食の準備ができるのを待っていると、ヒナタがニャツキの前に座った。
ヒナタは口を開いた。
「あさっては新ニャ戦だな」
「そうですね」
「合同練習は
しなくて良いんだな?」
2人は合同練習を、1度しかしていない。
ヒナタには、それが引っかかっているらしかった。
ニャツキからすれば、とっくに済ませた話題だ。
考えを変えるつもりも無い。
それで面倒くさそうに答えた。
「ええ。
前の時のように、
呪文だけかけていただければ
十分です。
レース中、
俺様に指図はしないでください」
「……わかった」
ニャツキの無関心さが伝わったのか、ヒナタは席から立ち上がった。
そして離れた席へと去っていった。
(わざわざ
別の席に行く必要は
無いと思うのですが……)
そんなふうに思いながら、ニャツキは朝食を待った。
「…………」
隣の席で、リリスが何かを言いたそうに、ニャツキの方を見ていた。
だが、ニャツキの視線は、ヒナタへと向けられていた。
リリスの視線には気付かなかった。
……。
翌日。
ホテルヤニャギの駐車場。
ホテルの車、6人乗りのミニバンの前に、ニャツキたちが集合した。
集合した面々の中には、シャルロットの姿も有った。
「みんな、がんばってね」
オーナーのアキコが、見送りの挨拶をした。
ホテルを空にするわけにはいかないので、彼女は留守番だった。
「はい」
ニャツキはアキコに返事をしてから、ヒナタに声をかけた。
「……おまえ」
「ん? 何だ」
ヒナタはアキコの側に立っていた。
そして彼の隣には、いつものバイクが置かれていた。
「おまえはバイクですか」
「ああ」
「お好きですね」
「まあな。悪いか?」
「いえ。べつに。
事故の無いようにお願いしますよ」
「わかってる。
おまえこそ、迷子になんなよ」
「人の運転で迷子になるわけ無いでしょう!?」
「ははは。そうか。
それじゃ、向こうのホテルで会おうぜ」
ヒナタはそう言うと、バイクに跨った。
「はい。それでは」
ヒナタはバイクを発進させ、駐車場から去っていった。
「私たちも行こう」
ミヤが言った。
「はい」
ニャツキ、リリス、ミヤ、シャルロットの4人が、車に乗り込んだ。
運転席にはミヤが座り、助手席にはシャルロットが、中央の席にはニャツキとリリスが座った。
ミヤは車を発進させた。
「いってらっしゃ~い!」
去っていく車を、アキコが手を振って見送った。
……。
「見えたよ」
運転席で、ミヤが口を開いた。
彼女が運転するミニバンが、ヒョーゴの道を走っていた。
「あれが私たちが行く、ソノダねこフロート」
ミヤの言葉を受けて、ニャツキたちは南西を見た。
海が有る方角だ。
海面の遥か上空に、巨大な浮遊島が見えた。
ダンジョンテクノロジーが世界にもたらした、人工の島だ。
「大きいですねえ」
天空に浮かぶ島を見て、リリスが感嘆した様子を見せた。
「ねこフロートを見るのは初めて?」
シャルロットがリリスにそう尋ねた。
2人はいつの間にか、普通に日常会話を楽しむような関係になっていた。
ねこフロートとは、競ニャのために建造された浮遊島だ。
競ニャのコースは広い。
普通に本土に造っていては、土地が足りなくなってしまう。
そのため、このように島を浮かべて、コース用の敷地にしているのだった。
リリスがシャルロットの問いに答えた。
「いえ。
トーキョー湾で見たことはありますけど」
競ニャの本場はトーキョーだ。
あのねこ竜杯も、トーキョーの競ニャ場で行われる。
当然、トーキョーの海にも、ねこフロートが浮かんでいる。
トーキョーに住む人間なら、ねこフロートは見慣れているものだった。
「ただ、実際に行くのは初めてです」
車は海岸沿いの道路へと出た。
その道をしばらく走ると、転移センターの建物が見えた。
転移センターとは、ねこフロートに移動するための魔導施設だ。
その中には、転移用の魔法陣が設置されている。
ミヤは車を、白い金属製の建物に入れた。
そして入り口ゲートで料金を払い、車に乗ったまま、屋内通路を移動した。
すると前方に、魔法陣が見えた。
転移陣だ。
ミヤは転移陣に向かって、車を前進させた。
車が転移陣に入ると、転移陣が輝いた。
一行が乗る車も、その輝きに包まれた。
光が消えた時には、目の前の光景は変化していた。
ねこフロート側の転移センターへと転移したのだった。
一行は、転移センターから外に出た。
ミニバンが、空の道路を走っていく。
ねこフロートの地面は、フジ山より高い所に有る。
普段は見上げるだけの雲が、いつもより近い場所に有った。
初めて来る空の世界に、リリスは感激した様子を見せた。
「ここが空の世界……!」
初々しいリリスの反応を、ニャツキは微笑ましげに見た。
やがて一行は、無事にホテルへとたどり着いた。
ニャツキたちはチェックインを済ませ、自分たちの部屋へと向かった。
「おおお……お姉さまと相部屋……!」
リリスが言った通り、ニャツキとリリスは相部屋だった。
リリスはねこフロートに到着した時以上に、興奮して震えてみせた。
「そうらしいですね。
あの男は無事に着いたでしょうか?」
「む……。
キタカゼ=ヒナタのことが
気になるんですか?」
「それはまあ。
あいつが居ないと
レースに出られませんからね」
「電話してみましょうか?」
「番号を知りませんが」
「私が知ってますよ」
「なぜ?」
「なぜって、
一応知り合いですから。
それでは……」
リリスはポケットから、携帯を取り出した。
そして、ヒナタへと電話をかけた。
「……出ませんね」
手がはなせないのか、ヒナタが電話に出ることは無かった。
それでニャツキはこう言った。
「まあ良いでしょう。
体がなまらないよう、
少しだけ走ってきませんか?」
「そうですね。
シャルロットさんも誘ってみますね」
リリスは手に持っていた携帯で、そのままシャルロットへと電話をかけた。
ヒナタと違い、シャルロットへの電話はすぐにつながった。
「私とお姉さまで走りに行くんですが、
もしよろしければ、
シャルロットさんもいかがですか?
……はい。お部屋にうかがいますね」
手短に話を終え、リリスは電話を切った。
「ご一緒してくださるそうです」
「では、部屋まで迎えに行きましょうか」
ニャツキはレース着を持って部屋を出た。
そのとき、リリスの携帯が鳴った。
リリスはすぐに電話に出た。
「はい……。
そうですね。
無事にホテルに着いたかと思いまして。
べつに心配なんかしていません!
もう切りますよ!」
リリスは電話を切り、携帯をポケットにしまった。
「何事ですか?」
「キタカゼ=ヒナタ、
もうすぐホテルに着くそうです。
さっき電話に出られなかったのは、
運転中だったからみたいですよ」
「そうですか。
まあ、生きているのなら
どうでも良いです。
走りに行きましょう」
2人はシャルロットと合流し、練習用コースへと向かった。
コースの敷地内に入ると、使用許可を得るため、受付へと足を向けた。
そのとき……。
4人のネコマタたちが、ニャツキへと近付いて来た。
4人とも、人の姿だった。
先頭の、長い黒髪のネコマタが、口を開いた。
「あなたがハヤテ=ニャツキね?」
「そうですが。あなたは?」
「私はクライシ=オモリ
次のレース、
あなたと同じ試合に出るの。
それで挨拶に来たのよ。
よろしくね」
オモリと名乗ったネコマタは、前髪を、目が隠れるまでに伸ばしていた。
彼女の服装は、髪と同じで真っ黒だった。
ニャツキの目には、彼女の外見は、どうにも重苦しく見えた。
そんな感想は内に留めて、ニャツキは挨拶を返した。
「ご丁寧にどうも。
よろしくお願いします」
「お手柔らかにね。それじゃ」
短い挨拶だけ済ませると、4人は去っていった。
「む……」
リリスの隣に立つシャルロットが、不機嫌そうな顔を見せた。
いったいどうしたのかと思い、リリスは彼女に声をかけた。
「シャルロットさん?」
「ニャツキにだけ挨拶して、
私のリリスは
眼中に無いっていうの?」
彼女はリリスが無視されたことに怒っているらしかった。
「私のって……。
あの、お姉さま。
あの人たち、ちょっと怖い感じがしましたね」
「怖い……ですか?」
リリスの感想は、ニャツキにはピンと来ないようだった。
「どういう風に?」
「なんとなく。雰囲気ですけど」
そこへシャルロットが口を挟んだ。
「ダメよ。戦う前から気圧されてたら」
「えっ……」
「良い? リリス。
あいつらには絶対に負けないわよ」
「……がんばります!」